今日は9月の最終日。年度の折り返しの日、である。 私自身を振り返ると。 4月の統一選に始まり、5月は関係者へのご挨拶まわりに明け暮れ、6月は初議会・初質問・初委員会など、すべての初ものづくしに緊張し。 7月は参院選、8月は町議選と、こちらも初めての党務に終始戸惑い、9月ただ今は、2回目の議会・質問・委員会を経験させて頂いている。 人生の新たなステージを駆け出した、あっという間の半年であった、と感慨深い。新人議員としては、当然のことながら、この間の失敗は山ほどあって。 思い出すのも恥ずかしいこと、情けないこと、悔しいこと、いっぱいだ。人間としての未熟を、いやというほど思い知らされる日々の連続である。 これらをすべて糧にして、自身の成長に繋げていきたいと思う。 さて。 昨日、私が大変お世話になった方がお亡くなりになった。そして今夜、お通夜に参列し、心からのご冥福をお祈りさせて頂いた。 その方は、お会いするといつも戦時中のことを語ってくれた。戦争に対する怒りと悲しみと、それ以上に不戦への決意と。 安らかな眠りについた笑顔を拝しながら、感謝の気持ちとともに、そのご遺志を、しっかりと受け継いでいくことを心からお誓いした。 明日から10月。後半戦の始まり。 初心を貫きながら、心新たに、自身との戦いに徹してまいりたい。 ��写真は、支持者のお宅に見つけた彼岸花)
どんよりとした秋冷の本日は、娘の運動会の日であった。関係者へのご挨拶を兼ね、寸刻、出席する。 心が洗われる、そんなひと時であった。 4歳~6歳の子どもたちの、無邪気に踊り、歌い、走る姿は、この上もなく愛らしく、もう、無条件に、社会の宝もの、と思う。 階上から運動場を見下ろすと、さながら、宝石箱のようだ。 何色にも染まらず、疑わず。純粋で、澄み切った、その瞳と、心。 どこかのCMではないが、その価値、プライスレス。 惜しむらくは、全世界の子どもたちに、等しくこの光景を、と思う。 時を同じくして、生死の狭間で生きることを強いられる子どもたちがいる。そういう現実に思いを馳せると、言いようのないやるせなさが込み上げる。 眼前の賑やかさに、そう思ったのは、私だけだったろうか。ふと、子どもたちを前に、何かスピーチするなら、と考えた。 “おじさんは、議員というお仕事をしています。 それは、できるだけ困ったことが起きないように、いろんなことからみんなを守り、できるだけみんなの願いが適うように、お手伝いをするお仕事です。 そして、みんなが大きくなったときに、愛媛に生まれて育ってよかった、ありがとう、そういうふうに言ってもらえるように、そのために今できることをがんばるお仕事です。 おじさんが今日、お話したことは、みんな大きくなったら忘れているかもしれません。でも、みんなが大きくなったら、きっと今のおじさんと同じ気持ちになると思います。 20年後と、30年後と、その先は、愛媛のことも、日本のことも、世界のことだって、まぎれもなく、みんなが担っているのですから。 ちょっと早いけど、そのときのみんなに、おじさんは、宜しくお願いします、と言っておきます。 そして、今日、一生懸命がんばってくれたみんなに、心からありがとう、と、この運動場よりもいっぱいの感謝の気持ちをお伝えして、おじさんのお話を終わります。” 気恥ずかしくも、こんな感じか。 ピュアに交われば、ピュアになるのである。政治という日常の中で、本当に、心が洗われた1日であった。
10:00より、常任委員会が開催される。昨日に引き続き、活発な質疑となった。 私の質問は、非常にかいつまんでいうと、以下の3点である。 小児救急医療電話相談事業については、取り巻く諸般の状況の中では有用な取り組みと評価するが、電話アドバイスの結果、相談側に万一があった場合、責任の所在はどこに帰すのか、そして、どのように対応するつもりか。 総合保健福祉センターについては、ソフト面における機能充実の検討の中に、ぜひスタッフ派遣機能を加えて欲しい。 市立宇和島病院について、共同監査の現状と見通しがわかれば示してほしい。と、いう内容であった。 