10:00、決算特別委員会、開会。この日も、最後まで傍聴参加した。 今日の審査は、保健福祉部・農林水産部・土木部・教育委員会事務局の4部局と、人事委員会事務局・議会事務局・監査事務局・労働委員会事務局・出納局、の諸局である。 その中で、ドキリとする場面があった。 委員の質疑に、教育委員会事務局が回答できず、休憩再開後、それでも回答できず、委員長預かりで、結局、最終日に答弁を持ち越すという一幕だ。 詳細は、おそらく掲載されるであろう、明日の地元紙に譲るが、瞬間、語気を強めて叱責した清家委員長の、鬼気迫る真剣さが、ずしりと心に響いた。 深く、考えさせられた。そして、また1つ、貴重な経験をさせて頂いた。 さて、そんな中。思いがけず、理事者の中に、懐かしい顔を発見した。 間違いない、と踏んだ私は、休憩中に声をおかけした。やはり、Mさんだった。 約20年ぶりだろうか。ちなみに彼は、私と同じ、香川大学。 コンボ・ユニティという軽音楽部の先輩である。フュージョン系のバンドで、ギターを担当されていた。 当時、スウィングのしかたが寺尾聰に似ているな、と密かに思っていた。そして今日。カッコちょうどよい、その枯れ具合が、今の寺尾聰に似ているな、と思った。 特別委員会終了後、県民相談で部局を駆け回ると、外は夕暮れの気配。 終業前の忙しい時間帯であったが、先輩の所属する部局をめざした。そして極めて短時間だが、近況を交わした。 どの先輩も、それぞれにご活躍のようで何よりだし、私のことも、それぞれが見守ってくださっているとのこと。 無性に懐かしくなった。スウィートばかりではない青春のメモリーが、脳裏にフラッシュバックしながら。 あの頃、みんな若かった、と思う。そして、歳月は人を待たず、を知る。 だからこそ。 いつ、どこで、誰と再会してもいいように、ちゃんと。年を重ねてまいりたい、と感じさせられた1日であった。 ��写真は、今から24年前、1984年当時のコンボ・ユニティ一同。あまりにも、若い。)