一昨日、梅雨が明けた。 朝から、真夏日を思わせるような暑さだが、清清しい快晴、が心地よい。 空も心も、好天に恵まれて。 いよいよ、��すべての拉致被害者を救出するぞ!国民大集会IN愛媛」の開催当日となった。 愛媛拉致議連メンバーの1人として、お忙しく暑い中、ご来場くださった皆様を、ロビーにてお出迎えする。 微力ながら、事前のPR活動に携わった者として、どのくらいの方が足を運んでくださるか、多少不安もあったが、 まったくの杞憂であった。 開始の30分前には、2階も含めて満席となった。立ち見客と、座り客で、通路もいっぱいになった。 ロビーの大型ビジョン前も人だかりとなった。涙が出るほど、感謝の気持ちでいっぱいとなった。 そして、13:30。国民大集会は、らくさぶろうさんの司会でスタート。 最初に、松山女声合唱団による「愛媛の歌」の、合唱。 海がある、山がある、空にひかりがあふれてる、のあのメロディは、何度聞いても、美しすぎる。 さすが、20世紀を代表する作曲家、中田喜直先生作、だ。 その後、救う会愛媛の中矢会長の挨拶、主催者を代表して加戸知事の挨拶、と続いた。 知事のスピーチは、いつにも増して、心を打った。 会場を、かつてないほどに埋め尽くした、拉致救出に思いを寄せる約3,000名もの方々の、 人の痛みをわが痛みとして感じることができる、そんな愛媛の県民性を、心から誇りに思う、と。 その通り、と、関係者は全員思ったはずだ。主催者を代表する挨拶は、こうでなければ、と思った。 続いて、来賓挨拶。 初代拉致問題担当大臣であり、衆議院議員の、塩崎恭久氏。松山市長の、中村時広氏。 そして、家族会を代表して、田口八重子さんの兄の、飯塚繁雄さんの挨拶の後、 拉致議連会長である衆議院議員の平沼赳夫氏から、この間の拉致問題を巡る国際間交渉の舞台裏などの報告があった。 信念の政治家、と思った。国民の生命を脅かすものとは一歩も引かず闘う政治家、と思った。 決して順風満帆ではない、28年もの国政での修羅場をくぐり抜けてきた男の凄みを、感じた。 その後、DVD上映のあと、 総理補佐官拉致問題担当・参議院議員の中山恭子氏の政府報告、救う会全国協議会会長の佐藤勝巳氏の救う会報告、と続いた。 お伝えしたい内容はあまりにも多いが、紙面上、お許し頂きたく。今日の、クライマックスに話を移したい。 それは、やはり、当事者ご家族からのメッセージであった。 横田めぐみさんの母である、横田早紀江さん。有本恵子さんの母である、有本嘉代子さん。 全国で、もはや知らない人はいないのではないか、そんなお2人のお話は、涙なくしては聴けなかった。 “理不尽に連れ去られたわが子を、返してほしいんです。ただそれだけで、それ以上、それ以外、何も望みません。 この、親として当たり前の気持ちを、国はわかってくれない、ならば、と思って闘い、世界中に訴え続けてきました。” と、横田さん。 “あれから25年が経ちますが、1口で25年と、そういうふうに時間を感じることはできません。 朝になると午後には、夜になると明日には、と、今日こそ帰ってくるか、の思いで1日1日が過ぎ、25年が経った。 今でも、陰膳をしながら、朝に昼に、帰りを待っているのです。でも、私には、時間がありません。 死ぬまでにせめて1回だけでも、あの娘を抱きしめてやりたいです。” と、有本さん。 涙なしでは聴けないし、綴っている今も涙が込み上げる。会場内の多くの方が、目頭を押さえ、鼻をすすり、肩を震わせていた。 引き続き、本県からも、特定失踪者家族の、大政悦子さん、二宮悦雄さん、長島清志さんが、ご心情を吐露された。 こんなに身近なところに、一日千秋の方々が、いる。会場全体が、完全に、自分ごととして、憤怒と化した、と思った。 許さないし、あきらめない。そして、戦いは時間との勝負であることを、心に誓った。 最後に、愛媛拉致議連として、私も壇上に上がらせて頂いた。 森高愛媛拉致議連会長の御礼と戦闘宣言に対し、会場は割れんばかりの大拍手に包まれ、国民大集会は、閉幕した。 緞帳が降りきる瞬間まで。私は会場の皆様に、深々とお辞儀を捧げ続けた。 顔を上げると、感謝と感動で、溢れる涙がこぼれそうだったから。 お忙しい中、猛暑の中、ご来場を頂いた多くの皆様、そして、 会場には行けなかったけれど心から応援くださった皆様に、心より厚く御礼を申し上げたい、と思う。 本当にありがとうございました。 ��写真:左から横田早紀江さん、有本嘉代子さん。お体に気をつけて、と祈りつつ。)