快晴の早朝、息子とともに自宅を出発し、 向かったのは、野忽那島。 いつもご支援くださる皆様とともに、野忽那島で真夏を楽しむ会、 とでもいうような、親睦の集いに参加するためであった。 AM7:00、高浜港で雲峰松山市議と合流し、フェリーに乗り込む。 お約束の、「白いかおりの島へ」が流れる中、満員御礼状態の船室を横目に、デッキへ上がると、 空と海の間で、潮風に吹かれ、波間に揺られ、キラキラと反射する海の煌めきを見渡しながら、 最高なんだな、コレが、と、島育ちの私は思わず、血が騒ぐのであった。 ほどなく、野忽那島に到着。 参加者はそれぞれ準備にあたり、雲峰松山市議と私は、地元の皆様へのご挨拶に伺った。 今日の集いの主催者お2方にご案内を頂いたのであるが、 ジリジリと容赦なく照りつける日差しの中、1軒1軒、また1軒と、島のほとんどを、回らせて頂いた。 最初の10軒で汗だくとなり、最後は、全身ずぶ濡れ状態、である。 この、久々の、アドレナリン全開状態は、まさに昨年の選挙以来であり、何とも懐かしい心地よさ、だ。 おかげさまで、市政から国政まで、島の方々の様々なご要望を伺えたし、 この間の私たちの取り組みについても対話とご説明をさせて頂くことができた。 ご案内を頂いたお2方に、重ね重ね、感謝を申し上げたい、と思う。 さて、ご挨拶回りを終えて会場に戻ると、なんと美味しそうな、匂い。 地元でとれたての海の幸、がズラリ、スイカや桃など夏の幸も所狭し、で。 松本松前町議のご家族たちも合流し、ここからが、野忽那島で真夏を楽しむ会。 舌鼓を鳴らしながら、打ち解けた雰囲気の中、歓談がはずむ、はずむ、楽しいひととき。 ほれ、できたで~。 と、大振りでアツアツの、サザエの壺焼きを、5つも6つも食べたのは中学生のとき以来だし、 噛み切れないほどの、ぶっといタコ天は、小学生以来じゃないかな、 と、横にいる小学生の息子を見やると、 トウモロコシはいくつも平らげながら、サザエには手をつけていない。 おしりの渦巻きが気持ち悪いから、と、ボソッと私に打ち明けるのだが、 私も最初はそうだったことを思い出し、長い目で、何でも有難く食べられる子に、と思った。 さて、食事の後は、釣り、である。 優しいおじちゃんたちに、手取り足取り、手順を教えて頂きながら、 初めて経験する、釣りの面白さにすっかりはまった息子であった。 その釣果は、2匹。アジと、メバル。 遅れて参入した私は、昔とった杵柄も甲斐なく、カラコゲ3匹。 見事な、完敗である。 と、楽しいひとときは、あっという間であって。帰りのフェリーが、島の、山の端から見えてきた。 大急ぎで後片づけを済ませ、帰途に着く。 見送る方々と見送られる私たちに降りそそぐ、昼下がりの灼熱に。 やっぱり夏は、こうでなくちゃ、と思ったし、 人と人のふれあいは、こうでなくちゃ、と、英気も新たに、思い返すのであった。 このたびのお世話を頂いた稲垣様・舛久様はじめ皆様に、心から感謝を申し上げたい。 最高の夏の思い出を、本当にありがとうございました。
午後、市内で開催されたえんむすびプロジェクト第2弾、 “アトリエブラヴォが描く松山��そりゃあ、もう、わっくわくですよ~” というイベントに参加した。 主催、というか、仕掛け人は、NPO法人ユニバーサルクリエイトの、佐伯さん。 本ブログで何度もご紹介させて頂いた、熱血漢であり、 何に対して熱いかというと、ユニバーサル社会の実現に対して、で、 それはどんな社会かというと、障害の有無や、年齢、性別に関係なく、 すべての人がそれぞれの能力を発揮しながら、共に支えあう、という社会、だ。 その志において完全に同意する私もまた、佐伯さんとお会いするたびにヒートアップするし、 その都度頂く、宿題の解決を考えながら、 わが国の、厚労行政の途方もなく大きな壁に、いつも頭を悩ませるのである。 