この日は終日、県民相談。 そのうちの、とある壮年経営者との対話にて、 “社会貢献”をテーマに、話が盛り上がった。 ちなみに、グーグルで“社会貢献”を検索すると、ヒット数は766万件。 あくまで目安、だとしても、国民の関心は決して低くないし、 確かに、身近で、そうした取り組みが増えてきているな、と感じるにつけ、 その広がりと高まりには、“時代の意思”みたいな力を感じてならない。 さて、社会貢献、である。 その活動範囲は、 個人単位で行われるボランティア活動から、企業が行う慈善事業や寄附活動、また、 特定事業を目的とした、NPOやNGOなどの非営利活動など、あまりにも広く、かつ、国際的な沃野となっている。 が、新旧大小、どの社会貢献活動にもいえることは、その出発点が、 困っている人たちの力になりたい、お役に立ちたい、という意思、だ。 振り返ると、いつからか、社会活動というのは、民と官の二元論になっていた。 民間、と、行政。 つまり、 社会的ニーズの実現は、基本的にマーケットメカニズムに委ねる、とし、資本主義のルールに則った、民による活動と、 ビジネスではリターンが見込めず提供できない社会的ニーズは、公共財・サービスとして行政が担うべき、とした、官による活動と。 ところが、である。 私が今、感じるのは、最近の社会貢献活動の多くが、 民でもなく、官でもない、あるいは、民ともいえ、官ともいえる、 その二元論の“間”に存在し、広がっている、ということ、だ。 そこに、先ほど述べた、“時代の意志”を感じるのであった。 したがって、社会の利益に資する社会貢献活動は、 従来の、民と官に続いて、もう1つ、有志、を加える必要がきっとある、のだ。 言い換え、つけ加えると、それはほんのちょっと昔、それぞの地域や社会に、厳然と、あった。 コミュニティとしてのセーフティネット、だ。 今、時代は新たなカタチで、それを取り戻そうとしている、と思えてならない。 どんな社会貢献活動も、その出発点は・・・、と、先ほど述べた通り、ある志、から始まる。 民にも官にも、まだ顕在化していないけれど、そこに確かに社会的ニーズまたは課題がある、と感じ、 その実現や解決を志す人たちが、自らの取り組みで、それをサポートしよう、 そうした、志、である。 その志のもとに人が集まり、取り組んだ活動が、社会から満足され評価される、そこを目的とした社会貢献活動。 壮年経営者の方との対話から。 これからの政治は、今まであまり光の当たらなかった、 この第3ともいうべき、有志、の領域に、スポットをあて、 その社会貢献活動インフラの整備と強化、そして、点ではなく、 面としての連携機能のしくみ化、に取り組まねばならない、そんな意を強くさせて頂いた。 壮年経営者の方の志、の実現への尽力を含め、やはり、知恵は、いつも現場にある、と思った。 ひとときの貴重な対話に、心から感謝申し上げたい。 ��写真は、久万高原町の、美しすぎるほどに、青い空と白い雲。)