昨日・今日と連日、松山市内の企業を訪問した。その業種は、教育・介護・福祉・医療・税理士・印刷・電器・自動車販売・運送・飲食・商業建築・産業機械その他、実に多岐にわたる。 私が奉職してきた広告業界も、その得意先はマルチだが、政治におけるアプローチ手法はそれとは全く異質である。その主題は、片や“ビジネス”、片や“生活”である。若輩には窺い知れない、政治の世界の深さと難しさを予感させる貴重な体験となった。 道すがら、紅梅を発見。「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ」とは菅原道真の飛梅伝説。それは政争の悲歌。平安の世も、今の世も、人の営みは変わらぬか。私の愛読書の一つである、中国の十八史略を想うにつけ。 なれど、それでも、歴史を変えられるのは、今を生きる私たちのみに可能であり、その意志と勇気のありやなしやを、自らに問いながら、寒風に、前へ、と思う。
暖かな日差しを浴びながら、日中は市内の支持者を訪ねて歩く。 夜は、青年たちとの懇談会に出席。彼らに接しながら、若いということは、若いというそれだけで素晴らしい、と思う。冬から春への変わり目を立春というなら、人生の大いなる変化の時こそ青春といえよう。今日、集って頂いた青年の大半が20代であり、30代である。文字通り、青春のメンバーだ。 サミュエル・ウルマンは「青春」という詩の中で、“人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時、老いるのである。”と謳った。 私の理想は、愛媛の明るい未来のために、誰よりもこの青年たちを糾合し、彼らとともに課題解決に取り組むということだ。という意味において、私の人生はまだ青春であり、私はまた青年であるであろう。
今年一番の冷え込みを感じさせる1日。みぞれ交じりの雪が舞う中、今日は北条の支持者を訪ねて歩く。どのかんばせも笑顔で有難く。夜は、満月。街灯のない山道を、やさしく明るく、照らしてくれた。欠けては満ち、満ちては欠けながら、約30日周期で満月は訪れる。太古の昔から。 悠久に思いを馳せながら、自分を眺めてみた。進むべき道が、ほのかに見えてきた。その道は、東山魁夷の名画「道」のように。
光陰矢の如しとは、中国・唐の詩人・李益のいわく。果たして、今日から2月。終日、伊予市と伊予郡(松前町・砥部町)の支持者の皆様を訪れる。いわゆる個人演説会を、20名単位の会合で8回、300名の会合で1回、開催させて頂いた。 1日で合計9回の演説というのは初めての経験だ。同じことを同じレベルで9回維持することの困難さは、想像以上だ。翻って、その中身は、私の生い立ちから現在にいたるヒューマン・レビューと、現在から未来に向けたビジョンのプレゼンテーション。面映くもあり、申し訳なくもあり。されど、ウソはなく。 応援歌を元気に歌って頂き、共感を頂いた支持者の皆様に感謝しつつ、そのご期待を裏切らない自分というものへの成長を、深く誓う1日となった。