さて、今回のイベントは、福岡と松山のアトリエによるチャレンジドの競演、 ということで、 絵画、オリジナルグッズ、手織り製品、皮製品、木工品など、ユニークでクリエイティブな作品がズラリ勢ぞろい、 の、展示販売のほか、書道作家「てらきち」さんの書道ライブ、 「愛が和するYUI GREEN」さんと マイ箸をつくろう」ワークショップなど、前回以上に多彩な内容で、会場は、多くの来場者でにぎわっていた。 あらためて、チャレンジド各位のクリエイティブセンスに脱帽、したし、 彼らの活躍の場、その能力を発揮できる機会、を拡げることは、そのまま、GDP増大にも経済成長にも資する、と思った。 障害者雇用促進法によれば、常用労働者数56人以上の事業主は、 たとえば、民間企業は1.8%、国と地方公共団体は2.1%、というふうに、 障害者を一定割合以上雇用すべき義務を負うことになっているが、それができている企業の割合は、 本県の場合、最近5年間でみると、50%前後で推移している状況であって。 法定雇用率だけでなく、チャレンジドの自立と就労支援に、もっともっと光を当てなければならない、状況なのである。 そうした、目の前にある厚労行政の、いくつもの大きな壁を、志を同じくする、あらゆるクラスターをつなぎ、突破し、 必ず、ユニバーサル社会を実現させてまいりたい、と思う。 チャレンジドと、私たち自身と、未来の子どもたちのために。 各アトリエスタッフの弾ける笑顔に、かえってこちらが励まされるように。 会場を後にしながら、ググッと、心に誓うのであった。
夜、支持者会合に参加させて頂く。 底抜けに明るく、楽しいひと時は、暑さを吹き飛ばすほど、であった。 明確な目的と目標のもと、 心1つに団結した、その意気軒昂たるや、 すばらしい、 という以外なく、 およそすべての会合は、中心者の一念で決まる、 ということをあらためて学ばせて頂いた、大切で貴重なひと時、であった。 皆様に、心より感謝を申し上げたい。 その会合の中で、久々に、常勝の空、を、歌った。声の限り。 何それ、という方には、極私的で恐縮だが。 例えば、それを聴くとこういう風になる、歌、である。 がむしゃらでまっすぐで、不器用で正直で、青雲の志に燃えた、あの青春時代が蘇り、 たとえ、心が折れそうに大変な状況であっても、絶ぇーーっ対、負けへんのんじゃー、と闘志が沸き、 涙あふれんばかりに、人の有難さとか仲間の温かさに感謝が込み上げ、 誓いというべきゴールに向けて、今この瞬間、前進の気概が満ち溢れてくる、そんな歌、だ。 皆様にも、きっと、おありだろう、そういう、かけがえのない、歌、 が、あれから20年経ち、今日聴くとはまったく予想もしない中で、耳に飛び込んできた。 イントロの時点で。 私の中に、条件反射的化学反応が、起きた。 こういう風になる、とした先述の通り、である。 年齢とか、状況とか、関係あらへんでぇ、過去も未来も大事やけど、一番大事なんは今、この瞬間やでぇ、 世間体とか立場とか、よく見られようとか上手くやろうとか、何をチマチマやっとんねん、 あのときの誓いは、そんなんちゃうやろ、 人生は強気でいかなアカンし、勝負は勝たなアカン、せやから、誓い忘れたら、アカンねん。 と。 忘れもしない、私の原点は何であったか、ということをあらためて、 その風景や、匂いや、温度とともに、思い出させてくれた、ひと時であった。 いざや前進、恐れなく。明日から又、初心の第1歩を、と思う。 ��写真は、久万高原町の、夏空。)
終日、政務。 夕方からは、松山市内にて開催された、 ��北京に輝け ビーチクイーン北京五輪 佐伯美香・楠原千秋選手激励会」、に参加した。 両選手が出場するのは、女子ビーチバレー。 ビーチバレーは、1996年のアトランタ五輪から、正式種目となった競技で、比較的歴史は浅いが、 最近は、浅尾美和現象ともいわれるほど、メディア報道がワイドショー化し、過熱していることもあり、 あー、あの水着のバレーね、と、頷かれる方もきっと多いのではないかと思う。 そういう意味では、華やかな印象を与える競技だが、おっと、どっこいである。 