午前、夜と、市内にて、壮年支持者の対話集会に参加させて頂いた。 あいにくの雨天にも関わらず、また日曜日にも関わらず、 たくさんの皆様にご参集頂き、心より御礼申し上げたい。 今日も、1つのご意見も漏らさぬよう。 手を動かしながら書きとめ、脳に汗をかきながら、忌憚なく、意見を交換させて頂いた。 やはり、いずれの地域であっても、政治に対する庶民の感じ方は一緒だな、と思う。 官僚の不正とムダを廃し、その堕落を改善せよ。国会議員は自ら身を削り、定数を削減し、特権を廃止せよ。 そして、それを公明党がリードせよ、である。 しっかりと重く、受けとめさせて頂いた。国につなぎ、県下で連携して取り組んでまいりたい。 その中で、今までの対話集会で出なかった話題があった。 タバコ税の増税について、である。 ご承知の通り、この間、降って沸いたように、マスコミで報道され始めた、この話題。 参加者の意見が、割れた。 まず、口火を切られたのは、増税反対の方々。 タバコは嗜好品であり、吸う吸わないは個人の自由。他人に迷惑をかけない限り、吸う自由はあっていいはずだ。 たしかに、喫煙者は、すっかり世の中の少数派になったが、少数派が反対の声を上げても所詮少数派、ともいうべき、取りやすいところから取る、という安易な発想に腹が立つ。 1箱1,000円となると、庶民にはなかなか手が出ないことは、わかっているはずだ。 私たちには、それでも吸いたいなら、生活を切り詰めてでも吸え、もしくは、貧乏人は吸うな、というメッセージにしか映らない。 それこそ、弱者切捨てではないか。 一方、増税賛成の方々は。 いくら喫煙スペースを作り、分煙を強化しても、マナーを弁えず、他人に迷惑をかける喫煙者は減らない。 医学的にも。 周囲はもちろん、喫煙者本人のためにもならないタバコは、この際、国がはっきりと、NO!、と打ち出すべきだ。 例えば、1箱5,000円くらいにすると、大いに禁煙が進む。 そうすると、肺がん患者も減り、医療費も抑制できるし、タバコ税を禁煙治療の財源に当てれば、一石二鳥だ。 などなど、思いのほか、白熱の論議となった。 さて。 タバコ増税の是非はちょっと置いて、今回の話題の出発点に戻りたい。 その基点は、そもそも、税財源不足という前提条件があって、その中で、増大する社会保障費の財源をどうするか、であった。 で、一足飛びに、タバコ税増税は上記財源に資するか、ということにどうもなっているのだが、待てよ、と思う。 その、ずっとずっと前に、すべきことは、前提条件の見直しではないか。 行政のムダをなくし、人員削減を図り、改善と効率化を図った上で、それでもこれ以上歳出カットもできず、財源も捻出できません、ということを、国は、国民の皆様にしっかりと、示すことであろう。 参加者によると、その努力が一向に見えてこない、のである。 政治家は、国会議員の定数削減を、なぜ言わないのか。小さな政府を掲げながら、なぜ公務員をもっと削減しないのか、等など。 要は、政治家も官僚も。 自ら身を削り、自らの痛みを伴った改革を行なわない限り、国民に負担増を言うな、である。 タバコ税の増税からタバコの是非に議論が移っても、最後は結局、そこに落ち着くのだ。 それが庶民の声であり、そして正論、なのである。 庶民の求める政治を、今日も、五感か六感かは知らず、身をもって覚えさせて頂いた。 皆様に、感謝が、尽きない。自身、実践あるのみ、だ。
昨日、一昨日に続いて、本日も、市内の支持者座談会に参加させて頂いた。 それぞれに温かく、懐かしいひとときであり。お招きを頂き、あらためて感謝を申し上げたい。 そういやぁ、とAさんから。 木村さん、議員になってもう何年になるかの?いえいえ、まだ1年過ぎたばかりです。 ほやったかいの、だいぶ経ったような気がするの。ほんまですね、そういわれたら、そんな気がします。 なるほど、ここ1年に限っては、月日の長さに対するピントが、何だかぼんやり、だ。 また、Bさんからは。毎日、大変ですね、お忙しそうですね、と。 ありがとうございます、とお答えするものの、これには非常にドキッ、としたりも、する。 はたして毎日、大変で忙しいだろうか? それは何で量り、どのように示せるだろう、と考えると、お答えするのが何だかとても難しい問いだからである。 はたして、議員の仕事って。 ��さんのお話はその時間の面から、��さんのお話はその質の面から、それぞれ考えさせられた。 そして奇しくも、どんな仕事であれ、時間×質で表され、イコール成果、つまりアウトプット、で示されるのだ、と思った。 それでいうと、どうなるだろう。 