早朝、一路、今治へ。 10:00、今治市役所にて石井市議と合流し、海を渡り。向かったのは、私の故郷・伯方島である。 手帳を見ると、3ヶ月ぶりであった。 お申し出の方々による県民相談と視察を兼ねてであったが、それらは当時、私自身、身をもって辛い思いをしたことであれば、まったく痒い所に手が届くほどに、事情がよく理解できた。 善処を約した、その場所は、伯方中学校。つまり、私の母校である。 卒業以来、初めて、門をくぐった。同行の方々には悟られないよう、1人感動に包まれた。 ジーン。 今でもたまに夢に出てくる、あの、校舎と中庭と校庭のぼんやりが、くっきりに変わった。 ぜんぜん、変わってなーい。どうぞこのまま、と思いたいが、少子化の波はそれを許してくれない。 今年度からお隣の西伯方中学校と合併がなされ、かつ、2学期からはいよいよ新校舎へ移転する、というのだ。 これが見納めになるかもしれない、と思うと、無性に寂しくなった。デリケートな生徒にとってはなおさらであろう、と思うと心も痛む。 しかし、旧両校の生徒には、気持ちを前向きに切り替え、新時代建設の息吹に燃えて、勉学とスポーツに勤しんで頂きたい、と思う。 まっさらな校舎もグランドも、そして未来も、間違いなく、キミたちのものなのだから。 さて。 その後、石井市議と今治市内中心部に戻り、数ヶ所の視察を行なった。 なるほど。当事者でないと、そこで暮らさないと、見えてこないことばかりである。 あらためて私たち公明党は、生活現場主義者でなければならない、と思った。 次いで、企業訪問を行い、役員幹部と地元情報を交換した。ここでも、原油高騰問題が大きく影を落としているのである。 もはや、グローバリゼーションが影響を与えない企業も個人もない、と思えるほどに、切実な現実で戦う、民間企業の必死さを痛感する。 面談の佳境にて、景気回復の実現を急がねば、と思う。ねじれている場合ではないのだ、と怒りが込み上げてきた。 貴重なひとときを謝し、訪問先を辞した後、石井市議と別れ、1人松山へ。帰り道の北条にて党員さんを訪ね、そのまま夜の支持者会合に駆けつけた。 いかにも、走った1日。 そして、見て、聴いて、考えて、感じて、対話した、どの場面1つ取っても。 その解決に向けたプロセス全体が、政治そのものなんだ。政治のパフォーマンスは、十分条件ではあっても必要条件ではないのだ。 そんな気持ちが、心の底から、湧いてくる。 小さな確信が、少しづつ大きなものになっていく。生きた勉強をさせて頂いていることに感謝したい、と思う。 ��写真は、新・伯方中学校の門標。)