風邪で療養中でも、読書は可能。今日は、この1冊。 霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」、という、強烈なタイトル。 著者は、自ら、埋蔵金男と言い切っちゃった、財務省出身の、髙橋洋一氏。 ベストセラーとなった、「さらば、財務省」の著者でもある。 振り返れば、この間。 県民の皆様との草の根対話で、政治家と官僚、つまり、お国に対する批判をどれだけ頂いたろう。 怒りと、怒りを通り越した、政治不信。ムダと不正が後を絶たない状況では、当然だ。 そういう中で、私がグルグル考え続けているのは、ムダって何だろう、ということである。 もちろん、マッサージチェアなどの非常識は論外。 そもそもムダの定義と、それを決めるのは誰か、について、である。 同著は、個々の政治問題を経済学的な切り口から、その辺をかなり、スッキリと整理してくれている。決して、単純な、官僚バッシングではない。 さて、私的には。 ムダとは、全体最適に対して十分条件にすぎない優先劣位であり、それを決めるのは国民である、というニュアンスで、腑に落ちた。 残念ながら今、そして今に至るまで、政治はそうなっていない。だから、国民は怒っている。 そうした官僚組織のタテ割りが全体最適を阻害し、真の意思決定は、国民でも政治家でもなく、 官僚が担っているという現実を、彼は、官僚内閣制、と解説している。 そして、少なくとも庶民は、それを直感で見抜いている。 ムダに関して今、重要なことは、必要条件以外は引き算、というシビアな局面の全体認識だろう。 そしてそれは、 国にとっての必要条件以外は、すべて地方に分権していく、という引き算、つまり、道州制の議論にもリンクしてこよう。 構造改革、といえば簡単だが、国も地方も、劇的な、政治の曲がり角に差し掛かっている、と思う。 絶対出なかった情報が、次から次へと出てくるのは、情報のフラット化だ。これから更に加速するだろう。 そして良くも悪くもだが、政治が、お茶の間の距離感まで身近になったことは、政治の透明化だ。ますますウソは隠せなくなるだろう。 国益を損するものでない限り、政治はもっとディスクロージャーせよ。 そして、真の意味で、国民による意思決定が可能な議院内閣制を機能させよ。 それが、この間の草の根の対話で、私が真正面から受けとめた、庶民の皆様の叫びである。 私にできることに全力を、と思う。