文藝春秋8月号にて。 がん宣告「余命十九カ月」の記録、と題した、戸塚洋二氏と立花隆氏の対談記事、を読んだ。 が、 この時点で、戸塚氏は鬼籍の人となられており、発売直後の記事は、まさに彼の“遺稿”、なのであった。 痛惜を、禁じえなかった。 戸塚氏は、知る人ぞ知る、物理学者であり、ノーベル物理学賞受賞の小柴昌俊博士、の弟子であり。 1998年、師匠である小柴博士の後を継いだ戸塚氏は、奥飛騨「スーパーカミオンデ」で、ニュートリノの質量観測に成功する。 それは。 従来の物理学の前提を覆す、画期的な大発見と賞賛され、以来、ノーベル賞に最も近い物理学者、受賞は時間の問題、といわれてきた。 しかし、皮肉にも、時間の問題となったのは、自身の命の長さのほうだった。 戸塚氏は、記事の冒頭で、語られた。 �� 私のがんは残念ながら立花さんとちがって全身に転移して、 もう最終段階に来ています。でも、研究者という職業柄、 自分の病状を観察せずにはいられない。 今日は私の体験をもとにがん患者の方々に少しでも アドバイスになるお話ができたらと思います。」と。 サイエンスを極めた彼の生き様の、なんという、凄まじさ。 �� 私にとって、早い死といっても、 健常者と比べて十年から二十年の差ではないか。 みなと一緒だ、恐れるほどのことはない。」 葛藤を超克したその境地に、限りない敬意と感動を覚えた。 結果的に遺言となった、いくつかを紹介すると。 �� 患者にとっては、(がんと)なれ合ったって一向にかまわんのですよ。 闘うのではなく、もう少しゆるやかに余命を延ばす方法を研究してほしい。」 �� 医療界にお願いがあります。 がんのデータベースが是非必要だと思うんです。 骨への転移が見つかったとき、私が是非知りたいと思ったのは、 転移はさらに進行していくのか、転移した他の場所も痛くなっていくのか、 骨折の恐れがあるのか、といったことでした。 患者のこうした疑問に答えるデータベースがほしい。」 がん医療界に対する、最高峰の科学者の、最後の言はそのまま、政治に身を置くものとして、深く受けとめる義務と責任がある、のだ。 途中、こんなくだりがあった。 最近まで知らなかったのだが、死を前にした正岡子規が、こんなことを言っていると。 �� 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」 なるほど、平気な顔をして死ぬのもすごいことだが、どんな場合でも平気で生きているのはすごいことだ、と。 人間が生きることの意味を、かみしめずにはいられない。人間の、使命の重さと有難さを、感じずにはいられない。 最後までご自身の命と向き合い、サイエンスを全うされた戸塚氏のご冥福を、今一度、心よりお祈り申し上げたい。