見出しは、低調だった県立高再編議論―――。 今朝の地元紙は、そのように、6月県議会を振り返った。 記事によれば。 『 今議会は、定例会が年4回になった1956年以降、初めて支出予算案がなく、 県立学校再編は最大のテーマになるとみられた。 』 私も、である。そこで、 『 県民の声を代弁する議員がどう反応するか注目されたが、 議論は低調で議会の存在感を十分には発揮できなかった。 ・・・物足りなさは否めなかった。 』 とし、県議会の一員としては忸怩たる思いがしたが、 『 文教警察委員会ではやや活発で、木村誉氏(公明・新政クラブ)が、 「地域では今後への不安や、やるかたない感情が広がっている。 住民や当事者の声から出発しないと取り返しがつかないことになる」 と警告し、自民や民主の委員からも配慮を求める声が上がった。 』 というくだりには、思わず、低調とする評価に一矢報いた感を覚えた。 ここで私が、理事者に問うたのは、当事者に対する誠意、であった。 それぞれの地域で、どんな方々から、どのような意見を伺い、どういうルートで把握し、どのように受け止めたのか、と。 記事は、書く。 『 県教委は、計画案は再編対象校の校長や関係市町教委の意見を 参考に取りまとめており、当事者の意見をある程度反映したものだとして 理解を求めた。 』 とても残念、だった。 ので、つい、まくし立てるように述べさせて頂いた。 たくさんある選択肢が1つ減るのと、1つしかない選択肢がゼロになるのとは、全然、意味が異なる。 10年前に比べて、中学校卒業者数が約4割減という状況を、それぞれの地域は、どのように受けとめ、何を合意するのか。 もし、1つしかないわが地域の高校をどうしても残したい、様々な意見を集約した結果、それが、地域の総意とする。 そしたら、何としても生徒数を確保せないかん、そしたら、ここで食べていけるだけの経済活力が問題となる、 裏づけとなる経済の再生が必要だが、与件は厳しい、が、例えば、わが地域の主力産業は林業だから、 5年計画で何か新しい取り組みを開始しよう、行政と組んで何かできないか、民間で新規プロジェクトを立ち上げられないか、 そうした人材を全国から集めよう、それなら高校にも、森のマイスター養成科を新設してはどうだろう、 地産地消ならぬ、人材の、地産地育でいこう、そのために県にも、国にも協力をしてもらおう、 というふうに。 当事者、地域の思いから出発すると、そこに自立と主体が生まれ、それは試行錯誤を通して巨大なエネルギーとなり、知恵を集め、 やがて、地域改革へとつながっていく、と私は思っている。 大事なことは、当事者との合意形成、だ。統廃合は、その結果であろう。 記事は、次のように締めくくる。 『 「8月の最終決定までに県民の意見、要望の把握に努める」 との県教委の答弁が実を伴うものになるかどうか、 県議会は住民の立場からしっかりチェックしていく必要がある。 』 その通り、なのである。
6/24開会した第307回定例会、いわゆる6月議会が、本日、閉会となった。 補正予算を組まない6月議会は、52年ぶりという。 このことが何を物語るかというと、 私が生まれる遥か前から、当たり前のようにやってきたことが、 もはや当たり前にできなくなった、ということである。 ある人は、これを異常事態といい、ある人は、財政事情を考えれば当然という。 どちらも正しいに違いない。 しかし、だからといって、論戦を低調に終わらせてはならないのであって。 ちなみに、今議会開会前と初日に、私は次のように綴った。 ��県政チェック機能としての、今議会の質問戦は、各会派・議員諸氏が、どの分野にどのように踏み込むか、 そして、各種委員会では、議員個々人が、所管事項の何を取り上げ、どう切り込むか、 まさに、日頃の政務活動の視点と中身が問われそうで、大いに注目したいし、私も万全で臨ませて頂きたい」、と。 総括は、明日の地元紙に譲りたいと思う。 午後、北方領土返還要求愛媛県民会議、の第32回定期総会及び記念講演に出席した。 同会議は、文字通り、北方領土返還を目的として、 その促進のための啓発事業を行う民間団体で、全都道府県に設置されている。 定期総会にて議案審議を粛々と終えた後、袴田茂樹教授(青山学院大学)による記念講演が開催された。 タイトルは、「ロシアにおける2頭政権と日ロ関係」。 非常に興味深い内容だったが、私は極めて重要な示唆を、1つ、得た。 それは、ロシアに関する知見がほとんどない、こと。 北方領土は日本固有の領土である、それくらいは知っている。 が、 その根拠となる歴史的事実や背景を述べよ、とかソ連時代からの日ロ交渉の経緯を説明せよ、 とかいわれると、 お手上げであって、ダメじゃないか、と先ほどの感想が頭から離れないのである。 考えてみると、この問題。北朝鮮による拉致問題に似ている。 いずれも。 