午前、葬儀参列。 午後、議会にて財政課より6月度補正予算の会派説明を受ける。 国の新経済対策を受けた今回は、1998年以来となる大型補正予算。 総額167億円強で、5月補正と併せると221億円強となる。 その主な内容は、 雇用対策、生活安心確保対策、地域活性化対策、農林水産業振興策、 など、 国と歩調を合わせた経済危機対策、が、柱となっている。 とりわけ、 道路・河川・港湾・砂防などの基盤整備事業に112億円あまりの予算が講じられたことは、 実に心強く、有難い。 財政事情によりペンディングとなっていた、各地域の要望箇所が一気に改善されるよう、注視してまいりたい。 さあ、いよいよ来週から、6月議会。 今回、私の登壇はないけれど、 各種委員会でしっかりと、皆様の声を代弁させて頂きたい、と思う。
上京4日目。 今日は、八王子に家内の元上司Oさんご夫妻を訪ねた。 私と家内は親しみを込めて今も、 当時の役職である“所長”と、呼ばせてもらっている。 そのご夫妻のことを綴ろうとすると、 どうまとめても、結局私たちの馴れ初めの話になるし、 どのように脚色しても、私にとって顔から火が出るような話、 なので、割愛させて頂くが。 家内にとっては、いつも支えてくださった恩人なのであって。 久しぶりの再会に照れくさそうな所長と、相変わらず快活で素敵な奥様と、 束の間ではあってもゆっくりと、再会の時間を過ごさせて頂いた。 Oさんご夫妻にはさまざまなご配慮を頂き、そのまごころに心から感謝申し上げたいし、 いつまでも私たちの支えであって頂きたい、と思う。 所長ご夫妻宅を辞去した後、急ぎ足で羽田空港へ移動し、最終便で帰松。 そのまま事務所へ直行し仕事を片づけ、結局帰宅したのは日付が変わって、となった。 それにしても4日間、実によく歩いた東京、であった。 ��写真は、創価大学のホイットマン像)
上京3日目。夕方から家内と合流し、旧友宅を訪問。 旧友とは、私の大学時代の友人Mちゃんだが、 最寄りの駅に到着すると、一発でそれとわかる笑顔が、あった。 懐かしい! といいたいところだが、実は2週間前に、約20年ぶりに再会し、 それは済ませて、いた。 次は家族づれで、ということから今回の訪問となったので、 この間はどうも!的な、再会となる。 とはいえ、 わざわざ迎えにきてくれたあたりたいへん恐縮、ではあった。 Mちゃん宅では、奥様と2人の娘さんが笑顔で迎えてくれた。 それから奥様の手料理を囲みながら、近況から昔話まで一気に、会話が弾んだ。 オフレコもNGも関係なし、というか完全に私を肴に一杯、状況に突入である。 それはそれとして。 本当に来てよかったし、それぞれの来し方もとてもよかったな、 と、周囲に気づかれないように1人、ちょっぴりセンチな気分に浸ってしまった。 だけでなく。 Mちゃんの期待にお応えできるよう、更にがんばろう、とまた1つ決意させられた。 それにしても。 至れり尽くせりのおもてなしを頂き、短時間でお暇するつもりが深夜になり、 また、深夜にもかかわらず、駅まで見送りにきてくれた、 Mちゃんと奥様のまごころに、あらためて感謝の気持ちが込み上げる。 改札口で。 次はぜひ松山で、と再会を約しながら、 お互い見えなくなるまで、手を振り続けるのであった。 あぁ。旧友バンザイ、だなぁ。
上京2日め。 県民相談は、時と場所を選ばず。 対応を進めながらも企業訪問活動、の1日。 地元系、地場系、外資系。 まったく背景の異なる企業を、 いずれも、初訪問。 かつての飛び込み営業、が蘇る。 それぞれの事業の状況を伺ったが、 振り返って、 そこにある共通点に、思いを馳せる。 それは、お客様の変化に対する、 こちら側の変化、だ。 スピーディで、まさに臨機応変。 唸らざるを、得ない。 これこそ、企業にとって、 生き残りの必須条件、 と、 思い知らされる気が、した。 それは、 政治と行政が、最も学ばなければならない 急所、であろう。 私自身、シビアな民間の、 いわゆる適者生存という現場と現実を通して、 常に貪欲に学んでまいりたい、と思う。
早朝、党務にて上京。 党本部を起点に、午後、企業訪問。 考えてみると、大企業を訪れるのは久しぶり、 で、 最近の企業セキュリティというものに、ちょっぴり、浦島太郎状態を味わう。 面談は非常に有意義で、本日お邪魔した企業に関していうと、 懐の深さというか、ある種の余裕を感じると同時に、 その水面下の企業努力の凄まじさ、というものを思い知らされる思いがした。 みな必死、である。 こちらも。と、身が引き締まる1日であった。