「論争 日本のワーク・ライフ・バランス」、��日本経済新聞出版社刊)、を読んだ。 同著は、昨年8月に開催されたシンポジウム��ワーク・ライフ・バランスと男女共同参画」、の誌上再現企画で、 大学教授、シンクタンク専門員など10人近い専門家が登場し、各テーマごとに、かなり熱いセッションを行なっている。 さて、この、ワークライフバランス、という言葉。なんとなく一気に、市民権を得つつある感がある。 言うまでもなく、それは、ワークとライフをバランスさせよう、という考え方と取り組みを指し、 これまでのワーク or ライフ、つまり、子育てを含めた、家庭を取るか仕事を取るか、 といった択一の時代から、多様な選択が可能な時代をめざすものである。 知見の乏しい私には、なるほど、がいっぱいであった。 少子化問題は、ワークライフバランスに起因し、かつ密接に、男女共同参画の進捗とリンクする、のである。 男性もそうだが、特に、女性にとって。 家庭を取るか仕事を取るか、どちらかを選択せざるを得ない、あるいは、 いったん家庭を取ったら、再びかつてのような仕事に就けない、という体制では、 晩婚化・非婚化が必然的に生じ、結果、少子化とならざるをえない。 とすると、これは明らかな社会問題なのだが、今までの政府の取り組みは、どちらかというと、 このままでは、将来の労働力が確保できない、といった経済的発想に基づくものが主であった。 そうではなくて、少子化対策は、 男女ともに、ライフ、すなわち、家庭とか私生活とか、そこが多様に柔軟に選択できるしくみをどう作っていくか、 ということと、 そのためには、それを互いに認めあい、理解しあう心を、社会を構成する1人1人と全体に、どのように広げていくか、 という、ヒューマニズムに基づかねばならない、もっというと、 1人1人の子どもの人権を経済に優先させる、チャイルドファースト社会の構築と表裏でもある、 と私は理解したが、この、ワークライフバランス。考えるほどに、奥が深い。 もっと現場を知り、研鑽を積む必要性を、痛感するばかりであった。
終日、県民相談。 部局をハシゴし、市内を回る中で、かけがえのないもの、について考えさせられた。 100円の価値、の大きさ。少数意見、の重さ。 生活価値の、大小軽重は、決して杓子定規では計れない。 そんな当たり前を、かけがえのないものへの温かな眼差しを、 政治は忘れてないだろうか。世の中は失っていないだろうか。 綴るのもつらいが、昨日、秋葉原でとんでもない事件が起きた。 人間の命は地球よりも重い、はずでなかったか。慙愧に耐えないし、許せないし、悔しい。 被害者、ご家族、関係者の皆様に、心よりご冥福をお祈りすると共に、決意したい。 悲劇を2度と繰り返させない社会になること、を。 これから、事件の原因究明が進んでいく中で、社会的な誘引因子と課題が浮き彫りになっていくだろう。 教育のあり方、労働の価値不全、コミュニティの不在、日常のバーチャル化、人間性の喪失、というふうに。 それらは取りも直さず、日本と日本人の将来にとって、きわめて重要な政治課題である。 冒頭に戻るが。 100円玉1つ、1,000円札1枚で、圧迫感を感じ、また、一喜一憂する生活者がいらっしゃる、ということ。 お会いすれば、それがどういうことか、国会議員にも、官僚にも、肌身で伝わってこよう。 誤差のような小さなこと、ではない。単に、経済的弱者のことでもない。 かけがえのないものへ、温かな眼差し。 何の議論よりも先に、政策決定の前に、政治家は、自身の胸のうちに、その確かさを問わねばならない。 どこまでも、生活者が、起点。 そこから出発し、そこで考えたことを実行し、そこで感じる。その繰り返しを、使命ある限り、自身に課してまいりたい。 ��写真は、昭和46年発行の100円玉。37年間巡り巡って、今は、私のところ。)
朝、自宅を出発した後、この日は終日、今治デー。 支持者の皆様との対話集会に、午後、夜と、参加させて頂いた。 今日は日曜日だから、普通は予定を入れるはず、なところを、実に多くの皆様が駆けつけてくださった。 その皆様に対して、議員として与えられた仕事を、きっちりやりきろう。そんな気持ちでいっぱいに、なる。 さて、まず昼の部。ご意見の半分近くが、国のムダとモラルに関する批判であった。 そして、夜の部。こちらはご意見の殆どが、公明党に対する厳しい叱咤であった。 そのいずれも、熱のこもった、本音のご心情である。有難く、真正面から受けとめさせて頂いた。 連日の感想とダブらないように、違った角度から考えてみると。 私は今週、3つの市で4つの対話集会に訪れたが、対象は、いずれも中高年の壮年であった。 おそらく最も政治不信の強い層、と思われる、そうした方々に対する、テレビの影響力の凄まじさを、あらためて思い知らされた気がした。 それが、いずれの会場でも感じた共通点。 そうした皆様から支持を頂くために、私たちは、あるいは、これからの政治は。 間違いなく揺るぎなく、テレビの活用ということを、広報の本質部分に戦略的に、組み込まなければならない。 