国家主権に関わる重大な問題であること、なのに、誤解と偏見がかって、なかなか理解が進んでいないし、 国民がシンパシーを共有するまでに至っていない、言い換えると、その関心の低さ、において。 幸いにして私は、拉致議連という、場、の触発により、拉致問題の本質に触れることができた。 ブログにも綴ってきた通り、これからも闘い続ける決意だ。 一方、この北方領土返還問題については、たくさんの資料とともに、大きな宿題を持ち帰ることとなった。 北方領土返還のために、私がなすべきことは何か。的確な判断と実践のために、しっかり研鑽を積んでまいりたい。 ロシア問題の権威といわれる袴田教授の主張から、その不倶戴天の敵といわれる佐藤優氏の主張まで。 ロシアのことを、もっと知らねばならない。 日本に身を置く、1人の政治家としても。ロシアと縁の深い松山に身を置く、1人の市民としても。 痛感するのみ、であった。 ��写真は、青山学院大学・袴田教授の記念講演風景。)
スゴイ中小企業が、ある。 売上高20億円あまりの町工場にして、利益率40%で、借入金ゼロ。 その会社は、株式会社 エーワン精密。 工作機械用の、金属部品の製造販売、の会社である。 日経ベンチャー(2008年6月号)を読んで、思わず唸った。 同社の創業者であり現在は相談役である、梅原勝彦氏の、中小企業家魂ともいうべき、その経営スピリットと実践に、だ。 それは、そうだ。あの日本電産を率いる永守社長が、脱帽するほどなのだから。 同社の経常利益率は、創業以来37年間の平均で、41.5%。粗利じゃなく、経常です、よ。 どうしてそのような高収益を続けられるのか、と聞く記者に対し、中小企業として利益に執着しているから、と梅原氏は答える。 20数ページにわたる、その秘密を読んでいると、それがケタ外れの執念であることが、わかる。 とはいえ。 儲かるなら何でもやる、とか、ボッタクリ、とかでは決して、ない。人件費を切り詰めたり、人材の使い捨てなどの理不尽も、なく。 第一、そうだとすれば、創業以来37年も、高収益を続けることはできないだろう。 そこには、確固たる梅原氏の中小企業経営哲学があり、十分な顧客満足に支えられている証左、が読み解ける。 梅原氏の経営は、ひと言でいうなら、非常にシンプル。コスト管理にせよ、人事管理、時間管理にせよ、殆どムダがない。 この、シンプル、即ち、簡単さは、あらゆる中小企業の参考になりそうだが、詳細は本誌に譲りたい。 私が綴るのは別の部分である。電通鬼十則、である。 それは。 経営のすべてがここにある、として、オフィスの壁に貼り出してまで心酔する、梅原氏のバイブル、なのであった。 おーー、だ。 電通ならずとも、広告業界に在籍する者が最初に必ず叩き込まれるもの、それが、この、電通鬼十則なのである。 無論、私も、当時そうであった。 が、全然、畑の違う、機械部品製造業にまで、ということは、この鬼は、ビジネスを問わず普遍的に通用するに違いない、のだ。 ならば、というわけで、ご紹介したい。 電通中興の祖といわれる、第4代・吉田秀雄社長が1951年に作られた、��電通鬼十則」。 1 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。2 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。3 大きな仕事と取組め! 小さな仕事は己を小さくする。4 難しい仕事を狙え! そして成し遂げるところに進歩がある。5 取組んだら放すな! 殺されても放すな! 目的を完遂するまでは...6 周囲を引きずり回せ! 引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地の開きができる。7 計画を持て! 長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。8 自信を持て! 自信が無いから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらがない。9 頭は常に全回転、八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ! サービスとはそのようなものだ。10 摩擦を怖れるな! 摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。 ぜひ皆様にご参考になれば、と願うとともに。 つねづね。 行政は公共サービス業、であり、議員は生活プロデューサー、と、確信してやまない私は、 ひょんなことで目に飛び込んできた、この電通鬼十則に。 自身の仕事に置き換えて、あの頃の気持ちにダブらせて、 さあ、やるぞ、やらいでか、と思わず、激しく、心を奮い立たされたのであった。
