午前、10数件の県民相談に動き、午後は、久万高原町に支持者を訪ね、そして夜は、恩人のお身内のお通夜に駆けつけた。 その間、休む間もなく。今、どっと、疲労が押し寄せている。 さて、今日の特筆は、何といっても、久万高原町での訪問対話である。 約10軒ほどを、じっくりと時間をかけながら廻らせて頂いたのだが、実に、気持ちの通う本音のやりとりをさせて頂いた、と思うのだ。 いうまでもなく、お会いした方は、ほとんど高齢者の方ばかり。特に、1人の、いわゆる独居老人の男性に、心を揺さぶられた。 彼は、88歳。約20年前に奥様を亡くして以来、この地でずっと1人暮らしをされているそうだ。 しかし、最近は足腰も弱り、外出はもちろん、家の中の移動さえままならないという。ご近所の方々の配慮と支えによって、かろうじて暮らされているのだ。 その子どもさんのご家族たちも、老いたる父を心配され、機会あるごとに、松山市内で一緒に暮らそうと誘うのだが、 老父は、久万高原町から離れるくらいなら死んだほうがまし、と、頑として断られるのだそうだ。 子どもさんといっても、50代か60代であろう。そのご家族のお気持ちもわかるし、老父の思いも、よくわかる、気がする。 そのとき、政治は、と思うのだ。まずは、介護認定という手続きをご説明の上、対処を講じさせて頂いた。 でも、その先は。 そして、この老父の状況が、これからあちこちで加速度的に生じることの必然を思うとき、今の自身の非力を思い知らされる。 走ると、風を感じるように。県民生活の現場を歩くと、政治が与える影響を、肌で感じることができる。 机上でも、一律でもない、新たな政治へ。目の前の、その1人に、理不尽や不合理が行われない、温かな政治へ。 愛媛における、そのグランドデザインと、実現を、老父に誓う。答えは、まだない。けれど、必ず、と誓う。 夕暮れの、帰り道。先週気づかなかった久万高原町の山肌が、少し紅葉の気配を見せていた。 ��老父宅前の、落ち葉の、じゅうたん)