広告ではなく広報、コマーシャルではなくブランディング、である。 ともかく、そう思った。 それは、いわゆる、空中戦でもある。苦手とか、パフォーマンスとか、言っている場合ではない。 そこが生活者と政治の、決定的タッチポイントなのだから。彼らの視点で言うと、そこが主戦場なのだから。 それとは別に、個別的に大きなインパクトを受けたことがある。愛媛公明党の課題として、真剣に取り組んでまいりたいと思う。 合計3時間で、約30問答。ということは、1つの意見交換に約5分。 こうしてみると、かなり矢継ぎ早であり、3時間があっという間、というのも頷ける。 一切終了後、皆様をお見送りし、そして、家路についた。疲れてはいられない。 何ページにも書き連ねたメモを、レポートに仕上げる仕事がまだ残っている。 ��写真は、本日のレポート。)
連日の対話の間に、読んだ本。「闘う経済学」(竹中平蔵氏 著)。 竹中氏といえば、小泉内閣の経済財政政策の要であり、 悪く言う人にあっては、格差社会を引き起こした市場原理主義者、である。 が、私は彼を、きわめて優秀なエコノミストとして評価したいし、 一連の著作に目を通せば、そういうレッテルを貼る勢力にウンザリ、の感を抱いてしまう。 で、同著だが。 彼が、小泉元総理に任用された時から、その本分である経済学をもって、政治とどのように闘ってきたか、 というプレビューであった。 総括などとてもできないので、インデックスを紹介したい。 まず、ケインズ的常識との闘い。 ケインズ政策とは、いわゆるマクロ経済学における、総需要管理政策のこと。 まず彼は、バブル崩壊後当時まで続いたこの常識と、闘った。 次に、増税論との闘い。これは今、自民党清和政策研究会にしっかりと引き継がれている。 そして、金融危機との闘い。いわゆる不良債権処理である。 バッシングの中、ほとんど力技、によって金融再生プログラムを実施し、2002年時点で8.4%だった不良債権比率が、今では1%台となった。 続いて、失業との闘い。 言い換えれば、どのように産業を発展させるか、だが、経済学的に結論すると、所得弾性値の高い産業にシフトする、となる。 が、これは、今も足踏み状況だ。 続いて、役人との闘い。 道州制・地方分権を志向する流れにあって、国・地方ともに、総論賛成・各論反対で、それを許さない役人との闘いは壮絶、と。 続いての既得権との戦いは、いわゆる郵政民営化、である。そういえば、竹中氏は郵政民営化担当大臣でもあった。 次に、抵抗勢力との闘い。 それまでの官主導から官邸主導の流れを作り、経済財政諮問会議による骨太方針は、ここから始まった。 そして、千変万化の政治と闘い、権力と闘った、という同著は、彼の5年間にわたる自叙伝であり、あらためて、 政治に対する経済学の有効性、を思い知らされた気がした。 これから国政を志す方には、格好のルールブックでもあり、 私のように、経済学部出身ながらその自覚に乏しい方には、あの頃の新鮮な気持ちが蘇る、若返りの書でもあろう。 ぜひ、皆様にご一読をおススメしたい、と思う。
夜、松山市内にて。 中予地区二輪車販売店協会様の通常総会に、雲峰松山市議会議員とともに参加させて頂いた。 今のところ私はもっぱら四輪車で、二輪車に縁がないことを考えると、こうしたご縁を頂けることは、実に不思議にして誠に有難い、のである。 お招きを頂いた上野会長様を始め、皆様に心より感謝申し上げたい。 考えてみると、私の二輪車愛用期間は、小学校時代の自転車に始まり、大学時代の原付バイクでピリオド、である。 そういえば。 大学当時はまだ、原付にヘルメットは義務づけられていなかった。今考えると、何だか恐ろしい気もするが。 で、経験がそこで止まっているからだろう、今でもたまに、今度ヘルメット買わなきゃ、買わなきゃ、と、恐る恐るノーヘルで原付を走らせる夢を見たりする、のである。 但し、あくまでも夢の中、だけれど。 さて、総会のこと。 先に述べた通り、そもそも、私には二輪車業界の知見が、ない。なかった、というべきか。 しかしながら、ご縁を頂いてからこの間。 そこに業界の課題があること、行政への切実な要望があること、 そして、 すべての経済活動は政治と切り離せないということを、学ばせて頂いた思いがするのである。 道路行政、警察行政に、新たな視点を頂き、あらためて感謝したい、と思う。 恐縮にもスピーチの機会を頂いた私は、中小企業支援の立場からひとこと決意を述べさせて頂いた。 日本の全企業数の99.8%は中小企業であり、その皆様の発展なくして、真の経済成長も財政再建もないのだから。 ここはチャンス、とばかり、公明党の実績を少々PRさせて頂いた。 そして、引き続いての懇親会では。様々な方から、今の政治に対するご意見をお聞かせ頂いた。 私にとっては連日の対話だが、こんなこと議員の人に喋ったの初めて、という方が殆どであった。 ぞっと、した。が、人は知らず。 使命ある限り、私はどれだけ対話ができるか、生かせるか。自身への挑戦を、誓うのみである。