党務を終えて、17:00。今治市内で開催された、蛍雪会総会に駆けつけた。 いささかローカルな話になるが、蛍雪会とは、わが母校・今治西高校のOB会の名称、だ。 私は、今回が初参加とあって、内心恐る恐る、会場受付へと向かった。 “お世話になります。33期の木村です。” 受付に思い当たる顔は、ない。ならば、と、受付名簿を目で追うが、同期はいない。 緊張が、走る。 案の定、会場へ入ると、場内は、大先輩ばかりであった。その上、気まずい事に、私は来賓席へ誘導されてしまった。 身が縮む思いとは、このことだ。 そんなわけで総会は、個人的には極めて恐縮、の居心地に始まったのだが、引き続いて懇親会に入ると、一転。 各テーブルを大いに回らせて頂き、大先輩の方々との会話が、弾む、弾む。 その、同窓の絆に熱いものを感じながら、また、敬意と感謝に心も満たされながら、 何ともいえない、温かな居心地の余韻の内に、終了した。 すべからく、感謝すべきは母校なり、だ。 さて、話は変わるが、現在、母校は1学年8クラス、在校生徒総数959名、とのこと。 私たちのときの生徒数は、1,350名だったから、ざっと3割減。 むむむ、と、心に戸惑いと引っ掛かりを覚えたのは、 メディアが伝える少子化と、母校を通じ肌身で感じる少子化のギャップ、だった。 ましてや。 来る年も来る年も定数に満たず、母校の廃校を余儀なくされる方々のお気持ちは如何ばかりだろう、 と、現在、県が進める県立学校再編計画に思いを馳せ、7月初旬の常任委員会での、自身の発言を思い返した。 行政の課題解決は、常に、当事者から出発しなければならない、 という当たり前を、母校の現状に鑑み、あらためて意を強くするのであった。 最後に1つ、これまたローカルだが、��B会の名称である、蛍雪、の由来について。 それは、母校の校章にも校歌にも顕わされる建学精神であり、107年にわたり伝統脈打つDNAであり、私たち同窓の絆そのもの、だ。 それは、皆様ご承知の、中国の故事に基づいている。 晋の車胤が、貧しくて灯油が買えず、螢を集めてその光で書を読み、孫康が、雪を積んだその明かりで学問に励んだ、というあの有名な故事、 または、卒業式に歌われる、♪ほーたーるの・ひーかーり・まーどーのー・ゆーーき、である。 苦労して学問に励んだその2人は、後に、官僚として大成するのだが、 母校に学ぶ私たちも、将来どの道をゆくにせよ、この伝統精神を貫いていくならば、きっと行く手は照らされる、 そう確信して、倦まず弛まず精進せよ、そんなメッセージが、蛍雪の2文字に込められている、のだ。 そのOBの1人としては、未だ、甚だ未熟ではある。 であればこそ、今一度、蛍雪、の精神に立ち返り、大先輩に恥じないよう、公務を全力で、と心に誓った。 末尾ながら、準備と運営のお世話を頂いた皆様、素晴らしいひと時を、誠にありがとうございました。