午前、会派打ち合わせ。午後、県民相談にて市内各所へ。夜、支持者座談会にお邪魔する。
午後、上島町・弓削に到着。 “今度ゆっくり行かせてもらいましょーわい”、と、8/5のブログに綴ったが、 そんなゆるーいお約束を交わした時本さんを訪ねて、の日帰り旅だったが、 全国でも極めて珍しい、離島を結ぶ町、という、上島町の視察が主題、でもあった。 おとなりの因島で生まれた私にとって、弓削は同じくらいに、懐かしさと親近感を感じる、島。 よく松原に泳ぎにいったし、釣り、といえば、伝馬船で百貫島にいったことも懐かしい。 周辺の島々の多くの方が、因島の造船関連で働き、ちょっとしたショッピングは因島で、という時代であった。 だから、幼いころは、弓削や生名が、なぜ愛媛県なのか、実際は広島県じゃのに、と、不思議に思っていたものだ。 そんなことを回想しながら、因島の家老渡(かろうと)からのフェリーに、車で乗り込んだ。 面白いなぁ、この船、バックで進行しよる。と、思う間もなく、弓削へ到着。 時本さんは、待ってくれていた。 “ほまれクン、お久しぶり!” 論語ではないが、父の友あり、というのは、また楽しからずや、だ。 最初に、時本さんのご自宅を訪ね、 昨年お亡くなりになったという奥さまのご仏前に、お線香を上げ、追善の祈りを捧げさせて頂いた。 そして、時本さんの。 この間のご苦労をつぶさに伺いながら、心から労う思いで、お話をさせて頂いたのだが、 同時に、政治が解決しなければならない課題を、自身の宿題として与えて頂いた気が、した。 束の間のお邪魔の後、早速、弓削を1周することに。 まずは、上村町長表敬で庁舎を訪ねたが、あいにく東京へご出張とのこと。 では、と車を走らせる。思いのほか、道がよい。護岸も、よく整備されている。 するすると、弓削大橋をわたる。全長980mだから、あっという間、で、ちなみに無料。 佐島では、同島と生名島を結ぶ生活の足、生名橋を、2010年完成を目標に、着々と工事が進められていた。 あとは、生名島と岩城島を結ぶ岩城橋が完成すれば、4島をつなぐ上島架橋事業は完成、 なのだが、現時点では、岩城橋の着工年は未定である。 引き返しながら、今度は弓削の支持者宅を、訪問。あるお宅で、奇しくも、その、岩城橋の話となった。 同じ町なのに、車で簡単に行くことができず大変不便、早く岩城橋を完成させてほしい、とのこと。 ちなみに、彼らが車で行く岩城島へのルートは。 弓削からまず、県境をまたいで因島に船で渡り、そこから生口橋をわたり、 今度は生口島から船で渡って、県境をまたぎ直し、ようやく岩城島に到着、という広島県経由ルート、なのだ。 料金も1回3000円強、必要となる。同じ町内で?である。 周辺の島々を結んでくれていた汽船会社が、本年6月に運航が休止となり、こういう状況になった。 その他の要望もあるが、一番に望むことはそれじゃけん、ぜひ県で何とかしてほしい、ということであった。 愕然とした。実体経済の、囚人のジレンマ、を思った。 さあ、どうする。 約4時間の滞在で、2つの島をぐるり巡る中で。 受け止めた課題を、離島全体に、僻地全域に敷衍したとき、それはあまりにも難題、といわざるを得ない。 往路のフェリーでは、あれほど盛り上がった気持ちが、復路では、とてもシビアな心境に変わっていた。 けれど。 私が乗るフェリーを、ずっと見えなくなるまで、手を振って見送ってくれる時本さんを見ていると、 できるかできんかじゃない、やるかやらんかじゃ、 とまた、強い気持ちが込み上げてくるのであった。 上島町視察を同行頂いた時本さんに、感謝の気持ちを込め、私もまた、見えなくなるまで、手を振り続けた。 ��写真中央:手を振り続けてくださる時本さん。)
午前、特別委員会。 私が所属する地域活性化特別委員会では、「チャレンジする地域・人・企業に対する支援について」と題して、所管部局からレクあり。 午後、県民相談を受け、部局折衝。夜、党務。
午前、文教警察委員会。教育委員会より「教育免許更新制」に関するレクあり。 午後、夜ともに、党務。
終日、党務。選挙は国政だけでなく。