夕刻より、愛媛県行政書士会式典に出席。 式典に先立っての協議会が難航したため、約1時間遅れの開催、であった。 これには、国会議員、国・県の各士業関係者など、多くの来賓がおかんむり状態で、私のような端くれにはヒヤヒヤものであった。 主催者である篠森会長のご心痛やいかに、と、察しながら、粛々と会は進行していった。 さて、その行政書士だが。 それは一体どんな仕事だろう、と思う方も多いのではないだろうか。 かくいう私も議員になる以前、行政書士との接点は一度もなく。 行政書士法によれば、官公署に提出する書類その他権利義務、又は事実証明に関する書類を作成することを業とする、とある。 ふーむ。 平たく言うと、行政とのパイプ役、各種法律手続きの専門家といったところか。 懇談の席上、何人かの行政書士からお話を伺えば、同業者の供給過多、建設業界の不振をはじめとする需要減など、業界を取り巻く環境は厳しさを増しているという。 必然的に、ますます競争は過酷なものになるというわけで。語られるその目は、生き残りをかけた勝負師の目であった。 それにしても、私たち議員という仕事の裾野の広さ、あるいは守備範囲の広さ、ということをあらためて思う。 今まで何のご縁もなかった方々と、こうした接点を頂くことで、あらたな世界が見えてくる。 すると、その世界のステークホルダーから見た政治課題が、あらたに浮かび上がり。 結局、エンドレス。 その果てしなさに立ちすくむ思いと、ワクワクする衝動が入り混じった、不思議な気持ちとなる。 まだまだ駆け出しの身であれば、1つ1つ、しかし積極的に、接点を拡げてまいりたい、と思う。 ��写真は、挨拶をされる、塩崎恭久衆議院議員。)
対話の日々は、続く。そして、5月が終わろうとしている。 今月、膝をつき合わせて対話した方々の数は、約200名。先月は、約300名だったか。 このように、連日、多くの方々からお話をお伺いしていると、何だか、政治のリトマス試験紙になったかのように、感じる。 国政動向が庶民に与える影響が、赤色なのか青色なのか。同じ赤色でも、ほんのりピンクなのか、まっ赤っかなのか。 ストレートな皮膚感覚で、感じられるのである。また、たった2ヶ月で、微妙に変化する様子も。 まさに、ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、である。 さて、今日、夕暮れに包まれながら、お伺いしたのは、久万高原町。 ここは、町ものどかだが、人ものどか。人は土地から切り離せない、といつも思う。 その、のどかで純朴な皆様が、月に1度の党員会にご参集くださった。 人が集まるということを、当たり前と思ってはいけない。議員にさせて頂いた時、心に誓ったことの1つである。 農繁期でお疲れにも関わらず、ようこそおいでくださいました。 御礼を述べながら、有意義なひと時を期した。 党本部作成の政策PRビデオを上映した後、いくつかの政策学習、質疑の順で進めさせて頂いた。 特に質疑では、貴重なご意見を種々承ったが、その中で最も声が多かったのは、次の2点に集約される。 いわゆる、官僚支配の克服と、ムダの排除。 中川秀直氏が言われるところの、ステルス複合体。髙橋洋一氏が言われるところの、霞ヶ関埋蔵金。 庶民には、はっきりと見えている、ということだ。そして、そのご指摘こそ、政治不信の正体であろう。 質疑に寄せられた皆様のご期待は、公明党はこれに取り組め、である。 その通り、なのである。 説明はいらない、結果的に、もいらない。ただただ、公明党がリードして、与党として、 これだけのムダを排除しました、政治主導の構造に転換しました、 という事実を、はっきりと見せてほしい、というお訴えであった。 ずしりと、受けとめさせて頂いたこの思いを、しっかりと国に届けるとともに。 県に置き換えたとき、私自身、もっともっと力をつけなければ、と力が入った。 そして、毎月の党員会によって。 公明党議員として着実に鍛えられゆくことに、ふつふつと、感謝が込み上げてくるのであった。
午後、公務にて記念式典に出席。その後、今治市へ移動。 以前ご要望のあった箇所の改修状況を視察。見事に改善されており、安堵する。 そして夜、党員会に参加させて頂いた。ご当地、谷口今治市議会議員の支部である。 申し添えると、私のふるさと、でもある。 さて、到着後、お借りしている会場の設営準備にあたる。机といすを並べた後は、久しぶりの雑巾がけ。 ふと、小学校の頃を、思い出した。 あの頃は、机といすだけでなく、廊下だって、窓も壁も、黒板だって、 とにかく校舎のあらゆるものを拭いたなぁ、と思う。あるいは、磨いたというべきか。 最近の小学生は、どうなんだろう? さて、平日で月末で、お忙しいところを、今日も多くの皆様が駆けつけてくださった。 その場にてご挨拶させて頂いたが、こうして振り返りながら、あらためて感謝申し上げたい、と思う。 さて、この日の私の役どころは、フリートーク。フリーですか?わかりました。 フリーであれ何であれ、せっかくお集まりくださった皆様である。 間違っても、来て損した、とか、時間のムダやった、とか、とにかく、しもぉた、と思わせてはならないのである。 と、こちらとしては、必死なのであった。 