砂浜で、何かしらスポーツのトレーニングを、やったことのある人にはお分かりと思うが、 あんな柔らかな足場で、普通は、走れないし、止まれないし、跳べない。 そんな中で、バレーボールを、しかも、2人で行うということは、 ボールを拾ったら打つ番、打ったら拾う番、 で、全然休めないじゃないか、と、こちらが心配するほどに、過酷な競技なのである。 ビーチで普通にバレーボールをやってるように見えて。 やはり、選手たちは、ただ者ではない、強靭な身体と並外れた運動能力を持ったアスリート、なのだ。 さて、佐伯・楠原ペアに話を戻すと。 今月17日、フランスのマルセイユで行われた、ビーチバレー女子ワールドツアー第11戦のフランス・オープンでメキシコのペアを2-1で破り、念願の五輪出場権を決めたのである。 佐伯選手(ダイキ所属)は、2000年シドニー五輪以来の出場で、6人制バレーでのアトランタ五輪を含めると3度目、 楠原選手(湘南ベルマーレ所属)は、2004年アテネ五輪に続いて2度目の五輪出場、となる。 激励会の冒頭で、ダイキ㈱大亀会長から、 日本初の、プロビーチバレーチーム・ダイキヒメッツを結成した当時の秘話、 佐伯・高橋ペアで見事4位入賞した、シドニー五輪時のチーム強化エピソードなど、 約11年にわたるクラブの歩みが紹介され、 その間の、関係者の並々ならぬご苦労を労いながら、北京五輪にかける両選手に、力強いエールが送られた。 佐伯・楠原両選手とも、松山出身とあって、終始、地元の期待と熱気に包まれながら。 バレーを始めて25年、ビーチを始めて12年の集大成としたい、 との、佐伯選手の決意発表で、激励会は閉幕した。 さあ。次は、いよいよ世界への挑戦の開幕、だ。 8/9から始まる1次リーグにて、両選手の、熱戦の火蓋は切られる。 お2人の活躍をテレビの前で、 県民の皆様とともに、手に汗握りながら、応援してまいりたい。 がんばれ、佐伯選手、楠原選手! ��写真:左が佐伯美香選手、右が楠原千秋選手)
午前、部局折衝。午後、今治市での視察。 そして夜は、支持者会合に参加させて頂いた。 うだる暑さの中をフル回転、の今日は、 全身に流れるような汗をかき、心にも大量の汗をかいた1日となった。 正直、すっきりしないことが多かったのだが、 有難いことに、そういうとき私には、いくつもの、依処、がある。 わかりやすくいうと、駆け込み寺、的存在。 それは、大阪に、高松に、そして、愛媛にあって、 何でも包み隠さず相談できる、人生の先輩であり、 ビシッと原点に立ち返らせてくれる、軌道修正の名人であり、 かといって、厳しいだけではない、 気持ちと心をポジティブにしてくれる、励ましの達人であり、 そして何よりも、 欠点多いこんな私を、最大に理解してくださる先輩方である。 なんと有難いことだろう。 そんなふうに。人は、人の間にあって人間なのだ、と、心から思う。 さて、帰宅後。 ふと頭に浮かんだ、高松の先輩に、電話してみた。 “おーーー、ほまれちゃん久しぶりー、元気ぃ?”“えぇ、おかげさまで!先輩こそ、元気ハツラツぅ?” “あたりまえじゃん、(がっはっは!)”“ですよねぇ、(わっはっは!)” と、会話のさわりで、もう大事な用件は、済んでしまったのである。 20年近くもお世話になっていると、もう、あうんの呼吸、なのである。 元気じゃないから電話をかけてきていることくらい、先輩は、百も承知の上、だし、 こいつはオレに電話することで勝手に元気になるヤツだ、と、きっと思っておられる、のである。 事実、そうだし。 たわいもないといえば、たわいのない、先輩とのひとしきりの会話を終えて。 すっきりしない1日を、すっきりと、感謝で終えることができた。 その、すっきり。辞書で引くと。 わだかまりがなく、気持ちのよいさま、残るものが何もないさま、だそうだ。 宿題の多い明日も、辞書の通りに、すっきりと、がんばってまいりたい。 ��写真は、今治からの帰り道の、斎灘の、金波銀波。)