ゴールデンウィーク最終日の今日は、明日に備えよ、である。 午後にさしかかる頃、家内の実家を辞し、インター付近で昼食の後、一路、松山へ。 2泊3日のプチ家族旅行は、家内にしてみれば、単なる帰省であったか。 それはそれとして。 夫婦それぞれに友人との旧交を温め、家族で初のカラオケ大会を敢行し、 適度にのんびりもでき、まずはめでたし、であろう。 さて。 今日は、昨日再会した、もう1人の友人の話。シャイなので、Hさんとしよう。 半年ぶりに再会する、2つ年上の彼は、私が元いた会社のメンバーである。 奇しくも16年前の今日、転職入社した私たちは、いわゆる同期の間柄なのであった。 彼の前職は、地元企業のマーケティング・スタッフ、私は、関西の某出版社のクリエイティブ・スタッフ。 2人とも、キャリアもバラバラ、個性もそれぞれ。そして、入社後の人生もイロイロ、なのであった。 しかし、同期というのは不思議なもので。ある意味、兄弟のようでもあり。 結局、職場で最もたくさんお酒を交わし、ということは、最もたくさん時間を共有したのがHさん、なのだ。 私が、多少、お酒に強くなったのは、紛れもなくHさんのおかげ、というか、影響である。 そのHさん、最近、体調を崩されたという。お互い、そういう年齢ではある。 気をつけなきゃ、と気遣いながらも、1軒、2軒と、あっという間に6時間が経過した。 実に、積もりに積もる話であった。そして、心からゆっくりとした、心地よいひとときであった。 帰り道。 かつて共に通勤したコトデンに揺られながら、途中の駅で、握手を交わし、別れることとなった。 ステージは異なっても、いくつになってもきっと。兄弟のような同期の間柄は、この先も続くに違いない。 ありがとう、Hさん。次は、エンジン全開でお会いしましょう。 ��写真は、意外にスムーズだった松山への帰り道。)
ゴールデンウィーク、3日目の今日は、2人の友人と旧交を温めた。 その内の1人、よこばぁこと、横畠くんについて。 彼は、私の親友である。 大学で高松に来た私と、地元で浪人中の彼が出会ったのは、自動車の教習所であった。 きっかけは、何だったか?ヒョンなことだったような気がするが、思い出せない。 が、これほど長いつきあいになろうとは、当時、お互い、知る由もなかった。 そんな彼とは、数えてみると1年半ぶりの再会になる。昼下がり、高松市内で合流したが、なんちゃ変わらんのう、である。 とある喫茶で、落ち着いた。 私もそうだったが、彼も民間企業の転勤族で、今は県外住まいの身。久々の帰省ということらしい。 なんちゃ変わらんのう、といいながら、お互いの環境は、この1年半ですっかり変わっており。 結局、コーヒー2杯で約5時間の、しゃべりまくりとなった。 経済のこと、組織のこと、政治のこと、ビジネスのこと、家族のこと、自身のこと、世界のこと、未来のこと。 ふと思えば。あのやんちゃな私たちも、すっかり責任世代となっているのである。 “夢より大きなモチベーションは、ないけんのぉ~。”とは、彼のセリフである。 要は、政治であれ、民間企業であれ。 それぞれの構成員のモチベーションを最大化させるものは、リーダーの夢の大きさである、と。 “えーこと、ゆーやん。(笑)”“アホげに、しとろが。(笑)” してへんよ、よこばぁ。まさに、その通りと思うから。 目標を持って学び、やりがいを持って働き、子どもを育て、親を支え、仲間と集い。 人生を楽しむには、モチベーションが必要なのだ。 そして、1人1人、1つ1つ、それを最大化させる政治にしていかなくてはならない。 親友との、ゆるーい時間が流れていく中で、ポコッと。その瞬間、心の中に、新たな決意が生まれた。 よこばぁ、ありがとう! ��写真は19年前の5月5日、福岡にて。右がよこばぁ。)
