午前、環境保健福祉委員会に出席しました。 本日の議題は、「えひめ結婚支援センターの これまでの実績と新事業の内容等について」。 同センターは2008年に開設され、 少子化対策の一環として、これまで 県内独身者の出会いの場を様々な形で提供する 事業、いわゆる婚活を推進してきました。 そして本年、個別のお引き合わせを行う 「えひめ愛結び」という新たな事業を開始し、 対象となる方々の注目を集めるとともに 着実な成果を挙げつつあります。 県の調査によると、独身者の最大の未婚理由は “出会いがないから”というもので、約40%。 その内90%が“結婚したい”とのことですから、 メルマガ登録者数8,501人、 イベント参加人数19,400人、 カップリング2,575組というこれまでの実績は、 そうしたニーズを満たすものとして 一定の評価がなされるべきと思います。 その上で、さらなる事業の充実のために、 私はこれまで “過疎・離島地域対策”の必要性を主張するとともに、 本日の委員会では、 “離婚経験者等のシングル対策”の重要性を訴えました。 結婚してよかった! そうした笑顔と実感が、 ��つでも多く本県に広がるよう、 引き続き、少子化対策としての本事業推進に 取り組んでまいりたいと思います。
本日は、東北電力・女川原子力発電所を視察。 早朝、南三陸町を出発し、 バスで海岸伝いに北上すること2時間弱。 近づくにつれ道路は険しく、 景色も凄惨なものへと変化していきます。 女川原発では、南相馬市ご出身の渡部所長から、 震災被害状況と緊急安全対策等の対応について お話を伺いました。 同発電所の1号機と3号機が通常運転中に、 ��号機が原子炉起動中に震災が発生したが、 すべての原子炉が自動停止し津波の直撃も免れ、 大規模事故に至らずに済む一連の経過説明の後、 震災後の対応と現在推進中の安全対策について、 現場を移動しながら詳しくご説明を頂きました。 有事の際は平時のつもりで、 平時の際は有事のつもりで! という理念を持ち場ごとに徹底してこられたこと。 新たな知見が出る毎に、 例えば敷地の高さを14.8mに引き上げたり、 法面に防護の補強を施したりといった、 あと一歩の努力を尽くしてこられたこと等のほか、 積極的な情報公開により住民不安の解消に努める 企業としての真摯さが伝わってまいりました。 あと一歩の努力と、真摯な対話。 政治こそ、その1点を絶対に忘れてはならない、 との自戒とともに、 決意を新たにさせられる最終日の視察となりました。 ��日間、訪問先で頂いた分厚い資料を頭に、 かけがえのない現場体験を心に刻みながら、 全力で、 本県の防災力強化に努めてまいりたいと思います。 末尾ながら、 視察にあたりお世話を頂きました関係各位に 心より感謝を申し上げます。
本日は、仙台市議会と南三陸町観光協会を視察。 仙台市議会では「東日本大震災における被害状況 及び復興状況」についてお話を伺いました。 死者704名、行方不明者26名。 被害推定額、約1兆297億円。 沿岸部を中心とした甚大な被害状況について 資料をもとにつぶさに、また、 防災ヘリが捉えた、震災当日の津波が押し寄せる 壮絶な瞬間を、映像で確認させて頂きました。 見終えてしばらく声が出ない、どころか一瞬にして、 あの3月の、TVを前にした呆然、に逆戻りです。 が、前に進めなくてはなりません。 仙台市ではこの間、今後5カ年にわたる震災復興計画 を策定し、多様な市民の声を踏まえ今月末に、確定。 ��1月の臨時議会での議決を目指しているとのことで、 その概要についてご説明頂きました。 しなやかでより強靭な都市の構築に向けて、 ��00万市民の本気と熱意が伝わってきました。 但し、 計画遂行にはあまりにも多くの法整備が伴い、 これを実現するには相当の困難が必至ともいえ、 市と県がどのように国を動かすことができるか、 まさに地方分権を一歩進める戦いでもあります。 その意味では、本県も立ち位置は同じです。 共闘支援体制を継続してまいりたいと思います。 次に向かったのは、南三陸町観光協会。 観光復興プロジェクトについてお話を伺いする前に、 語り部ガイドさんのご案内により被災地を視察しました。 防災対策庁舎では、最後まで防災放送で避難を呼びかけ 犠牲となられた遠藤さんをはじめ、多くの犠牲者の皆様に 心からご冥福を祈り、全員で黙とうを捧げました。 震災を教訓とし風化させないことが私たちの使命、 との語り部ガイドさんの思いをしっかりと受け止め、 つなぎ、広げてまいりたいと思います。 そんな視察の途中、異変に気づきました。地盤沈下です。 私たちが滞在していたつかの間でさえ、次第に海水が 陸地にあふれこんでくる様子がわかりましたが、 お話によると町沿岸部では、震災前に比べ ��0cmから1m近く地盤が下がったとのこと。 一瞬で地形さえ変えてしまう自然の摂理に圧倒され、 ここでもまた、声と色を失う思いに駆られました。 そんな中、 協会では観光復興プロジェクトを数々手掛けられ、 “失ったものは多いけれど学んだことの方が遥かに大きい”、 “被災地としてではなく、 こんなに復興した地としてお越し頂きたい”、 といった情熱がほとばしるお話を伺い、 逆にこちらが勇気づけられるひと時となりました。 南三陸町の1日も早い復興を心から祈念しつつ、 体感した自然の脅威と犠牲者への敬意を忘れず、 更なる復興支援と本県の防災力強化に向け、 全力で取り組んでまいりたいと思います。 ��S. 写真は、地盤沈下で海水が流れ込む寸前の南三陸町。
