朝、福岡市内のホテルを出発。 同期議員のお二方とともに、一路、海の中道奈多海水淡水化センターへ。 同センターは、福岡市の8市9町1企業団が構成する福岡地区水道企業団により運営される。 愛称は、まみずピア。 視察目的は、本県、特に中予の水不足問題解消の糸口を探ること。 同センターに到着すると、まずそのスケールに、驚いた。 福岡ドームの1.3倍という巨大な施設は、 目の前に広がる玄界灘から引き込んだ海水を1日50,000立方メートルの淡水に変えるという。 同圏域の水道給水量の10%近くを占める量、だ。 同センター職員の格段の配慮により、施設内をつぶさに見学させて頂いたが、 3D映像など、趣向を凝らしたPR演出により、淡水化のプロセスを、平易に学ぶことができた。 恒常的に水不足がつきまとう同地域だが、 1994年から翌年にかけて、実に、295日間にわたって給水制限が行われたという。 その年、海水淡水化の構想を得てから約10年、総工費408億円をかけ、供用開始となった、 ということだが、この事例。 本県に対して、様々なオプションを示唆してくれていまいか。 県市単独にせず、官のみにせず、民のみにもせず、水のみにせず、 つまり、コラボをキーワードにすることで、この事業、実現できないか、と思うのである。 さっそく研究を進めてまいりたい。 末尾に、同センター職員の皆様には、格段の御配慮を頂き誠にありがとうございました。 同行の議員お二方には、道中の迷子状態は結果オーライ、ということでご容赦くださいませ。
終日、福岡市にて。 愛媛県議会観光産業振興議員連盟一行19名の一員として、 午後、開催された研修会、「九州の観光戦略について」に参加した。 講師は、九州観光推進機構の高橋氏。 同機構は、九州7県の枠組みを超えて、 130の企業・団体など官民あげた連携で、24名の常設職員を配し、特に、 国内大都市と東アジアを戦略ターゲットとして、観光客の呼び込みに取り組まれて、いる。 聞きしに勝る、であった。ブログに綴るにも、俄かにはまとめきれない。 それほど中身の濃いレクチャ、であった。 道州制がもっとも近いのは九州、 と思わずにいられない先進が、随所に感じられたのである。 ここでの感触を知見に代えて、県政に反映を、と強く思った。 夜の交流会では。 諸先輩から様々なアドバイスを頂き、有難いひとときとなったが、 それにしても、 こと愛媛のことになると、皆様、熱い、というしかなく。 その熱さに、ヤケドされそうな某議員を横目に。 総力挙げて議会が団結できたらどれほど素晴らしい結果が出せるだろう、 と、ふと考えた、そして有意義な福岡視察初日、であった。
午前、長崎原爆資料館へ。 知らなかった悲惨な事実を頭に刻むとともに、館内にみなぎる不戦の叫びを、心に刻んだ。 広島も含め、1人でも多くの子供たちに、触れさせ、感じさせる機会を、と強く思った。 午後、福岡市へ移動し、大学時代の先輩を、訪ねた。 先日、息子さんをお預かりした、あのTさんご一家である。 昼下がり。 最寄りの駅で再会したTさんは、お約束の、スウェットパンツ。 大学時代と、いーっしょ。 これも、カッコ苦笑という感じだが、考えてみると、 ジーンズとか、チノパン穿いたTさん、というのも、 それはそれでちょっと残念、だったかもしれないと思うと、妙に納得。 いらっしゃーい、 と奥さまは、息子さんのRクンと瓜ふたつ、と、そんな当たり前に、妙に感激しながら、 しかも、あいかわらずの若々しい笑顔で温かく迎えてくださった。 さて、そこから。長ーい、会話となった。 何しろ、10数年ぶり。積もる話は、なんぼでも、あるのだ。 結局、10数時間にわたり、エンドレス。 まごころの手料理で、これ以上ないおもてなしを頂いた奥さまに、心より御礼申し上げたいし、 とっても素直なKクンとHちゃんの兄妹には、その前途にエールを送らせて頂きたいし、 そういう心温まる家庭を築かれたTさんに、バンザイ、と申し上げよう。 そして。10数時間の会話の中で。 木村。ブレーンを、つくれよ。 今日、いちばん、心に残ったひとこと、だ。 昔からさりげなく、ホシをつかまえ、急所をついてくる。 やっぱりTさんには、かなわない。それこそ、カッコ苦笑、なのである。 ��写真は、孔子廟の中庭に並ぶ高弟像。)
唐突に、かもしれないが、長崎市へ。 かねてから約束していた、大学時代の親友Oちんを訪ねた。 同市を訪れるのは、実は私、初めてで、なるほど、坂の多い町、であった。 ということは、と思わず。 この町のバリアフリー構想について、理事者のお話を伺ってみたくなったが、それはまたの機会として。 今や某大企業の支店長となったOちんの、それ相応の車に乗って、市内を見学。 仕事がら、というと僭越だが、またとない視察、となった。 その観光資源の豊富さ、力強さといい、新幹線延伸の呼びこみ熱、といい、 原爆体験を風化させない平和の希求、といい、 元寇、出島、島原の乱、亀山社中など、数々の歴史の舞台を街の風景にちりばめて。 訪れる人々へ、さまざまに薫るメッセージを、発していた。 愛媛県と、ほぼ似た人口規模の長崎県は、島しょ部数で日本一。 ちなみに、本県は第3位。 きっと同質の行政課題を抱えていようが、しかし、ならば共有もできるはず、と思った。 いわゆる、離島サミットのような形で、分野ごとの交流促進が可能、と気づく。 その他の触発、実に多々の、長崎であった。機会を作って頂いたOちんに、感謝、である。 ちなみに。 20数年ぶりに一献傾けながら、��ちん、全然変わってへんわ、カッコ苦笑、という安堵を覚えたが、 それは、きっと彼も同じだったに違いない。 お互いがんばろうぜ、お互い、ね と、小雨交じりの中、相変わらずのエールで散会、となった。 ��写真は、長崎市内の、孔子廟。)
12月議会、閉会日。 いつもの閉会と異なったのは、今回、 議員発の、愛媛県食の安全安心推進条例について、賛成・反対の討論が行われたこと、だ。 結果的に原案可決となったが、事態の背景やプロセスを含め、 私にとっては貴重な経験となった。 なぜなら、議員提案による政策条例は、今後ますます推進されるべきで、 そのためには何が必要か、という現実を目の当たりにしたから。 なるほど、政治は奥が深い。と余韻を残しながら、午後は県民相談。 夜は、伯方島へ。昨日と同じく、地域の課題をお伺いする。 お1人お1人、挙手を頂き。それは。 お約束の時間を過ぎても、決して止まることはなかった。 散会後、皆様をお見送りしながら。 今日頂いた諸課題は、そのまま、私たち公明党に対する期待なんだ、 と、感謝の気持ちが込み上げてきた。 励めよ自分、である。