ゴールデンウィーク、2日目。 家族で、高松に向かった。といっても、家内の実家である。 結局、お目当てだった関西も、九州も、どこも、相手先の都合と、施設の予約が一杯だったわけで。 こういうことには全く不慣れ、の結末であった。 それはそれとして。せっかくの休日の、しかも家族旅行。 子どもたちにも楽しい思い出を、ということで、夕食の後、カラオケに連れて行ったのであった。 カラオケで、いいのか?一瞬、迷いながら。 時間帯のせいか、それとも、連休は書き入れ時なのか、そのお店は全部屋満室で、しばらく待機、である。 一方、息子と娘は。 初めてのカラオケに、部屋から漏れてくる大音響に、完全に、緊張が走っている。 順番が、来た。 お飲み物は?いらないらしい、まだ緊張は続いている。 すかさず、いつも家で歌っているアニメソングを何曲か入れてみた。 マイクを通して聞こえる自分の声が、とても不思議そうな娘と、1曲歌って、すっかりハマッてしまった息子を、パチリ。 案の定、走り回る2人を、パチリパチリ。 そして、私と家内は、すっかり、歌のおにいさん、おねえさん状態。あるいは、おかあさんといっしょ、の世界である。 1時間で、ヘトヘトになり。 歌のおにいさんたち、それを毎日やっている保母さんたちに、本当に頭が下がる思いがするのであった。 かくして、遅ればせながらのゴールデンウィーク2日目、終了。 家内の実家では、もちろん、私が真っ先の就寝となった。
今日から、ゴールデンウィーク。思えば、ここ10年来で初めての、オフだ。 大いに家族サービスをして、ゆったりと英気を養いたい、 という思うとはうらはらに。 家内も子どもたちも用事で忙しい、らしい。 仕方なく、というか、じゃあ、読書となり。 1冊目、「小沢一郎 独走す」(浅川 博忠著)。 今の政局は、角福戦争の系譜である、と、小沢氏の同級生が、その足跡を検証する。 2冊目、「小沢民主党は信用できるか」(高市 早苗著)。 信用できない、とした自民党の視座で貫かれ、登場人物も多いが、結局、オチは政界再編、である。 3冊目、「デフレは終わらない」(上野 泰也著)。 原油をはじめ、軒並み輸入原材料の高騰が続く中、それでもインフレにはならず、デフレは続く、としている。 4冊目、「ルポ貧困大国アメリカ」(堤 未果著)。 歴史ではない、現在進行形のアメリカという国について。 7年前の、あの9・11以来、かの国で進行しているのは、民衆をターゲットとした国家レベルの貧困ビジネスである、と。 そして、それは、新自由主義政策の名のもとに、日本にも同じ図式が、もはや大きなうねりとなりつつある、という。 政界の系譜といい、経済の基調といい、政策の背景といい。そこにあるものは“流れ”であろう。 今や世界は、完全に、リンクしている。北京で1匹の蝶が羽ばたくと、である。 私たちの現在と未来に対する警鐘は、まさに、その“流れ”の中にこそ、ある。 その“流れ”に気づく力と、“流れ”を変える力の両方を、私たちは持たねばならない。 すべての国民が、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を侵されないように。 身も気も引き締まる今日は、まさに、憲法記念日である。
深夜と夜明け前の、間。むずがる娘の泣き声で、目が覚める。 あやせども一向に治まらず、大いに睡眠不足の早朝、自宅を出た。 向かったのは、津和地島である。島民の方からの視察要望で、雲峰松山市議に同行を頂いた。 手帳を確認すると、半年ぶりである。ちょっとこの間、と思っていたら、もう半年、だ。 最近は、記憶と記録に多少ズレあり、である。寄る年波には勝てない、か。 とはいえ、いつものように切符を買い、フェリーに乗り込むと、かかってきたのは、坂本冬美さんの“白いかおりの島へ”。 何度聴いても、いい歌だ。 思わず、乗船記念に着うたサービス無料ダウンロード、なんて配慮があると、うれしいなぁ、と思うのである。 さて、1時間半ほどで、到着。港では、地区の総代さんを始めとしてお迎えを頂いた。 ご挨拶を終えると、さっそく、現場を視察した。といっても、見るばかりではない。 皆様が言わんとされることを、対話を通して、1つ1つ確かめながら、手に取るように感じること、だ。 そこで暮らす方々の生活現場を体験しないと、要望の切実も、実際のところ、わからないであろう。 最初にボタンを掛け違うと、せっかくの対応が不適切になりかねないのだ。 皆様からのご要望の整理と確認を行ない、県と市のそれぞれの進め方を確認し、視察を終えた。 高浜港に着く頃には、すっかり日が傾き。半年ぶりの、ほぼ1日仕事、となった。 島の方々からすれば、ある意味、長年の期待を託した1日といえよう。 期待を託す、とは少々大げさかもしれないが、それは。決して軽くない重さ、であることをゆめ忘れまい、と思う。