昨日、一昨日に続いて、本日も、市内の支持者座談会に参加させて頂いた。 それぞれに温かく、懐かしいひとときであり。お招きを頂き、あらためて感謝を申し上げたい。 そういやぁ、とAさんから。 木村さん、議員になってもう何年になるかの?いえいえ、まだ1年過ぎたばかりです。 ほやったかいの、だいぶ経ったような気がするの。ほんまですね、そういわれたら、そんな気がします。 なるほど、ここ1年に限っては、月日の長さに対するピントが、何だかぼんやり、だ。 また、Bさんからは。毎日、大変ですね、お忙しそうですね、と。 ありがとうございます、とお答えするものの、これには非常にドキッ、としたりも、する。 はたして毎日、大変で忙しいだろうか? それは何で量り、どのように示せるだろう、と考えると、お答えするのが何だかとても難しい問いだからである。 はたして、議員の仕事って。 ��さんのお話はその時間の面から、��さんのお話はその質の面から、それぞれ考えさせられた。 そして奇しくも、どんな仕事であれ、時間×質で表され、イコール成果、つまりアウトプット、で示されるのだ、と思った。 それでいうと、どうなるだろう。 確かに、議員の仕事は、ルーティンの時間的制約は大きくないように、思う。 少なくとも、私の場合は、民間企業に勤めていた時代のほうが制約時間は長かった。 が、そもそも議員の仕事は、ルーティンになじまない、のである。 それは例えば、レスキュー隊のようなものであり、ひとたび連絡があれば、そのときが仕事、なのである。 結果的に、土日祝祭日も、退社時間さえ、ないといえば、ない。 そういう観点からいうと、私も、民間時代よりはるかに長い時間を費やしていることになる。 で、問題は、仕事の質。クオリティ、だ。 企業であれば、利益に対する貢献、であろう。それは、数値化を含めて、見える化ができる。 一方、議員の仕事の質は、というと。 私は、県民の皆様の、生活満足度への貢献、と思っているが、これって見える化は可能だろうか、とふと悩んでしまうのである。 あるいは、今までそういう検証はなされただろうか、と疑問に思うのである。 しかしながら。これからは間違いなく、いや、すでに。 議員としての仕事、の質を競う時代に入っているし、アウトプットが問われる時代に入った、と思うのだ。 生き残りをかけた、というより私自身の存在証明をかけた、そんな仕事にしていかなければならない、と強く思った。 座談会での、何気ない会話から、考えたこと。それは、私の、新たな決意、である。 ��仕事といえば手帳。写真は、愛用している、手帳は高橋、の手帳。)