午前、笹岡県議・公明党愛媛県本部代表と合流。打合せの後、秋田県庁へ移動。 駅前から軽い気持ちで徒歩を選んだが、結局40分程のウォーキングとなった。 びっしり汗をかきながら、県庁へ到着。 職員各位の受け入れもスムーズに、13:00から面談スタートとなる。 事前の、当県議会事務局の計らいに感謝申し上げたい。 さて、今日の取材目的は、昨年行なわれた、第62回秋田わか杉国体について、である。 既に国体は終了し、事務局は解散しているため、お集まり頂いた職員各位の、部署も肩書きも、それぞれだ。 さて。 ご挨拶もそこそこに、早速、質問。に次ぐ質問で、約2時間が経過した。 職員方も、他県議会への答弁であり、いわゆる非公式であり、とてもリラックスした雰囲気の中、種々、貴重なご教授を頂いた。 お伺いしながら、頷くこと実に多々あり。 同県の国体運営に際して、感心するほどに、いくつもの創意と工夫、つまり、独自性が盛り込まれているのだ。 例えば、史上初という、県直営方式という運営スタイル。 直営となると、地方財政法の規定により、寄附を受けられないため、 自前の財源、つまり、身の丈、から出発せざるを得ないし、より透明性と公平性が働く、ということだそうだ。 そして、知事の下、大会総務課、競技式典課、施設調整課の3課、正職員100名で、 それまで各県平均50~60億円で推移してきた開催経費を、見事、約40億円で仕切ったという。 一度キリのムダなハコ物は要らない、隣接県でできるものは連携を惜しまない、 準備段階から情報を逐次ネットにて公開し、格段の県民ボランティア有志のご協力を得たこと、等、 徹頭徹尾、理想と合理を貫いた上で、さらに見事に、天皇杯・皇后杯を獲得されたのである。 当局の並々ならぬご努力に、敬意を表するばかりである。 財政規模において、わが県とほぼ同じである秋田県の事例は、大いに参考になるに違いない。 この辺、早速、会派として、次の6月議会でフィードバックできれば、と思う。 その後、競技場となった野球場、プール、武道館など、各施設をアテンド頂き、夕方まで筒一杯、視察させて頂いた。 いずれも、閑古鳥が鳴いている様子はなさそうだ。 無事、国体終了の後、職員各位の安堵は、実際この辺にあるのかもしれない。 かくして。充実の視察初日は、無事終了。 同席頂いた職員各位、田口公明党秋田県本部代表に、末尾ながら心より感謝を申し上げたいと思う。
午前、各者から様々なアポを頂く。 これで、向こう1ヶ月の予定がほぼ埋まった。 あとは、体調が回復すれば問題なし、である。 さて、午後からは、秋田へ向けて移動開始。 秋田は、なまはげと、きりたんぽ、くらいの知識しかない私にとって、今回が初訪問になる。 その視察の目的は、2つ。 1つは、盲・聾・養護学校の統合実態について。 特に、それらが医療・住宅・交通を含めた、新都市開発、のようなカタチで進められている点に注目したい。 もう1つは、昨年、同県で行なわれた国体について。 その開催経費は、ここ10年で、最も少ない予算である。にも関わらず、見事、天皇賞・皇后賞を獲得されている。 その運営戦略上のポイントは何か、に着目したい。 さて、羽田を経由して秋田空港に着いたのは、16:00頃。まだ日も明るく。 市内に着いたのが17:00頃で、いくつかの電話連絡を終え、近くで食事を取った。 高松のうどんチェーン店が目の前にあったが、さすがに今日は遠慮させて頂いた。 秋田は稲庭うどん、というくらいの知識が、まだ私の中にあったのであり。 きしめんのような繊細を堪能した後、この日は早々に休ませて頂いたのであった。
週初めの今日は、終日、政務。また、明日からの出張の準備と。 で、先日。 久々に読んだ1冊は、��教育3.0 誰が教育を再生するのか?」。 国語作文教育研究所所長の宮川俊彦氏と、ミスター文部省こと、寺脇 研氏との対談集。 その中に出てくる、あまりにも美しい、��ゆずり葉」という1篇の詩をもって所感に代えたい。 作者は、河合 酔茗(かわい すいめい)という明治の詩人。 その全文を、紹介したい。 『 子供たちよ。これはゆずり葉の木です。 このゆずり葉は新しい葉が出来ると入れ代わってふるい葉が落ちてしまうのです。 こんなに厚い葉こんなに大きい葉でも新しい葉が出来ると無造作に落ちる新しい葉にいのちをゆずってーー。 子供たちよ。お前たちは何をほしがらないでもすべてのものがお前たちにゆずられるのです。 太陽のめぐるかぎりゆずられるものは絶えません。 かがやける大都会もそっくりお前たちがゆずり受けるのです。読みきれないほどの書物もみんなお前たちの手に受け取るのです。 幸福なる子供たちよお前たちの手はまだ小さいけれどーー。世のお父さん、お母さんたちは何一つ持ってゆかない。 