午後、松山市内にて開催されたKHJ愛媛県こまどりの会定例会に出席。 今日は、その全国組織である、「全国引きこもりKHJ親の会」の、奥山雅久代表が見えられ、約2時間にわたる、ご講演を伺った。 そもそも私が、 社会的引きこもり、といわれる、この問題の、根深さと深刻さについて詳細を知ったのは、 彼と埼玉新聞記者との共著である��ルポひきこもり」(埼玉新聞社刊)によって、であった。 そこには、当事者とご家族の壮絶な苦悩が、生々しい筆致で描かれており、��ご参照⇒ http://www.saitama-np.co.jp/main/rensai/kazoku/hikikomori1/osirase.html ) 読後しばらく動けないような衝撃を受けたことを、今もはっきりと、憶えている。 また、「全国引きこもりKHJ親の会」については、��ご参照⇒ http://www.khj-h.com/ ) 奥山代表ご自身が、引きこもった息子さんとの葛藤を通して、 これは、個人や家族の問題を超えて、社会問題というべきであり、次世代問題だ、 と、喝破されたところから1999年に立ち上げられたものであり、 現在では、全国42支部6,410家族に広がっている。 さて、講演について、だが。 終始、謹厳、というべき緊迫した空気に包まれた。 冒頭、奥山代表から、皆さんにお願いがある、として、 “この問題をわが家の問題だけ、とするのではなく、ぜひ社会のために、次世代のための問いかけとして、活動に取り組んでほしいのです”、 との、メッセージがあった。 その意味の強烈は、きっと彼にしか発信できないものであったろう。 ガンで全身を蝕まれ、財産もすべて投げ打ち、残された人生のすべてを賭けて、 社会的引きこもり問題の解決のために、全国をかけめぐり戦われる奥山代表の迫力に、 2時間は、あっという間だった。私の手元にある講演メモは、20ページを超えた。 今、全国で。社会的引きこもりの人口は、約100万人といわれているが、 その長期化すなわち、当事者と家族の高齢化と、拡大再生産的に純増推移しているところが、深刻の本質、と彼はいう。 そして。 これが200万人に膨れ上がる頃には、もはや日本は、経済的にも、社会的にも、立ち行かなくなる、 それでは遅すぎる、と、警告を発し、待ったなしの、官民挙げた取り組みの必要性を、説く。 当事者を調べたKHJと医療機関による分析結果からも、社会的引きこもり問題は早期対応が極めて重要で、 長期化するほどに2次、3次障害を誘発し、当事者が廃人化する可能性が高まる、のだそうだ。 個人にとっても、日本にとっても、存続の危機ともいうべき喫緊の事態に、 したり顔で情緒論を語る学者も、腰の重い政治家も、行政も、その体たらくを一喝され、 さらには、 世間体を気にして思い切れないご家族に対してまでも、厳しいアドバイスが、続いた。 胃がキリキリと痛むほどに、強烈な講演、であった。 次回の、9月議会。4回目の質問に立つ私の、なすべきは決まった。 奥山代表と、KHJ愛媛県こまどりの会の、皆様の思いを代弁させて頂くこと、と共に、 この、社会的引きこもり問題解決を、1mmでも具体的に、前進させること、だ。 そのための準備を、今日より進めてまいりたい。 そして、もっともっと現場に足を運び、耳を傾け、当事者各位の心に飛び込んでまいりたい、と思う。 ��写真は、身ぶり手振りも迫真の、奥山代表の講演風景。)
午後、松山市内にて。第20回松山ヒューマンネットワーク講演会、に参加した。 同ネットワークの稲田代表によると、12年前、地元同級生が集まった際、 40歳になったのを機に、何か社会貢献ができれば、との思いから会を立上げ、 毎回多彩なゲストをお招きしながら、今回、第20回を迎えることになった、そうだ。 その絆と、取り組みの持続に敬意を表したい、と思った。 さて、今日の講演会は、『種になりたい~地雷原の村で自衛官OBが見つけた第二の人生~』 と題して、地元愛媛出身の、知る人ぞ知る、日本地雷処理を支援する会(JMAS)・高山良二さん、が講師であった。 ��ご参照⇒ http://www.jmas-ngo.jp/page/ehimesibutop.htm ) 高山さんのご活躍は、かねがね存じていたが、見聞きするのと直接感じるのは、まったく別だ、ということを痛感した。 ご承知の通り、カンボジアを始めとした世界各国で、 戦後の後遺症といわれる地雷と不発弾の爆発音が、今も、鳴り響いている。 そして。親を失い、手足を飛ばされる人々が、後を絶たない。 そうした現状に対して、地雷等の不発処理に取り組むのがJMASで、カンボジア地雷処理専門家として活躍されるのが、高山さんである。 地元では、尊敬するお父さんの意味で、ター、と呼ばれるその風貌は、命がけの職場を感じさせないくらいに、柔和で穏やかであった。 そのアンバランス以上に、話はもっとサプライズだった。 全部を紹介しきれないが、一部だけご紹介すると。 彼が実践しているのは、住民参加型地雷処理活動、である。 普通、そんな危険な活動に住民を巻き込むのはどうか、と考えられがちだが、逆に住民参加型スタイルをとることで、 助ける側と助けられる側、ではなく、共に助ける側として、共同と自立の精神性を伝えたいというのが、その理由だそうだ。 それくらいカンボジア人は。あまりにも大らかで、人を疑わない国民性、なのだそうだ。 そんなエピソードとして、井戸の話をされた。 日本の支援機関・団体から、たくさんの井戸が贈呈されたが、井戸は、常にメンテナンスされないと、枯れてしまうものだ。 最初はもの珍しさから、井戸の周りに人が溢れたが、少し具合が悪くなると、修繕の仕方を教わるのではなく、それを捨て、みんな新しい井戸へと移っていくのだそうだ。 結局、60機贈呈された井戸の多くは、枯れてしまった。 だから、彼らの精神に自立心を喚起させることが、より重要なのだ、と。 高山さんは、日本の支援機関・団体に対しても、贈りっ放しは自己満足にすぎない、と、そのことを訴える。 贈った後、その支援によって、彼らと、かの国がどうなったか、というところまで見届ける、愛情と責任を、ぜひ持ってほしい、と。 それにしても。 あまりにも長きにわたる軍事政権と、内戦から解放された、カンボジア人たちは、 500万発ともいわれる危険な地雷・不発弾の隣り合わせで、また、いろんな物資が足りない中で、それでも、 戦争がない今は幸せです、と、 私には世界で一番輝いて見えるほど、満面の笑顔で、答える(写真)。 たしかに、日本は“豊かな”国、かもしれない。 でも、“豊かな人”の国は、むしろカンボジアの方だ、と、思った。 高山さんの講演の主題も、そこにあった。 日本人よ、心に風船を、と彼はいう。風船を膨らませるものは、日本人が本来持つ優しい心だ、と。 少しだけ他人を思いやる心、あるいは、惻隠の情。 凶悪事件が耐えない今の日本社会は、1人1人の中にかつてあった、そんな心の風船が、しぼんでしかも、放置されてしまったからではないか。 政治は、一生懸命、枝葉を直そうとしているにすぎない、幹を直さないとダメ、と彼はいう。 優しい心を、もう一度、国民1人1人に吹き込まない限り、日本という国そのものが、枯れてしまう、と憂う。 国際貢献を通して彼の目に映る、現在と将来にわたる日本の憂いが、 政治に携わる1人として、心に迫り、胸に響き続けた。 人生をかけて、現場に立ち続ける人の言葉は、重い。 聞きっ放しでは決して済まされない、私にできる責任の果たし方は何か、 ということを考えながら、帰途に着く。 また1つ、大きな宿題を頂いた講演会に、心より感謝、である。 ��写真は、そのスライドを見た瞬間、世界で一番美しい、と感じた、カンボジア人母子のとびきりの笑顔。)
