なんという、五月晴れ。 春本番を感じさせる本日は、終日、党務にて西予市へ。 どこもかしこも、桜が満開。五右衛門でなくとも、絶景かな、絶景かな、である。 聞こえてくるのは、小川のせせらぎ、うぐいすの鳴き声、香ってくるのは、木蓮や水仙や、そして、土の香り。 余分な音、人工的な匂いは、何もない。 あるがままですが何か?とでも言われそうな、大自然の堂々、を感じる町。 東京と比べると、これが同じ国か、と思う。そんなわけでついつい、の、上京ネタ第5弾。 最終日の夜、私の古巣である広告会社の先輩方と会食した。といっても、サラリーマンの町・新橋の小さな居酒屋である。 新年度になって初めての金曜日ということもあったろう、新入社員の歓迎会ということもあったろう、とにかく路地という路地は、凄まじい人いきれ、であった。 で、飛び込みでお店に入るのだが、どこも満杯。10軒近く断られ、ようやく腰を落ち着けることができたのだが。 これがまた、会話が掻き消されるような、店内の騒々しさである。味付けも、基本的に、濃い。辛い。 さても、この街に限っては。 静けさって、何ですか?暇って、どうしてですか?ということか。 そんな状況の中、久しぶりの先輩方と、盛り上がった。 近況交換から始まり、最近の業界動向や経済情報、はたまた下世話な話まで延々と、お店を変えながら転々と。 そして、盛り上がりとは別の感性で、ふと気づいた。東京は、いつから、コスモポリタンの街になったのだろう、と。 どのお店も、少なく見積もって、1/3は外国人だったし、六本木では、昼間出会う人の多くが、中国語と韓国語を話していた。 急に、そうなったわけではない、徐々に、あるいは、知らず知らず、今、気づいたというところに、重要な示唆を、感じてならない。 スケールはまったく異なるが、そういえば、松山でも今治でも、外国人を見かける頻度が多くなったことに、気づく。 このことは、これからの私たち地方の与件とすべきであろう。 ともあれ、次回を期しながら。終電タイムに合わせて、先輩方と散会したのが、3日前。 そして、今日。終日、西予市の広大な大自然を走り、様々な方と対話を交わしながら。 それでも。ここは同じ国なのだ、と思うし、ここはこれが個性なのだ、と思う。 その個性を輝くものにするために、私たちが今なすべきは何なのか。どうすれば、この町の将来に、持続可能な発展がもたらされるのか。 風に舞う、桜の花吹雪を目で追いながら、“昔、ある人が、その昔にもある人が、あなたと同じことを言ってたよ”、 そんな声が聞こえるような気がした。 妄想?ではない、あまりにも雄大な大自然の前では、わが身の凡夫を受け入れるのみ、なのである。 ��写真は、西予市の、収まり切らない大自然の、一部。)