どんよりとした秋冷の本日は、娘の運動会の日であった。関係者へのご挨拶を兼ね、寸刻、出席する。 心が洗われる、そんなひと時であった。 4歳~6歳の子どもたちの、無邪気に踊り、歌い、走る姿は、この上もなく愛らしく、もう、無条件に、社会の宝もの、と思う。 階上から運動場を見下ろすと、さながら、宝石箱のようだ。 何色にも染まらず、疑わず。純粋で、澄み切った、その瞳と、心。 どこかのCMではないが、その価値、プライスレス。 惜しむらくは、全世界の子どもたちに、等しくこの光景を、と思う。 時を同じくして、生死の狭間で生きることを強いられる子どもたちがいる。そういう現実に思いを馳せると、言いようのないやるせなさが込み上げる。 眼前の賑やかさに、そう思ったのは、私だけだったろうか。ふと、子どもたちを前に、何かスピーチするなら、と考えた。 “おじさんは、議員というお仕事をしています。 それは、できるだけ困ったことが起きないように、いろんなことからみんなを守り、できるだけみんなの願いが適うように、お手伝いをするお仕事です。 そして、みんなが大きくなったときに、愛媛に生まれて育ってよかった、ありがとう、そういうふうに言ってもらえるように、そのために今できることをがんばるお仕事です。 おじさんが今日、お話したことは、みんな大きくなったら忘れているかもしれません。でも、みんなが大きくなったら、きっと今のおじさんと同じ気持ちになると思います。 20年後と、30年後と、その先は、愛媛のことも、日本のことも、世界のことだって、まぎれもなく、みんなが担っているのですから。 ちょっと早いけど、そのときのみんなに、おじさんは、宜しくお願いします、と言っておきます。 そして、今日、一生懸命がんばってくれたみんなに、心からありがとう、と、この運動場よりもいっぱいの感謝の気持ちをお伝えして、おじさんのお話を終わります。” 気恥ずかしくも、こんな感じか。 ピュアに交われば、ピュアになるのである。政治という日常の中で、本当に、心が洗われた1日であった。