みんなお前たちにゆずってゆくためにいのちあるもの、よいもの、美しいものを、一生懸命に造っています。 今、お前たちは気が付かないけれどひとりでにいのちは延びる。鳥のようにうたい、花のように笑っている間に気が付いてきます。 そしたら子供たちよ。もう一度ゆずり葉の木の下に立ってゆずり葉を見るときが来るでしょう。 』 彼が永遠に留めんとした、溢れんばかりのこの国の未来への愛情を、 平成の私たちは、どれくらいの感情をもって受けとめることができるだろう。 教育が人を創り、人が国を創り、国が未来を創る、のだ。いくつもいくつも、ゆずり葉ゆずる、時間の中で。 政治の決定的重要性を、あらためて覚悟させられる、わが先達の、1詩であった。
終日、党務。性格の異なる会合種々、の1日。 その中で、IT研修について。 党本部より広報宣伝局スタッフ等を招いて、みっちりと、2時間強。 冒頭、メディアとしてのネットについて、 最新のマーケティングリサーチによるレビューがあった。 まずは全員の形式知を整える意味で、従来のメディアと比較した、ネットの特性を確認した。 発信情報が、マスではなくパーソナルであること。視聴態度が、受身ではなく能動的であること。 そして、社会に与える影響力が、相対的に増していること。 特に最後の部分は、私たちが最も押さえなければならない、今日のポイント、であったろう。 講師は、その実例として、ある地方選でのエピソードを挙げた。 無名の新人候補が、ほぼネットだけで有権者にアプローチし、中位で当選を果たしたという。 一方。次点で落選したのは、誰も予想しなかった大ベテラン。 旧来型の手法を完璧に遂行し、陣営の内外を問わず、手応えを感じた戦いの末の、意外な結末だったという。 このことが示唆する意味は、あまりにも大きい。 “最も強いものではなく、最も変化に適応できる種が生き残る。”と言ったのは、ダーウィン。 政治も、政治家も又、然り。国民の皆様の声に対して、きちんと適応できているのか、どうか。 ふと、そんなことを考えながら。 私たち公明党議員が日々行っている草の根の対話活動は、まさにその、適応努力に他ならないし、 ねじれた政治が次に踏み出すステージの第一歩は、国民の皆様への、善なる適応競争でなければならない、 と強く思った。それは決して、大衆迎合という紛らわしい偽者、ではなく。 さあ。来週、再来週と、スケジュールは目白押し。 世の中の変化についていけるよう、変化を起こせるよう、全力投球あるのみ、だ。 ��写真は、議員総会での発表シーン。)
快晴の、早朝。小鳥のさえずりをBGMに、久万高原町に向かう。 9:00、地元党員の皆様とともに、街頭遊説に出発。広大な地域を元気いっぱい、回らせて頂いた。 あまりの陽気に、Yシャツも汗ばむ。まだ午前というのに。 さて。本日は、2点、お訴えさせて頂いた。 私からは、いわゆる道路問題の、一連の経緯と浮かび上がった課題について。 党員の皆様からは、長寿医療制度について。 分担しながら、それぞれに対する公明党の取り組みを、お話をさせて頂いた。 目の前には、水を張って広がる田園。しかも今日は、絶好の田植え日和とあって。 お手を振ってくださる方がいつも以上に多く感じられ、大変有難く、心強かった。 お昼過ぎまで回りに回った後、1軒の支持者宅を訪ねた。伺えば、最近の政治に怒りを覚えてならない、とのこと。 お訪ねすると、ご夫婦は、ちょうど田植えの真っ最中であった。 私は畦道を進みながら、お久しぶりです、と、まずはご主人と対話を進めさせて頂いた。 次いで、奥様と。ゆっくりと、じっくりと。 長寿医療保険は、国保に加えて負担するものと思っていた、との誤解が1つ解けたし、 ご自身の保険料を知らない、ということに関しては、お話を伺った範囲では下がっている可能性が高いです、まずはご確認をと、ご案内させて頂くこともできた。 そういう意味では、新制度の説明不足をあらためて実感するのだが、 庶民の本音は、もう一重深いところにあることも、同時に痛感するのである。 もう一重深い、その根っこにある本音は、政治不信。もはや言うまでもない、現在究極の政治課題、だ。 ご夫妻の怒りは。 そこにもっと斬り込んでほしい、との期待の裏返しであり。かえって私のほうが、大いに励まされるのであった。 久万高原町の遊説を終え、市内に戻ると、夜は、支持者座談会に駆けつけさせて頂いた。 昨日も今日も、昼も夜も、お会いして、お会いして、対話の毎日。 それは、私にとって。 必ず、この皆様の声で国を動かせてみせる、との闘志が沸々とたぎる、前傾姿勢の毎日闘争である。 ��写真は、党員の皆様との遊説風景。 本日も大変お世話になり、ありがとうございました。)