それぞれに答弁があり、私を含む6名の議員が、それぞれに質問を行うわけで、かくして、時間はあっという間に経過するのである。 ふと。理事者、つまり県職員の気持ちを推量してみた。 通常、委員会には20~30人の部局関係者が出席されるのであるが、それぞれの手元には分厚いファイルが準備されており、 各委員、つまり、議員のどんな質問にも答えられるように、神経を研ぎ澄まして、心の準備を行っているのである。 質問のたびに、サクっと情報を引き出してくるのは、いつも見事と思うが、今日は、ある委員の質問に、一瞬、理事者が答弁に窮するという場面があった。 私にとって初めて見る光景だったが、そこは部長が引き取り、無難に答弁をまとめられたのは、誠に見事であった。 話を元に戻すと、理事者の気持ちである。 議員にとって、議会はまさしく、論戦、つまり、戦いの場なのであるが、理事者にとっても又、ここは戦場なのだ、いや、この委員会こそ主戦場なのだな、そうに違いない、ということを感じたのである。 すべては県民のために、という目的をきちんと共有して、議員も、理事者も。いい意味での緊張感を保ちながら、質の高い論戦を取り組まねばならない。 そして、私も、そうした論戦の力を身につけねばならない、訪問先の窓から見える松山城を見ながら、ふと我に返り、思った。
10:00より常任委員会。私の所属は、環境保健福祉委員会である。 となりの委員会が午前中で終わったのに対し、われわれの終了は15:00。白石委員長も記憶にないと言われるほどの、長丁場であった。 白熱の4時間の内容は、明日の地元紙に譲るが、新人の私にしてみれば、最高のOJTである。 先輩議員の議案審査の厚みといい、委員長の仕切りの切れ味といい、あるいは、各理事者の情報の引き出し能力といい。 論の是非は別にしても、さすが、というしかないし、なるほど、がいっぱいなのである。 認識せずして評価なし、ではないけれど、所管する環境行政や保健福祉行政のしくみが、少しづつ見えてくる。 もっと、もっと、もっと知りたい。他の委員会に対しても、できる限り、傍聴をしようと思う。 その上で、私の付加価値をどのようにカタチにしていくか、それこそ、議員として私に与えられた義務であり、今は訓練でもあろう。 明日も10:00から。連日の、白熱の予感。 クタクタの後、夜は久万高原町を訪れる。党員の皆様との、感謝のひととき。 中秋の名月に、鈴虫の鳴き声が相まって、風流を奏でていた。
今日は、一般質問の最終日。自民、民主の2会派、4名の登壇となる。 傍聴席いっぱいの支持者に見守られながら、それぞれの立場からの論陣を展開された。 際立つ個性とともに、各位の生き様が見えてくる気がした。 さて、一般質問を振り返り、数えてみた。 最も多かったのは、「医療」関連である。まさしく、県下全域にわたって深刻であることの、証左といえよう。 解決への思索を止めてはならない、と肝に銘じる。 15:00本会議終了後、県民相談への対応に動く。先般お預かりした、事故多発国道の改修措置が正式に決定し、依頼者へご報告。 素早い国の反応に、いい意味で驚きながら。決して、新聞のスクープ記事にはならないけれど。 こうした1つ1つの積み重ねが、必ず政治の信頼回復につながると確信する。 落ち着くまもなく、新たなご要望を2つお預かりし、さらに動く。そして、夜は、明日の常任委員会に向けた質問の準備を、念入りに行う。 それにしても。1つ1つ知見が広がるほどに、政治の責任の重さを、思い知らされる。 県民生活における課題は、医療のほか、教育、福祉、土木、防災、治安、環境など、あれもこれもというほどに、様々な形をして、待ったなしで、私たちの目の前に現れる。 夜空を見上げると。欠けて満ちて、今日は、満月。 といっても、地球から見ると、である。本当は、月は、満ちも欠けもしない。 なるほど。 生活課題は、行政から見ると縦割りだが、1人の人間から見ると、生活そのものであり、全体なのだ。 そこの視点にきちんと立てるかどうか、地方政治も新内閣も、今、試されている。