夜、支持者座談会に伺う。 週末のお忙しい中を、今日もたくさんの方がお集まりくださった。 連日、似たような、とお感じになられるかもしれないが、明日も続くゆえ、予めお許し頂きたく。 今日は、事前のご要望により、長寿医療制度に関する公明党の考え方と取り組みについて約30分、ということであった。 私は、本ブログで何度も綴ってきたことに加え、今後の改善の見通しを交えたお話をさせて頂いた。 当たり前だが、どの皆様の目も、真剣だ。生活に直結した、自分ごとだから、である。 1mgの重さは体重計では量れない、とすれば。 生活者にとっての1000円の負担の重さを感じるために、政治家には常に、この、自分ごと、というセンサーが必要だ。 質疑では、いつも様々なご指摘を頂くが、今日、私の心に突き刺さったのは、次の叫びである。 “まだ、大本営のように感じる。本当に、私たちが信じられる公明党であってほしい。” 柔和な口調にして、魂を揺さぶられるような、痛烈。支持者の思いを代弁する叫びであるに、違いない。 自身の非力と限界を感じながらも、今、私にできることは、皆様の叫びを、心に刻んで刻んで刻みつけておくことだ。 対話の始終、私の中にあったのは、その思いだけであった。 終了後。 有志から、個別のご要望をお受けしたり、激励を頂きながら、気づくと、座談会第二部の様相を呈しており。 会場にご迷惑にならないよう散会を急ぎながらも、 “ゆっくり話ができて良かった”、“話したらスッキリしたわ”、 とのひと言ひと言が心に染みて、救われる思いがするのであった。 どこまでも政治は、対話に始まり対話に終わる、いや、対話に終わりなし、ということを忘れまい、と思う。 ��写真は、ただ今、田植えシーズン真っ盛り、の久万高原町。)