今日は、法事で因島へと向かった。 日頃あまり構ってやれない息子を連れて、2人で小旅行がてら、といいたいところだが、実際は、とんぼ返りのドライブであった。 さて、この因島。私の父親の里であり、私自身の生まれ故郷である。 その父が亡くなって、今年でもう30年が経つ。 久しぶりに寄り合った親戚も、いつしか腰が曲がり、髪も白くなり。私も、2年前に、父の享年を超えてしまった。30年という、長さと、短さと。 ともあれ、親戚の皆が集まるところ。そこは、何年経っても、やはり同じDNAを持つ者どうし。 瞬時に、まるで同期するかのように、大家族づきあいの当時が蘇る。短時間ながら、昔話、今の話、これから先の話、に花が咲きやまず。 唸るほどに、私は父にそっくりで、どうしてそうなるのか、しぐさまで瓜二つと。真偽のほどは私には不明だが。 そして、その裏返しか。自分の息子を見ていると、よくぞそこまで、というくらい、わが欠点をコピーしてくれている。全く苦笑もので、困ったものだ。 猛暑の中を、つかの間の因島で、父を偲ぶ1日となった。 もし今、父と再会することができれば、私は、彼の言葉を待ちたい。何を聞かれるだろう、何を叱られるだろう、そして、何を誉めてくれるだろう。 謹厳実直であったがゆえに、今でも、私の中の父は、厳かだ。まじめで素直な、その一分を、父は私に譲り与えてくれたであろうか。 ありがとう、そして、がんばるけん、と思う。 私は、子供たちに、何を残してあげられるだろう。そして、何をもって偲ばれる親になれるだろう。 帰り道、車の後部座席の息子の寝顔を振り返りながら、がんばってこいよ、という父の声が聞こえた気がした。 ��写真は、生口島から見た多田羅大橋)