確かに、議員の仕事は、ルーティンの時間的制約は大きくないように、思う。 少なくとも、私の場合は、民間企業に勤めていた時代のほうが制約時間は長かった。 が、そもそも議員の仕事は、ルーティンになじまない、のである。 それは例えば、レスキュー隊のようなものであり、ひとたび連絡があれば、そのときが仕事、なのである。 結果的に、土日祝祭日も、退社時間さえ、ないといえば、ない。 そういう観点からいうと、私も、民間時代よりはるかに長い時間を費やしていることになる。 で、問題は、仕事の質。クオリティ、だ。 企業であれば、利益に対する貢献、であろう。それは、数値化を含めて、見える化ができる。 一方、議員の仕事の質は、というと。 私は、県民の皆様の、生活満足度への貢献、と思っているが、これって見える化は可能だろうか、とふと悩んでしまうのである。 あるいは、今までそういう検証はなされただろうか、と疑問に思うのである。 しかしながら。これからは間違いなく、いや、すでに。 議員としての仕事、の質を競う時代に入っているし、アウトプットが問われる時代に入った、と思うのだ。 生き残りをかけた、というより私自身の存在証明をかけた、そんな仕事にしていかなければならない、と強く思った。 座談会での、何気ない会話から、考えたこと。それは、私の、新たな決意、である。 ��仕事といえば手帳。写真は、愛用している、手帳は高橋、の手帳。)
朝から、問合せの電話が続いている。 県教育委員会が昨日発表した、県立学校の再編整備計画案、についてである。 いわゆる、県立高校と特別支援学校に関する、来年度から5年間の、統廃合方針案ということになる。 ��ご参照URL⇒ http://www.pref.ehime.jp/k70400/1188613_2285.html ) 昨日来、新聞各紙は、地元紙・中央紙とも、本件について大きく紙面を割いて報じているが、 お電話を頂いたのは、まさに、存続の危ぶみを報じられた学校地域の方々からであった。 不安の色を隠せない、というご心情がひしひしと伝わってきた。 今議会でも、おそらく多くの議員が、この問題を取り上げるであろうし、また、私が所属する文教警察委員会でも、メインテーマになるはずだ。 同計画案は、学校・PTA・経済界・市町関係者、学識経験者からなる、検討委員会の答申に基づいている。 それによると、まず、県立学校については、生徒数の減少・生徒の多様化・市町村合併の進行・県財政難、という取り巻く環境の変化による再編、ということである。 様々な角度での論議が必要だが、最大のポイントは、生徒数の減少ということに尽きよう。 本県の中学校卒業者数を見ると、10年前に比べて、約42%減。人数でいうと、25,279人から14,542人へ、実に10,777人減、となる。 あまりにも急速で、加速する少子化、という現実の前に。 学校・クラス数とも明らかに供給過多、というのは事実であろう。そして、もう1つ、それは過疎地域に顕著に現れる、という事実。 ここが、今回の再編整備計画案のコアであり、出発点のように感じる。 それはそれで理解できるのだが、何だかもう1つ腑に落ちない。 今回の出発点はそこではなく、やはり現場であり当事者であるべきではないか、という違和感だ。 先ほど、少子化が顕著、といった島嶼部地域であれ、中山間地域であれ。 その地域の方々は、あるいはそれぞれの高校生本人は、 もっというと、これから高校生になる地元の子どもたちは、 急激な少子化による環境変化の中で、今回の計画案をどのように感じ、何をどのように要望されるのか。 今のところ、ここが見えてこない。 おそらく地域によっても、個々人によっても、温度差があるだろうし、高校教育に求めるものによっても、その判断は異なってくるであろう。 現場が抱える、その微妙の理解から出発しないと、現在と未来の当事者である、子どもの心と権利から出発しないと、 取り返しのつかない事態になりかねない、そんな思いを強くしている。 特別支援学校については、昨年4月施行の改正学校教育法の指針に基づいての再編、 ということであり、 特に、焦点となっていた盲・聾学校の移転統合計画については、ひとまず、この期間での見送りは決定したが、今後については、県立学校と同様の感を覚える。 環境の激変に対応するためには、民も官も構造改革が必要だが、 その取り組みの出発点と目的地は、同一であり、唯一でなければならない、 それは、 民の場合はお客様、官の場合はそこに暮らす生活者、であろう。 そのきわめて当たり前の大事を肝に銘じ、しっかりと取り組んでまいりたい、と思う。 ��写真は、議事堂から見える松山城二の丸上り口。)
