小雨降る午前、来客あり。 客と言っても、 若き日から志を同じくする友人で、現在、彼は大阪で勤務医をされている。 まさに、遠方より来る、で、こちらは、楽しからずや、なのだが、 お忙しい中にあっては恐縮でもある。 遅くて短い夏休みを終え、今日大阪に戻られるとのことだったが、 その帰阪までの時間、私の事務所にてしばし、近況交換。 まっすぐなところ、素直なところ、腰の低いところ、肌の小麦色も、 ��さん、変わらんねぇ。 と、思わず笑みがこぼれるとともに、お互いの若かりしが、フラッシュバック。 懐かしい話もそこそこに、ともに責任世代となった今、 これからの日本の政治経済について時間を忘れるほどに、意見を交わした。 互いに納得し、そして。 大切なところは、変えない。大事なところは、変える。 そんな決意で、この日の再会は結ばれた、気がする。 ��さん、ようこそ、そして、ありがとう、な1日であった。
午前、今治市にて県民相談と新聞取材。 お預かりしたのは、交通安全に関するご要望だったが、 あらためて、道路交通行政の奥深さを、痛感する。 人と車の安全確保とスムーズな流れと。地権や環境や、法律や予算、など。 それに時間が加わると、実に複雑極まる、連立方程式。 ではあるけれど、それを解くカギは現場にあり、 と信じて、常にそこから、 納得解、を模索し続けてまいりたい。
藤本公子松山市議とともに、午前、北条にて街頭遊説。 風が強く肌寒い天気ではあったが、お手を振っての励ましに、心温まる。 午後、久万高原町に移動。 日頃ご支援を頂く皆様のお宅を、1軒1軒回らせて頂いた。 軒下で、畑で、あぜ道で、お店で、お茶の間で。 お1人お1人との対話に、ゆったり、ゆるりと、花が咲き。 伝わってくるのは、 飾らない庶民の温もりや、健気な、日々の暮らしの匂い。 そうした対話の中にこそ、生活者が求める政治、のカギがあり、 そのカギを取り出して、政策を立案し実行する、というのが、 党再建をめざす私たちの戦いであり、私自身の戦い、だ。 県下自治体で最も広い久万高原町を、所狭しとこれからも、走り抜いてまいりたい。
午前、地域活性化特別委員会。 テーマは、「愛媛大学との連携について」。 いきなり余談だが、その開会の時刻。 窓の外では、 ツクツクボウシが鳴いていた。 思わず、手帳の日付を確認したが、 気になったのは私だけだったか。 さて、ご案内の通り、 国立大学は2004年から法人化されたが、 泉副学長によると、 これによって全国の国立大学は、 これまでの、 いわば文科省という本社の支店という位置づけから、 それぞれが独立した法人となった、のだそうだ。 従って、国立大学法人愛媛大学は、 愛媛県を地盤とし貢献目的とする法人格となった。 そうしたことから翌2005年、 県と愛媛大学は連携協定を結び、 「相互の緊密な連携と協力により、 地域の課題に迅速かつ適切に対応」 することと、 「活力のある個性豊かな地域社会の形成・発展に寄与」 することを目的とし、 産業活性化、県土保全、人材育成に関することと、 その他連携の推進が必要な事項に関すること、 を具体的な連携事項として取り決めた、そうだ。 この間、既に 19項目について合意し取組みを進めているが、 何れも具体的な地域課題を“的”としており、 その点、大いに評価したいし、期待したい。 委員からは、様々な質疑がなされたが、 愛媛大学が、単に知の殿堂のみならず、 地域社会への貢献や県政課題解決に向けた 有力なシンクタンクとして、 行政とウィン×ウィンの関係構築を目指されたい、 という点については完全に一致した、といえよう。 まさにテーマの通りだが、 本県発展のために、愛媛大学と しっかり連携してまいりたい、と思う。
終日、大三島にて。 県民相談、現場視察、表敬、街頭遊説など。 夜は、松山市内にて座談会に参加させて頂く。 今日の私的トピックスは、夕方の、大三島。 街頭遊説を終え、車に戻ろうとすると、どこからか、声がかかった。 「木村くん!」 はて、あなたはどなた? とっさに思い出せない。困った。 と思っていると、絶妙のタイミングで、「ワシよ、O・Yよ」とのカミングアウト。 うぉおおおっ、Oくんではないか!しかも中2以来、32年ぶりではないか! と、頭の中のシナプスが一気につながった。 あのキュートな笑顔と、目の前の笑顔を、完全に一致させることが、できた。 久しぶりじゃのー、と、言葉までいっぺんに広島弁に戻った。 次の予定もあり、束の間だったけれど、予想もしない、感動の再会、であった。 私のブログも見てくれているらしい。 そういうことも世の中にはある、のか。 帰り道。 大雨の翌日早朝のグランド整備を、思いだした。 私たちが入っていたバレー部は当時、屋外コートだったのだが、 ��くんと私の二人で、グランドの水たまりを、 ぞうきんに染み込ませてはバケツへ運んだ、な。 その夏に、私の父が他界し私も転校して、今日は、それ以来の再会、なのだ。 よし。��くん、がんばるけぇの!みときないよ! きっと再会もまた、決意の源、なのだ。