唐突に、かもしれないが、長崎市へ。 かねてから約束していた、大学時代の親友Oちんを訪ねた。 同市を訪れるのは、実は私、初めてで、なるほど、坂の多い町、であった。 ということは、と思わず。 この町のバリアフリー構想について、理事者のお話を伺ってみたくなったが、それはまたの機会として。 今や某大企業の支店長となったOちんの、それ相応の車に乗って、市内を見学。 仕事がら、というと僭越だが、またとない視察、となった。 その観光資源の豊富さ、力強さといい、新幹線延伸の呼びこみ熱、といい、 原爆体験を風化させない平和の希求、といい、 元寇、出島、島原の乱、亀山社中など、数々の歴史の舞台を街の風景にちりばめて。 訪れる人々へ、さまざまに薫るメッセージを、発していた。 愛媛県と、ほぼ似た人口規模の長崎県は、島しょ部数で日本一。 ちなみに、本県は第3位。 きっと同質の行政課題を抱えていようが、しかし、ならば共有もできるはず、と思った。 いわゆる、離島サミットのような形で、分野ごとの交流促進が可能、と気づく。 その他の触発、実に多々の、長崎であった。機会を作って頂いたOちんに、感謝、である。 ちなみに。 20数年ぶりに一献傾けながら、��ちん、全然変わってへんわ、カッコ苦笑、という安堵を覚えたが、 それは、きっと彼も同じだったに違いない。 お互いがんばろうぜ、お互い、ね と、小雨交じりの中、相変わらずのエールで散会、となった。 ��写真は、長崎市内の、孔子廟。)