早朝、久万高原町へ向かう。今日は、街頭遊説の、日。 いつもの小鳥のさえずりに加え、セミの鳴き声が、シャワシャワとにぎやか、だ。 キンチョーの夏、日本の夏、というCMが、かつてあったが、 セミこそ、日本の夏、である。 まだ私が小学校の低学年だった時、セミから、命の不思議、を学んだことを思い出す。 当時、私の家の周りは、みかん畑だった。 梅雨が明ける頃、土の中のセミの幼虫が、夜半ぞろぞろと、木に登ってくる光景を観察した。 示し合わせたかのように、一斉に、である。不思議、だった。 そして、登ってきた幼虫を手に取ると、薄茶色で、怪獣のような格好をして、しかも柔らかい。 面白くって、納屋にあったいぐりを持ってきて、取れるだけ取って、家に持ち帰った。 辺り一面、いぐりから這い出した、ニイニイゼミや、クマゼミや、ツクツクボウシの、幼虫だらけになった。 そして、朝、その鳴き声のやかましさで目覚めた。部屋中、♪セミ、セミ、セーミ、ミー、だ。 そして、柱に無数の、抜け殻。窓を開放すると、たちまち、勢いよく空へ飛んでいった。 セミを見ながら、父親は言った。 “セミはのー、土の中で7年くらい過ごしての、たった1晩で、成虫になっての、あと、1週間くらいしたら、死ぬんじゃ。” げっ。 何も知らない私は、セミは、普段はどこかに隠れていて、 夏になると出てきて鳴くもの、とばかり思っていた。 あと1週間で、死ぬ。本人、知ったらどんな気がするじゃろか。 かわいそう、と、命の尊さを、幼心に知ったのである。 そんなことを思い出しながら聞くセミの大合唱は、まさに命の謳歌。 生きる喜びを精一杯、おもいっきり、表現しているのだ。 セミの話が、長くなりすぎた。 AM9:00。地元党員の皆様とともに、三坂峠にて第一声。 私からは、先ごろ閉幕した通常国会における、公明党の取り組みと実績についてお訴えする。 学校耐震化の促進、クラスター弾全面禁止条約の批准、クールアースデーの創設、国家公務員制度改革など、 そして、党員の皆様には、長寿医療制度の改善内容などについてご報告を頂いた。 間違いなく、今日は猛暑日、と9時の段階で確信したが、まさに、その通り、となった。 体感温度がグングン上昇する中、私たちは、県下随一の広大な町を、計11ヶ所、回りに回った。 そして、語りに語った。セミに、負けないように。 たくさんの方のお手を振っての応援が、夏の日差しとともに、眩しく感じられた。 なかんずく。 猛暑にも関わらず、汗まみれになりながら、同行頂いた党員の皆様に、感謝が尽きない。 いつも本当にありがとうございます。 そんな、帰り道。 車のバックミラーに映る私の顔は、すっかり、こんがり、トースト色になっていた。
午後、党会合。夜、支持団体会合へ参加。 連日のメディア報道の通り、いよいよ政局の焦点は、次期衆院選、となった。 特に。 小選挙区に候補を抱える各党とも、既に臨戦態勢を整え、活動が活発化している。 私たち公明党も、負けるわけにはいかない。 私自身、この夏。 1人でも多くの方とお会いして、1人でも多くの方と対話を進めてまいりたい。 その意味で、今日の終日にわたる会合は、重要であった。 何のため、という原点を再確認させて頂いたからである。 選挙は、勝負、だ。わずか1票差でも、負けは負け。 冷徹なほど、峻厳である。だから、勝たねばならない。 が、選挙に勝つことそれ自体が目的ではない。選挙に勝って、何をするのか、にこそ目的がある。 私たちは、生活者の声を代弁し、政治に反映させることで、庶民が、当たり前に、普通に、暮らせる世の中にしたい、のだ。 普通に子どもを産めて、安心して子育てができて、きちんと教育を受けられて、働けて、休めて、 病気になれば治療も受けられて、災害や困難は助け合って乗り越えて、 ご飯は3度食べられて、趣味も文化も楽しめて、安心して老後を過ごし、人生を全うできる、 そんな普通の生活を誰もが営むことができる、日本とわが地域にしていくこと、これが目的である。 それが、現実は、そうなっていない。 そんな庶民の、慎ましいとさえ言うべき、普通の願いを、 政治家も中央官僚も、全然わかっていないどころか、まったく逆じゃないか、 というのが、多くの国民の声であり、臨界点にまで高まった、今の政治不信の本質であろう。 私たち公明党は、 そうした多くの、庶民の声を代弁するために、存在し、そのために働く、議員集団である。 