学力世界一、といわれるフィンランド。 その教育事情について、都留文科大学の福田誠治教授の記事を、読んだ。 ��潮8月号/特別企画/世界の先進国「北欧」に学べ) 驚いた。 ちなみに、何か読むたびに驚いているのではなく、読んで驚いた記事を綴っている、とこれは、余談。 そこには、わが国の、教育の未来に対する貴重な示唆が、あふれていた。 ご承知の通り、フィンランドは、日本よりやや狭く、その国土の1/4が北極圏内という、資源の少ない小国。 1970年代当時。資源に加え基幹産業のなかったこの国は、 将来を見据え、教育を最優先し、人間という資源、に投資することを、決めた。 そしてそのための、様々な改革を行った。 例えば1985年には。 学力による「習熟度別編成」の授業を廃止し、16歳までは、一切のテストをなくした。 その心は。 テストのための勉強は、テストが終わればすぐ忘れるし、テストに出るところしか学ばなくなって、本人のためにならない、から。 その代わり、学ぶのは自分のため、ということを徹底させていった。 人間は興味を持てば、自ら学んでいくものだ、という、ぶれることのない信念によって。 また、教育システムも改めた。 国は大まかなガイドラインのみ示し、教科書検定や教員評価を廃止、した。 権限を現場に渡して、教育のプロを育てることと、プロがプロとして働ける仕組みづくりを行っていった。 そして。 2000年代に入ると、その取組みは、世界から注目されるようになった。 ��ECDが始めた国際学力テスト「PISA」にて、毎回、どのカテゴリーでも、トップクラスを獲得していったからだ。 ��ECDの事務総長は、いう。 日本のように、結論だけをため込むような教育は、これからの社会にはあわない、と。 これからの時代を支える人材を育てるためには、 自分とは違う力を持った人間と、いかに協力関係をつくり、もっと大きな力にしていけるか、というコミュニケーション能力と、 知識が目的ではなくて、必要な知識を探し出す力や、その知識が正しいものかを判断する力、そして、その知識を応用していく力を身につけさせることだ、という。 ごもっとも、というしかない。さらに。 日本では市町村合併や少子化の進展に伴い、小中学校や県立学校などの統廃合が進んでいるが、 フィンランドでは、同様の局面において、できるだけ、地域に学校を残そうとしている、らしい。 現在、小学校の半数は複式学級を採用する小規模校で、 しかも、教師の異動はほとんどなく、その地域に根ざした教育を行っているという。 それにより、 学校は地域の中の大きな家、という感覚が地域中に芽生え、住民と教師が協力して子どもを育てる体制ができている、と。 これ以上は、記事を貼りつけた方が早いのかもしれない。が、さて。 そうした人材育成を経て、フィンランドは現在、世界のノキア、に代表されるように、IT先進国となった。 世界経済フォーラムが発表する、世界競争力ランキングでは、2001年からずっと、1位・2位をキープしている。 日本は、学ばねばならない、と思った。 そして、どのような国、あるいは社会をめざすか、ということが問われている、と思った。 フィンランドは、高福祉・高負担社会、わが国は、今のところ、低福祉・低負担社会。 ある意味。ここの選択を問うのが、次期衆院選なのかもしれない。 今後ますます、グローバリゼーションが進んでいく中で、 正しい答は1つ、というような今までの教育は見直さざるを得ない、だろう。 必要なのは、考える力、つなげる力、コミュニケーションの力。 歴史を振り返るなら、そうした教育はかつて日本にあったし、 私たちのDNAには、それを独創的な次元に高め、 さらに、世界標準以上に持っていく能力が刻まれている、と信じる。 そして。それを開花させるのは、やはり政治だ、と、心したい。