週初めの今日は、終日、政務。また、明日からの出張の準備と。 で、先日。 久々に読んだ1冊は、��教育3.0 誰が教育を再生するのか?」。 国語作文教育研究所所長の宮川俊彦氏と、ミスター文部省こと、寺脇 研氏との対談集。 その中に出てくる、あまりにも美しい、��ゆずり葉」という1篇の詩をもって所感に代えたい。 作者は、河合 酔茗(かわい すいめい)という明治の詩人。 その全文を、紹介したい。 『 子供たちよ。これはゆずり葉の木です。 このゆずり葉は新しい葉が出来ると入れ代わってふるい葉が落ちてしまうのです。 こんなに厚い葉こんなに大きい葉でも新しい葉が出来ると無造作に落ちる新しい葉にいのちをゆずってーー。 子供たちよ。お前たちは何をほしがらないでもすべてのものがお前たちにゆずられるのです。 太陽のめぐるかぎりゆずられるものは絶えません。 かがやける大都会もそっくりお前たちがゆずり受けるのです。読みきれないほどの書物もみんなお前たちの手に受け取るのです。 幸福なる子供たちよお前たちの手はまだ小さいけれどーー。世のお父さん、お母さんたちは何一つ持ってゆかない。 みんなお前たちにゆずってゆくためにいのちあるもの、よいもの、美しいものを、一生懸命に造っています。 今、お前たちは気が付かないけれどひとりでにいのちは延びる。鳥のようにうたい、花のように笑っている間に気が付いてきます。 そしたら子供たちよ。もう一度ゆずり葉の木の下に立ってゆずり葉を見るときが来るでしょう。 』 彼が永遠に留めんとした、溢れんばかりのこの国の未来への愛情を、 平成の私たちは、どれくらいの感情をもって受けとめることができるだろう。 教育が人を創り、人が国を創り、国が未来を創る、のだ。いくつもいくつも、ゆずり葉ゆずる、時間の中で。 政治の決定的重要性を、あらためて覚悟させられる、わが先達の、1詩であった。