午後、市内にて。 愛媛拉致議連総会及び記念講演が開催され、私も、同議員連盟の末席として参加させて頂いた。 本総会は、1年間の議連活動の総括会合であるとともに、 来月、松山市にて開催される、��拉致被害者を救出するぞ!国民大集会 IN 愛媛」への、キックオフミーティングであった。 特に、記念講演。 “北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会”��通称:救う会)の会長であられる佐藤勝巳氏のお話は、実に貴重で、深い示唆に富む内容であった。 佐藤会長は、新潟県出身の社会活動家で、約50年にわたって北朝鮮の研究に携わってこられた方である。 ご本人の弁によると、かの国の本質を最も理解する日本人2人の内の1人、とのこと。 そんな佐藤会長の、信念と確信に基づいたお話は、おそらく聴衆の心を大きく揺さぶるものであったろう。 ヘビーワードの、言言句句も。 そのみなぎる確信により、強力な説得力となって、聴き手の私たちの心に迫り、腑に落ちてくるのである。 いわく。 かの国への外交スタンスとして、対話路線での成功例はかつてない、と。 日本は95年の橋本内閣以来、140万トンの米の援助を行なってきたが、 残念ながら、その人道支援の見返りは、ミサイルと核実験、という非人道的メッセージであった、と。 そして。 拉致問題に関しては、圧力を持って臨む以外ない、と結論づけられ、その理解の輪を広げることが肝要、と訴えられた。 折りしもちょうど同じ時間、北京で日朝外務省実務者公式協議が開催されていた。 講演の最中にも、いつ朗報が飛び込むかと期待しながら。 救う会が最も信頼を寄せる斎木アジア・大洋州局長が、拉致問題解決の進展を勝ち取ることを心待ちにしながら。 そして、約50分の講演は、終了した。日朝協議の結果は、固唾を呑んで、今晩のニュースを待ちたい。 散会後。 拉致問題を、このまま終わらせるわけにはいかない、と、あらためて憤りが込み上げてきた。 ご家族のご心情を考えるほどに、残された時間との戦い、時間を引き延ばすものとの戦い、であることを理解した。 そのためにも。 来る7/6(日)13:30から松山市民会館にて開催される、��拉致被害者を救出するぞ!国民大集会 in 愛媛」を、何としても成功させるぞ、と、強く深く思うのであった。 ��S.本ブログをご覧の皆様へ 当事者の痛みと苦しみに寄り添ったとき、人は、心の中で、何かが変わると思います。 その小さな変化がお互いに共振し、増幅したとき生まれる、新しい何か。 その何かが、拉致問題を大きく前進させる、ということを、 ちょっとおこがましい言い方ですが、私は信じています。 当日は、ぜひお誘い合わせの上、ご来場賜りますよう、この場をお借りして、心よりお願い申し上げます。
午後、部局より6月議会への提出議案説明があった。 予算事情をくっきりと反映して、そのほとんどが、国の法律改正に伴う条例改正と専決処分の承認・報告、であった。 とすると。 県政チェック機能としての、今議会の質問戦は、各会派・議員諸氏が、どの分野にどのように踏み込むか、 そして、各種委員会では、議員個々人が、所管事項の何を取り上げ、どう切り込むか、 まさに、日頃の政務活動の視点と中身が問われそうで、大いに注目したい。 今回は残念ながら、私は質問に立たないが、その分、常任・特別委員会に注力して臨みたい、と思う。 思えば、1年前の6月議会。私にとって、当選後初めて経験する、定例議会であった。 そして、いきなり、一般質問の機会を頂いたわけだが、当時のブログには、戸惑いがありありと綴られている。 “当日、寝坊をして、遅刻したらどうしよう。制限時間をオーバーして止められたら、どうしよう。 野次に翻弄されたら、どうしよう。手元原稿を控室に忘れたら、どうしよう。” 頭のてっぺんからつま先まで全部、どうしよう、だらけ。どうしようもない恥ずかしさと、懐かしさではある。 そうした洗礼を受けながら、まもなく2回目の、6月議会を迎える。 そう、ここから議員としての2年目が始まるのだ。 新人であることに変わりはないが、成果も変わりない、はNGであろう。 1年目より、1つでも2つでも多く。 県民の皆様に評価頂ける、確かなる成果を、しっかりと積み上げてまいりたい、と思う。 そのためにも日々の政務活動に、緊張感と、きちんとした角度を持って、取り組んでまいりたい。 ��写真は、昨年6月議会の初登壇風景。緊張してます。頬がこけてます。)