午後、企業訪問を行なう。ある社長とのお話が、特に印象に残った。 いくつかある中で、今、マスコミを賑わせている道路特定財源についていわく。それは騒動であって、本質の議論には到底見えない、と。 にこやかにして、実に、手厳しいのである。 本則税率への上乗せが30年以上も続いたら、それは普通、暫定とは呼ばない。時代も物価も異なるのだから、最初に議論すべきは本則税率のほうではないか。 あらかじめわかっていたはずなのに、期限切れ間際でのドタバタ劇。見苦しい上に迷惑するのは国民、開いた口がふさがらない。 道路行政に一定の財源が必要なことは百も承知だが、次々に浮かび上がる国の不祥事を聞くにつけ、ムダはまだまだたくさんある、と思わざるを得ない。 ムダの定義が難しいことはわかるが、それぞれの主観を戦わせても合意は得られない。この際、期限を切って、合意が得られるような抜本的な議論を行なって欲しい。 まくし立てるように、ご意見は続いた。おっしゃるとおりだな、と1つ1つ相槌を打ちながら、受けとめながら。 そうした状況の中で、私たち公明党が考え、取組んでいることを1つ1つ語らせて頂いた。 どこまでご理解を頂けただろう、と思いながらも、私たちがめざすものへの共感の拡大は、対話した数とその深さだけであることを、つくづく思う。 社長に限らず、様々な企業の方々と対話を進めていく中で。この部分は容認できないけれども、その部分は誤解から理解に変わった、ということがある。 完全合意でなくともよい、部分合意をどれだけ見出せるか。それらをつないでいくと、まったく別の新しい合意がどこかに見出せるかもしれない。 政治は技術、とは先哲だが、まさしく政治家には。 支持者の皆様はもちろん、議員間、理事者間にあっても、合意を見出だすための技術が必須だし、それは対話によってのみ、またその場数と苦労した分だけ、力量として醸成されるのであろう。 また、ある社長とは、中国産ギョーザの話題から見えてくる、疑心暗鬼の日本、という話になった。 日本人として。 また、確実に肝心なものを喪失し、あらゆる分野で不信が渦巻くこの時代にあって、どのように信を回復させるのか、信じることの素晴らしさを実感できる世の中にしていくのか。 個別の法案も重要だけど、国民にとっては、そっちのほうが遥かに重要なんですよね。そこを政治は言ってみせ、やってみせて欲しいんですよね。 そうです、そうです、その通りです。と、ここが、まさに対話の、肝であった。 両社長をはじめ、訪問先では厳しいご意見とともに温かいご激励をたくさん頂いた。 がんばるしかない。月並みだが、目の前の、私にできることから1つ1つ、がんばるしかない、と強く決意した。 ��写真は、子どものお風呂のおもちゃ。その口のカタチが、がんばれ、に見えた。)