終日、県民相談と部局交渉と来客対応。 ブログにしにくい日は、ということで、昨日の続きを綴りたい。 夜、伊予の小京都・大洲市にて、支持者の対話集会に参加させて頂いた。 週初め、仕事始めのお忙しい中を多数お集まりくださり、あらためて皆様に、感謝を申し上げたい。 公明党に対して皆様から頂く様々な思いを、この日も細大漏らさず、真摯に受けとめ、率直な意見交換をさせて頂いた。 私はこれまで、東・中予の各地域をお伺いしたが、南予は、今回初めてであった。 やはり、南予には南予固有の要望が、ある。痛感、した。 特に、道路建設。 真に必要な道路かどうか、つまり、有用とムダの線引きは、県内であっても、東予と南予では、相当な温度差がある。 いくら最新需要に基づくB/Cをもってしても、その感情の差は埋まらないのではないか。 いわんや国においてをや、と思う。 論外を別にすると、必要、もしくはムダを定義することは、ことほどさように難しい。 が、そこを突破しないといけない。そのための知恵と力をつけてまいりたい、と決意した。 次から次のご意見が続き、あっという間の1時間が、過ぎた。 お1人お1人をお見送りしながら、受けとめた思いが熱い内にレポートを書かなければ、と思った。 そして、車に乗り込み、家路につこうとした時、突然、1人の先輩の顔が、浮かんだ。 あっ、チンさん。 チンさんこと武知さんは、香川大学軽音楽部の先輩で、��HAKE!という、当時ブイブイいわせた有名なバンドの、ボーカル。 ��&Bをこよなく愛する、魅力的なソウルマン、であり、それ以上のことはとても書けないが、私の最も大好きな先輩であった。 あった、といって、今も、健在だが。その武知さんの出身地が、ここ大洲市なのであった。 チンさん、ここで育ったんや。 と思ったとたん、頭の中で音楽が鳴り出した。ザ・ブルース・ブラザースの「ゴーイング・バック・トゥ・マイアミ」、だ。 そこから先は、歌は世につれ、世は歌につれ。 歌につられて、急に元気になってしまったそのテンションで、家内に、今から帰りますコールをしたが、適当にあしらわれてしまった。 チンさんのせいである。そして青春は、バンザイ、である。 ��写真は、26年前の香川大学軽音楽部ご一行。手前右から2人目がチンさんで、その隣が私。)