午前、来年度予算要望の会派打合せ。午後、松前町の企業訪問を行なう。 そして夕方。山本ひろし参議院議員・雲峰松山市議に同行頂き、市内在住の広瀬さん宅をご訪問した。 先日、雲峰市議とともにご相談を伺ったのだが、その中身は、障害者スポーツの振興に関するご要望であった。 その本質を突いたお話に、私たちはひどく心を痛めながら、その抜本解決には国の力が必要だ、と即、山本ひろし参議院議員にお伝えし、機会があればぜひ同行訪問を、と要請していたところであった。 それから、たった6日。 国会開会中の間隙を縫って、1人の庶民のために駆けつける国会議員が、はたして何人いるだろう。山本さんは、さすがだな、といつも思う。 さて、その広瀬さん。悠(はるか)君という、目に障がいを持つ息子さんが、実は、日本を代表するアスリートなのである。 昨年は、全日本視覚障害者柔道大会男子100キロ級で見事優勝し、第3回IBSA世界選手権大会ブラジル2007男子100キロ級では5位入賞。 そして。 本年9月開催の北京パラリンピック日本代表に内定した、彼の栄誉と功績に対して、地元松山市からは、平成19年度かがやき松山大賞が贈られ、顕彰されたのである。 ご両親の喜びは如何ばかりであろう。悠君は、最高の親孝行者だ、と思う。 伺えば、彼は高校2年のとき、緑内障を患い、以来、右目の左半分と左目のほとんどの視野が失われているのだそうだ。 言葉にできない挫折を乗り越え、今に至る道のりの支えとなったのが、小学2年のときから続けてきた柔道だった、と彼はいう。 障がいというハンデを、スポーツによって乗り越えたのだ。 なるほどスポーツは、国籍も、老若男女も、年齢も、問わない。まさに、人間が作り出した、ユニバーサルな文化といえよう。 スポーツを通して障がいを乗り越え、夢と希望を実現する彼の生き方に感動するとともに、政治の力で、障がい者スポーツの普及と振興をリードしなければならない、と痛感した。 世界を雄飛する悠君の知見によると。 欧米では、障がい者スポーツのトップアスリートたちは、国家プロジェクト並みの待遇と育成環境が与えられているのだそうだ。 それに比して日本の現実は、というところを、ご両親からあらためてお伺いしたのだが、事実の持つ説得力に、山本ひろし参議院議員とともに真剣に受け止めさせて頂いた。 さあ、ここからが私たちの仕事である。 寒さ厳しい夕暮れに、いつまでも見送ってくださる広瀬さんご家族に対して。ネットワーク政党・公明党として。 国と県と市のそれぞれの立場において、また一体となって、障がい者スポーツの振興に取り組むことを、心に深く、決意した。 それにしても帰り際、悠君がんばれ!と握手した彼の手は、さすが100キロ級チャンピオン。実に、痛ゴツかったのである。 ��写真は、左から私、広瀬悠君、山本ひろし参議院議員、雲峰松山市議会議員。)