午後、松山市内にて。第20回松山ヒューマンネットワーク講演会、に参加した。 同ネットワークの稲田代表によると、12年前、地元同級生が集まった際、 40歳になったのを機に、何か社会貢献ができれば、との思いから会を立上げ、 毎回多彩なゲストをお招きしながら、今回、第20回を迎えることになった、そうだ。 その絆と、取り組みの持続に敬意を表したい、と思った。 さて、今日の講演会は、『種になりたい~地雷原の村で自衛官OBが見つけた第二の人生~』 と題して、地元愛媛出身の、知る人ぞ知る、日本地雷処理を支援する会(JMAS)・高山良二さん、が講師であった。 ��ご参照⇒ http://www.jmas-ngo.jp/page/ehimesibutop.htm ) 高山さんのご活躍は、かねがね存じていたが、見聞きするのと直接感じるのは、まったく別だ、ということを痛感した。 ご承知の通り、カンボジアを始めとした世界各国で、 戦後の後遺症といわれる地雷と不発弾の爆発音が、今も、鳴り響いている。 そして。親を失い、手足を飛ばされる人々が、後を絶たない。 そうした現状に対して、地雷等の不発処理に取り組むのがJMASで、カンボジア地雷処理専門家として活躍されるのが、高山さんである。 地元では、尊敬するお父さんの意味で、ター、と呼ばれるその風貌は、命がけの職場を感じさせないくらいに、柔和で穏やかであった。 そのアンバランス以上に、話はもっとサプライズだった。 全部を紹介しきれないが、一部だけご紹介すると。 彼が実践しているのは、住民参加型地雷処理活動、である。 普通、そんな危険な活動に住民を巻き込むのはどうか、と考えられがちだが、逆に住民参加型スタイルをとることで、 助ける側と助けられる側、ではなく、共に助ける側として、共同と自立の精神性を伝えたいというのが、その理由だそうだ。 それくらいカンボジア人は。あまりにも大らかで、人を疑わない国民性、なのだそうだ。 そんなエピソードとして、井戸の話をされた。 日本の支援機関・団体から、たくさんの井戸が贈呈されたが、井戸は、常にメンテナンスされないと、枯れてしまうものだ。 最初はもの珍しさから、井戸の周りに人が溢れたが、少し具合が悪くなると、修繕の仕方を教わるのではなく、それを捨て、みんな新しい井戸へと移っていくのだそうだ。 結局、60機贈呈された井戸の多くは、枯れてしまった。 だから、彼らの精神に自立心を喚起させることが、より重要なのだ、と。 高山さんは、日本の支援機関・団体に対しても、贈りっ放しは自己満足にすぎない、と、そのことを訴える。 贈った後、その支援によって、彼らと、かの国がどうなったか、というところまで見届ける、愛情と責任を、ぜひ持ってほしい、と。 それにしても。 あまりにも長きにわたる軍事政権と、内戦から解放された、カンボジア人たちは、 500万発ともいわれる危険な地雷・不発弾の隣り合わせで、また、いろんな物資が足りない中で、それでも、 戦争がない今は幸せです、と、 私には世界で一番輝いて見えるほど、満面の笑顔で、答える(写真)。 たしかに、日本は“豊かな”国、かもしれない。 でも、“豊かな人”の国は、むしろカンボジアの方だ、と、思った。 高山さんの講演の主題も、そこにあった。 日本人よ、心に風船を、と彼はいう。風船を膨らませるものは、日本人が本来持つ優しい心だ、と。 少しだけ他人を思いやる心、あるいは、惻隠の情。 凶悪事件が耐えない今の日本社会は、1人1人の中にかつてあった、そんな心の風船が、しぼんでしかも、放置されてしまったからではないか。 政治は、一生懸命、枝葉を直そうとしているにすぎない、幹を直さないとダメ、と彼はいう。 優しい心を、もう一度、国民1人1人に吹き込まない限り、日本という国そのものが、枯れてしまう、と憂う。 国際貢献を通して彼の目に映る、現在と将来にわたる日本の憂いが、 政治に携わる1人として、心に迫り、胸に響き続けた。 人生をかけて、現場に立ち続ける人の言葉は、重い。 聞きっ放しでは決して済まされない、私にできる責任の果たし方は何か、 ということを考えながら、帰途に着く。 また1つ、大きな宿題を頂いた講演会に、心より感謝、である。 ��写真は、そのスライドを見た瞬間、世界で一番美しい、と感じた、カンボジア人母子のとびきりの笑顔。)