午前、県民相談対応。 午後は、今週末に開催される、公明党四国夏季議員研修会の準備。 恐縮にも、活動報告のご指名があり、その資料作成、といったところである。 下書きを推敲して、よし、あとは清書だ、と、おもむろにパソコンを立ち上げる。 実に、久しぶりのパワーポイント、なのだが、その2007年バージョンに、思いきり戸惑ってしまった。 以前、ここにあったはずのボタンが、なーい。あれがないと、ちょっと困るんですけど、 たくさんのタブを開いて、こんなところにおったんか、という感じで、 あー、道具というのは日進月歩だなぁ、ブランクが長すぎると浦島IT太郎になってしまうぞ、と思う。 考えてみると。 今から20数年前、世の中にワープロが普及し始めた時、これはすごい時代になったなー、と感じたものだ。 タイプライターの機能だけ、だったけど、線も引けるし、記号や表も描けるし、色もつけられる。 その上、フロッピーディスクで保存ができる、というのは実に斬新で。 それまで、書類はすべて手書きだったし、コピー用箋とか、鉛筆・消しゴム・ものさしは、必需品だった。 書いては消し、消しては書きながら、作成した書類は、その人ごとに味があったし、温もりみたいな温度を感じることができた。 フロッピーなんてないから、綴りとじとか、バインダーで、原本保存。 いきおい、引き出しも、ロッカーもかさばった時代だった。 あれから20年以上、経ち。 私たちの、書類に関する文化様式は、完全に変わってしまった。 今では。 書類を手書きで作成することは、まず、ない。 コピー用箋も買わないし、下書き段階で鉛筆・消しゴムは使っても、 ものさしを使うことはない、というか、ものさし自体、あったっけ、と思うほどである。 そして、原本はすべて、データ保存。 指でつまめるほどの小さな記録媒体で、ロッカー数台分の書類を、どこへでも持ち運べ、瞬時に世界中へ送受信できるようになった。 便利になった、この便利さはもう手放せない、後へは戻れない、 と思うほどに、何か大きなものを失ったように感じてならない。 アナログから、デジタルへ。 その、急速な時代の転換が、私たちに与えた影響は、 文化様式のみならず、もっと人間にとって根源的な何か、に対してであろう。 とてつもなく便利で、とてつもなく危険な、時代。と、脳裏に感じるサイレンに。 パソコンに向かいながら、心して、政治に取り組まねば、と思う。
今日は、常任委員会の、日。 私が所属する文教警察委員会は、 午前、県教育委員会、午後、県警察本部、 の順で、それぞれを所管して開催された。 まず、県教育委員会に対して。 会派の笹岡議員の一般質問を受けて愛媛国体関連、そして、県立学校再編整備計画、学校耐震化促進、 学校支援地域本部事業に関して、それぞれいくつか質させて頂いた。 午後の、県警察本部では。 高齢者の交通死亡事故、ネット犯罪について、対策その他の要望を質させて頂いた。 詳細は、明日の朝刊もしくは会議録に譲りたい。 引き続き、15:30からは、議員親交会の主催による講演会が開催され、参加した。 講師は、フロリダ大学准教授の、藤田士朗医師。タイトルは、「修復腎移植について」であった。 修復腎移植、とは、いわゆる病気腎移植のことを指すのだが、 藤田医師に言わせると、 病気の箇所を修復したという意味では、病気ではない、という意味で、正確を期した表現を使いたい、とのこと。 であるので、ここでは修復腎移植と綴る、が。 今、日本では、本県の市立宇和島病院・宇和島徳州会病院にて万波医師らが行なった修復腎移植手術が問題となっている。 それは、 現時点で国が認めていない手術だからであり、かつ、保険が適用できないはずなのに、これを不正請求した、 というのが、厚労省・日本移植学会の見解で、 今後、監査結果によっては、保険医や保険診療機関の取り消し、といった制裁が行なわれる可能性がある、という状況なのだ。 それに対して、藤田医師の結論は、極めて明快、だった。 簡潔にまとめると。 医学的見地から言えば、修復腎移植手術のほうが、透析治療よりも生存率が高い、というのは明らかで、国家的医療費抑制にも大きく貢献できるし、 腎不全患者の立場に立てば、透析治療にかかる拘束から解放され、生活の質と満足が高まる。 つまり、 患者本位から出発し、その本人と国家利益双方に資するのであれば、行政はためらうことなくそうした政策を拡げるべき、というものであった。 知らなかった。そして、無知であることは無責任、と知った。 ひと頃は、マスコミを挙げて連日、バッシング報道が続いたこの問題。つくづく鵜呑みはいけない、事実の検証を怠ってはならない、と痛感した。 そうしてみると。 現実生活に直面した判断が問われる毎日にあって、私の場合、見ることも、聞くことも、調べることも、山のように、ある。 怠らず知見を磨くべし、である。 ��写真は、フロリダ大学准教授・藤田士朗医師の講演風景。)