秋晴れの中、公務と表敬を兼ね、上京する。実に、約1年ぶりの東京である。 思えば、統一地方選出馬にあたり、勤めていた会社への退職挨拶に伺って以来だ。 激動にして、あっという間の1年を振り返りながらも、羽田空港に到着すると、回想から現実に引き戻された。 この街の喧騒ぶりは、相変わらずであった。 巨大なエネルギーのカオスに飲み込まれるようにして、私が向かったのは、生まれて初めての、国会議事堂である。 山本ひろし参議院議員への表敬と陳情を兼ねてだが、そこへ足を踏み入れるには、ほんの少しだが勇気が必要だった。 入ってみると、驚いた。 全国から陳情の団体が、まるで押し寄せるかのように、大混雑。まさしく地方の、叫びにも似た、厳しい現実を見る思いがした。 また、折からの大連立騒動で、議員とメディアの出入りがひっきりなしだ。私が踏み入れた第1歩は、そんな状況の中であった。 山本議員秘書の梅津氏のご案内で、まずは、国会内を見学した。 奇しくも、今から71年前、昭和11年の今日、この議事堂は完成したという。その由緒に思いを馳せた。 ふと、中央広間に鎮座する、板垣退助の銅像に、足が止まる。言わずもがな、自由民権の祖である彼もまた、四国の大先輩であった。 約1時間にわたる見学は、感嘆の連続となった。 引き続き、山本議員の部屋を訪れる。 伺っていた通り、与作の、439号室であった。部屋は思ったより狭く、つつましやかで、やや意外な感がした。 ちょうど山本議員の奥様が来られており、温かな歓迎を頂き感激する。そして、調査会を終えて戻られた山本議員と約2週間ぶりに再会。 近況とともに、厚生労働委員会での一般質問に盛り込んで頂く予定の、離島のこと、社会的引きこもりのこと、障害者就労のことなどをお伺いする。 要望を伺った方々が、どれほど心強く、お喜びになるか。早速、報告を、と思った矢先、情報が飛び込む。 委員会は明日なのだが、件の大連立騒動でスケジュールが混乱しており、一般質問は、延期もしくは中止になる可能性が大らしい。 いずれにしても必ず、との山本議員の真心をありがたく感じながらも、今回の騒動を、恨めしく思った。 そして、あっという間に、約2時間。 来客が後を絶たない山本議員と、丁寧なるご対応を頂いた奥様・梅津秘書に、恐縮と感謝を述べ、次の表敬先へと向かった。 政治の権謀術数と国民の要望がるつぼと化す、この巨大な建物。大事なことは、国民を感じる心であってほしい、と祈りながら。 初訪問の国会議事堂を背に、愛媛の、方々の顔を思い浮かべた。 ��写真は左から:参議院登院ボタン、山本議員の439号室、談話風景、439号室から見た外の風景)