結局、少しでも元気になって頂こう、と、この間の取り組みをベースとした体験談をお話させて頂いた。 自身の体験ほど確かなものはない。確信に基づく話ほど、説得力のある話はない。 ということを、若き日より私は、数え切れないほど、見聞きし、経験してきた。 無名の庶民の。 現実と生活に根ざしたチャレンジトークに、その確信に、どれほど、気づきと、決意と、元気を、頂いたろう。 翻って今、国政であれ、地方行政であれ。政治に決定的に足りないものは、説得力、と思うのである。 そう思う、まず隗より始めよ、ということで。 私自身の取り組みから得た、公明党の目指すものへの確信を、語らせて頂いた。 時間の許す限り、感謝の気持ちを込めて。情熱のままに、ありのままに。 そして、あっという間の、1時間弱。 終了後は、お1人お1人をお見送りしながら、たくさんの身に余るお励ましを頂いた。 つくづくも、返す返すも。故郷は、有難い、のである。 結局、今日も。私のほうが、皆様からたっぷりと、元気を頂いたのであった。
1週間は安静に、とは、先日のドクター勧告。 すみません、してられません。というわけで。 3日ぶりに無精ひげを剃り、身支度を整え、向かったのは、市内で開催された党員会。 小林みやこ松山市議が担当される支部である。 その、選挙以来というご無沙汰の皆様のもとへ、何としても駆けつけなければならない。 這ってでも。 私に強く、そんな気持ちをおこさせるのは、心に浮かぶ、懐かしいあの方、この方の笑顔、だ。 当時。 どれだけ、その笑顔の皆様に救われただろう、もうちょっと、あと1人、がんばれ! そして、その瞬間。どれだけ、わが事のように喜んでくださったろう。 よかったね、やったね! 感謝と決意を込めた、あの日の初心が、今も赫々と、脈々と、私の中を駆け巡っている。 そんな思いで参加させて頂いた。 お約束どおり、いや、それ以上の満開の笑顔に迎えられ、思わず、胸が熱くなった。 30分強のお時間を頂き、この日は、自身の駆け抜けた1年についてお話させて頂いた。 実話であり、体験談であり、新たなる決意発表であり、心からの謝辞、であった。 3日ぶりの病み上がりで、少々、クラッとしながらも、 私の話を1つ1つ頷いて聴いてくださる皆様の温かさに、心が、みるみる、栄養で満たされていくようであった。 無事、終了後。 心からの感謝を込めて、お1人お1人お見送りしながら、木村さん、といくつものお励ましを頂いた。 “身体、大事にしぃや。”“健康が一番やけん、気ぃつけて。” “ありがとうございます。でも、本当はそれ、私のセリフですね。お気を遣わせて申し訳ありません。” “なんも、なんも。”��↑愛媛の方言で、いえいえ、のこと。) さあ、明日から又、県内を走りまくるぞ。 笑顔の皆様に触れて、がぜん、決意がみなぎるのであった。
風邪で療養中でも、読書は可能。今日は、この1冊。 霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」、という、強烈なタイトル。 著者は、自ら、埋蔵金男と言い切っちゃった、財務省出身の、髙橋洋一氏。 ベストセラーとなった、「さらば、財務省」の著者でもある。 振り返れば、この間。 県民の皆様との草の根対話で、政治家と官僚、つまり、お国に対する批判をどれだけ頂いたろう。 怒りと、怒りを通り越した、政治不信。ムダと不正が後を絶たない状況では、当然だ。 そういう中で、私がグルグル考え続けているのは、ムダって何だろう、ということである。 もちろん、マッサージチェアなどの非常識は論外。 そもそもムダの定義と、それを決めるのは誰か、について、である。 同著は、個々の政治問題を経済学的な切り口から、その辺をかなり、スッキリと整理してくれている。決して、単純な、官僚バッシングではない。 さて、私的には。 ムダとは、全体最適に対して十分条件にすぎない優先劣位であり、それを決めるのは国民である、というニュアンスで、腑に落ちた。 残念ながら今、そして今に至るまで、政治はそうなっていない。だから、国民は怒っている。 そうした官僚組織のタテ割りが全体最適を阻害し、真の意思決定は、国民でも政治家でもなく、 官僚が担っているという現実を、彼は、官僚内閣制、と解説している。 そして、少なくとも庶民は、それを直感で見抜いている。 ムダに関して今、重要なことは、必要条件以外は引き算、というシビアな局面の全体認識だろう。 そしてそれは、 国にとっての必要条件以外は、すべて地方に分権していく、という引き算、つまり、道州制の議論にもリンクしてこよう。 構造改革、といえば簡単だが、国も地方も、劇的な、政治の曲がり角に差し掛かっている、と思う。 絶対出なかった情報が、次から次へと出てくるのは、情報のフラット化だ。これから更に加速するだろう。 そして良くも悪くもだが、政治が、お茶の間の距離感まで身近になったことは、政治の透明化だ。ますますウソは隠せなくなるだろう。 国益を損するものでない限り、政治はもっとディスクロージャーせよ。 そして、真の意味で、国民による意思決定が可能な議院内閣制を機能させよ。 それが、この間の草の根の対話で、私が真正面から受けとめた、庶民の皆様の叫びである。 私にできることに全力を、と思う。