1人でも多くの庶民の声を代弁し、1つでも多くの政策を立案・実行し、 そして、1人でも多くの生活者満足につなげる。 換言すると。 1人の声に始まり、1人の満足に帰す、その間のすべてが、私たちの仕事であり、 その仕事の大きさは、有権者の皆様のご支持の大きさ、 つまり、選挙で決まる、のだ。 政治は数、数は力、と、昔から言われるが、まさに、選挙は、政治に力を与える手段である。 その手段は、有権者に与えられ、有権者は、誰に、その力を与えるか、という権利を有する。 庶民が、当たり前に、普通に、暮らせる世の中にしたいから。 その、1人でも多くの皆様に対して、私たちは、対話、を重ねてまいりたい。 そうなっていない現実の1つ1つに、このように取り組みたい、ということを、お話し、お伺いさせて頂きたいのである。 折りしも、高校野球の地方大会はクライマックス。 彼らの全身全霊をかけて戦う、あのひたむきな姿が、それが勝っても負けても、私たちの感動を誘うように。 私も、この夏、ひたむきに対話に挑戦してまいりたい、と思う。 ��写真は、久万高原町・西谷にて、清涼と癒しの、清流。)
この日は終日、県民相談。 そのうちの、とある壮年経営者との対話にて、 “社会貢献”をテーマに、話が盛り上がった。 ちなみに、グーグルで“社会貢献”を検索すると、ヒット数は766万件。 あくまで目安、だとしても、国民の関心は決して低くないし、 確かに、身近で、そうした取り組みが増えてきているな、と感じるにつけ、 その広がりと高まりには、“時代の意思”みたいな力を感じてならない。 さて、社会貢献、である。 その活動範囲は、 個人単位で行われるボランティア活動から、企業が行う慈善事業や寄附活動、また、 特定事業を目的とした、NPOやNGOなどの非営利活動など、あまりにも広く、かつ、国際的な沃野となっている。 が、新旧大小、どの社会貢献活動にもいえることは、その出発点が、 困っている人たちの力になりたい、お役に立ちたい、という意思、だ。 振り返ると、いつからか、社会活動というのは、民と官の二元論になっていた。 民間、と、行政。 つまり、 社会的ニーズの実現は、基本的にマーケットメカニズムに委ねる、とし、資本主義のルールに則った、民による活動と、 ビジネスではリターンが見込めず提供できない社会的ニーズは、公共財・サービスとして行政が担うべき、とした、官による活動と。 ところが、である。 私が今、感じるのは、最近の社会貢献活動の多くが、 民でもなく、官でもない、あるいは、民ともいえ、官ともいえる、 その二元論の“間”に存在し、広がっている、ということ、だ。 そこに、先ほど述べた、“時代の意志”を感じるのであった。 したがって、社会の利益に資する社会貢献活動は、 従来の、民と官に続いて、もう1つ、有志、を加える必要がきっとある、のだ。 言い換え、つけ加えると、それはほんのちょっと昔、それぞの地域や社会に、厳然と、あった。 コミュニティとしてのセーフティネット、だ。 今、時代は新たなカタチで、それを取り戻そうとしている、と思えてならない。 どんな社会貢献活動も、その出発点は・・・、と、先ほど述べた通り、ある志、から始まる。 民にも官にも、まだ顕在化していないけれど、そこに確かに社会的ニーズまたは課題がある、と感じ、 その実現や解決を志す人たちが、自らの取り組みで、それをサポートしよう、 そうした、志、である。 その志のもとに人が集まり、取り組んだ活動が、社会から満足され評価される、そこを目的とした社会貢献活動。 壮年経営者の方との対話から。 これからの政治は、今まであまり光の当たらなかった、 この第3ともいうべき、有志、の領域に、スポットをあて、 その社会貢献活動インフラの整備と強化、そして、点ではなく、 面としての連携機能のしくみ化、に取り組まねばならない、そんな意を強くさせて頂いた。 壮年経営者の方の志、の実現への尽力を含め、やはり、知恵は、いつも現場にある、と思った。 ひとときの貴重な対話に、心から感謝申し上げたい。 ��写真は、久万高原町の、美しすぎるほどに、青い空と白い雲。)