今日から3日間の日程で、 県議会環境保健福祉委員会の県外視察に出発。 初日の本日は、福島県庁・福島オフサイトセンターを訪れ、 福島第一原発事故への対応状況についてお話を伺いました。 ��9.0の太平洋沖大地震に端を発する東日本大震災は、 本年3月11日14時46分に発生。 それからどのように事故発生に至るか、 まさに「分刻み」での進展をご説明頂きましたが、 歴史に「たられば」は通用しないという現実に、 あらためて無念さが込み上げてまいりました。 原発事故は原子力災害対策特措法に基づき 国の管理下で行うことになっていますが、 その拠点となるのが、国のオフサイトセンター。 福島では当初、大熊町に立地されておりましたが、 福島第一原発から5㎞圏内であったため、急遽移転。 現在、福島県庁内に場所を移し、 原子力災害現地対策本部として機能しています。 ヒアリング説明の後、早速センターである 原子力災害現地対策本部を伺いました。 大会議室といったフロアには、ズラリ総勢100名超。 経産省、文科省、厚労省、国交省、農水省、環境省など 国からの派遣職員と、 県をはじめ警察、消防、自衛隊、東京電力などの 関係機関がそれぞれテーブルで島を作り班分けして、 執務に当たられていました。 正直なところ余りにも手狭であり、セキュリティの面 ��つ取っても不安は否めずという状況ではありましたが、 そうした中で真剣に取り組まれる本部スタッフの皆様に あらためて感謝と敬意を表したいと思います。 ひるがえって現在、八幡浜市保内町に立地する愛媛県の オフサイトセンター(県原子力センター)は、まさしく 伊方原発の5㎞圏内。 先頃打ち出された国の防災対策重点地域の拡大と、 これから打ち出される避難準備の方向性を踏まえ、 立地はもとより、国や自治体等との連携や役割を含めた 抜本的な見直しが必須といえます。 原子力防災を所轄する委員会として、 今後しっかり議論を積み上げてまいりたいと思います。 視察初日の終わりに。 仙台市内で会食しながら、現地でしか聞けないような 涙を禁じえない悲痛なエピソードを、お伺いしました。 震災は、目には見えない人の絆や心の奥底にまで 計り知れない爪痕を残したことを痛感するとともに、 どこまでも被災者の心を心として被災地復興に全力を、 との政治の肝要について教えて頂いた気がします。 貴重な知見を必ず県政に活かしてまいりますとともに、 視察先の皆様に心から御礼を申し上げたいと思います。
今日は、教育現場の視察ということで、 県立学校2校を訪問してまいりました。 午前、最初にお伺いしたのは松山工業高校です。 ��年生の情報電子科、工業化学科、繊維科、機械科と ��年生の建築科の授業を参観させて頂いたのですが、 ��AVAのプログラミングやCAD実習、それから 旋盤仕上げや液クロマトグラフによる糖分析等など 熱心に取り組む生徒たちの姿を、 文系の私は100%羨望の眼差しで見つめながら、 コンプレックスとリスペクトが入り混じりつつ、 やはり工業高校の価値は「技術」だ、 ということを再確認させて頂きました。 と同時に、専門技術の習得にはコストがかかる という現実にも、あらためて気づかされました。 ��台が1,000万円近くする精密機械など、 技術が高度になるほど高いコストが求められるのです。 少子化による生徒数の減少と厳しい県財政の中で、 彼ら未来への投資をどうバランスさせていくのか、 大きな宿題を生徒達から投げかけられた気がしました。 キチンとした答えを見いだせるよう 全力で取り組んでまいりたいと思います。 引き続き午後は、 中高一貫の松山西中等教育学校にお伺いしました。 こちらでは3年生と4年生の英語の授業を、参観。 ��4年生というのは高校1年生にあたります。) とはいえ、普通の英語の授業ではありません。 全部英語の、オールイングリッシュ授業です。 ワタシ、トテモ、オドロキマシタ。 先生からもし急に振られたらそう答えるしかない、 と思いつつ、幸いその機会はなかったのですが、 本当に、驚きました。 私たちの当時は、英語は手から、 つまり書くことからスタートした記憶がありますが、 今の入口は、耳と目から、です。 つまり、リズムとか表情とかジェスチャとか。 より、右脳系になっています。 担任教師は日本人ですが、 そのティーチングは実にファンタスティックでしたし、 ��LT(Assistant Language Teacher)である ネイティブアメリカンの女性補助教員の、 リード・アフタ・ミー、カモーンエブリワン!とか、 レッツトゥラーイ!イエース、ソゥ・グーッ!など、 ずーっと聞いている内に、 こちらまでテンションが高くなるから不思議です。 もし中学時代にこんな素敵な授業を受けていたら、 その後の人生の展開も違っていたのかもしれません。 国においては、 平成25年度から実施の新学習指導要領において、 「英語の授業は英語で行うことを基本とする」 という方向性が既に打ち出されていますが、 今日のオールイングリッシュ授業は、まさに それを先取りした取組みであったわけです。 ぜひこうした意欲的な取組みが全県に広がり、 「英語を使いこなせる」中高校生が陸続と輩出! となりますよう心から期待したいと思います。 それぞれの貴重な授業を参観させて頂き、 真剣に学ぶ子どもたちの後ろ姿は まさに本県とこの国の未来であり、 その未来が少しでも豊かになるよう、 その可能性がより大きく広がるよう、 下働きに働こう!と深く決意をし、 宝の生徒たちに最敬礼!の1日となりました。 末尾ながら、 お忙しい中ご対応を頂きました県教委並びに 学校関係者の皆様に心より感謝を申し上げます。 本日は誠に有難うございました。