盛んなる夏は、過ぎ。午前、久万高原町へ。 お会いしたのは、戦前生まれの地元壮年のお一人。そのお申し出による、河川被害の土砂崩落現場を視察。 所有する田畑と水路が抉り取られるように崩落したのは、約15年前。諸般の事情によるも、15年もの先送り案件であった。 早速、県庁へ移動し、視察内容を踏まえ、所管部局に申し入れを行う。積極的かつ協力的な見通しを確認し、安堵する。 というような部局折衝が、今日は4件。新人としては体当たりであり、すべて勉強だ。 4件のいずれもだが、折りしもの財政難は、行政すべてに取捨選択を強いることを痛感。巨額な借金をいくら嘆いても、前には進むべくもなく。 件の壮年は、語る。 大事なことは、わが町をわが家庭に置き換えて感じる、当事者意識だ。これを、みんなが持てれば、町の窮状も閉塞も、必ず打開できる、と。 その通り。 どこであれ家計が赤字であれば、まずは借金返済計画を立て、それに基づいて、支出を切り詰め、収入を増やす努力を惜しむまい。 できるかできないか、ではなく、するかしないか。その意味で。 壮年のお話で印象に残ったキーワードは、辛抱、そして、知恵、である。今の現役世代は、辛抱することと、知恵を出すことに、努力が足りない、と。 グサリ、応えた。 必死でないと生きていけない時代と、何となくそれでも生きていける現代と。 戦前生まれの過ぎこしご苦労に最敬礼しながら、未来を受け継ぐ一人として。これからは、想像力の時代だ、と、ふと思った。 人に対して、地域に対して、社会に対して。他者ではなく当事者として、想像し感受できる、そういう個人と団体と社会のみ、次代を拓くことが可能であり、強力な磁場となって歴史をナビゲートするのであろう、と。 おやっ、と見る足元に、こおろぎ発見。8月の終わりに、こちらは、秋到来のナビゲーターである。