手話の、おけいこを始めた。44歳の、手習いである。 この唐突ともいえる展開、直接のきっかけは、行きつけの散髪屋さん、だった。 そのお店のマスターには日頃から大変お世話になっているが、親しくさせて頂いているもう1人のスタッフが実は、聾者、であり。 “手話ができると、コミュニケーションの幅が広がりますよね。”先日、お店で、そんな会話になった。 自身、手話ができるマスターは、“それなら早速ご紹介しましょう”というや、散髪中にも関わらず、早速、電話をかけ始めた。 ちょ、ちょっと、いきなり、の展開である。 ほどなく、ご紹介先のサークル会長から、“ちょうど明日、会があるから見学にいらしては?”ということになった。 せっかくのお話なので、と翌日、お邪魔してみた。 主婦、というかほとんど女性ばかり、ざっと50~60名。 私1人、スーツ姿で場違い甚だしく、皆様からの視線は、ほとんど不審者、であったが、ご配慮により、自己紹介と見学の経緯をお話させて頂き、こちらもホッとしたのである。 それにしても、皆さん、手話がペラペラ。レベルがちょっと違いすぎ、そんな見学の印象であった。 結局、サークル会長のアドバイスにより、松山市で明日から開講される、初心者向け手話講座から始められてはどうか、ということで、今日の初日、となった。 この間、たった3日。唐突にして急展開、というべきか。 今日集まったのは約50人。いずれも、私と同じ、まったくの初心者である。 女性が多いのはあらかた予想できたが、年齢層がかなり若めだったのは意外だった。また、男性も、学生から社会人まで1割強いたのは心強いが、かなり予想外だった。 その向学心に心から拍手を送るとともに、入門動機を聞いてみたい衝動に駆られた。私のほうは、といえば。 昨年の選挙期間中から今日まで、聾者の方との出会いが少なくなかったこと、本会議や委員会で、災害時の要援護者対策の必要性を訴え続けてきたこと、 など、1年を通して様々な場面で。ユニバーサルなコミュニケーション能力の必要性を痛感してきたのであった。 初日は終日、身ぶりによる表現を学んだ。目からウロコ、という以外なかった。 表現手段を制約された時、人は。 相手に何かを正確に伝える、ということが、いかに難しいか、ということを、体と心で、感じさせて頂いた。 聾者の方々のお気持ちに、少し触れさせて頂いた気がした。 しっかりと学んで身につけていきたい、と思うが、この入門講座。全20回の内、4回以上欠席すると、基礎講座に進めないことになっている。 振り替えは、きかない。本会議であっても委員会であっても、欠席は欠席、条件はキツイのである。 入門で終わらないようにしたい。というか、日程が重なりませんように、である。
午後、党務。夜は、支援団体会合に参加させて頂く。 さて。最近、時間が経つのが、とてつもなく、早く感じる。 自身、年を取ったせいもあるかもしれないが、時間に対するルーズの裏返し、なのかもしれない。 自戒を込めて、開いてみる。 ��プロフェッショナルの原点」。��.F.ドラッカー著。 やはり、アイタタ、その通りであった。汝の時間を知れ、である。 同著は、仕事で成果をあげるためには、何をどうすべきか、という行動論であって、それには5つの習慣が必要と説く。 以下に列挙してみると。 1. 時間をマネジメントする。2. 貢献に焦点を合わせる。3. 強みを生かす。4. 重要なことに集中する。5. 効果的な意思決定を行う。 時間のマネジメントは、成果を上げる最重要の要素、なのだ。続けざま、第2章の扉のメッセージが心に突き刺さる。 ��時間は有限であって、かけがいのない資源である。一日、一週、一年のいずれの時間も増やすことはできない。 だが、あらゆることが時間を必要とする。最も稀少な資源である時間のマネジメントによって、あらゆる成果が左右される。 時間をマネジメントできなければ、何もマネジメントできない。時間のマネジメントは成果をあげるための土台である。 うれしいことに、時間をマネジメントすることは可能である。練習と努力によって上達することができる。」 最後の部分は希望だが、途中の部分は絶句である。時間をマネジメントできなければ、何もマネジメントできないのだから。 自身のなすべき貢献は何か、上げるべき成果は何か、そして、そのために時間をどう使うべきか。 今一度検証するとともに、そこへの真剣と真摯が必要であることを痛感した。議員もまた、ビジネスマンであることを忘れてはならない、と思うのである。
午前、自衛隊関係者の会合に来賓として参加させて頂いた。 第50回社団法人全国自衛隊父兄会松山支部連合会定期総会並びに地域啓発座談会、である。 初参加のため、要領を得ず、促されるままに着席したものの、他の来賓は来られない。 総会がいよいよ始まる段になっても、来られない。総会は粛々と進むが、来られない。 なるほど。 来賓出席者は総会終了後の式典から参加するんだ、と気づいたが、後の祭りであった。 1人、場違いを堪えながら、ようやく、第2部の式典に移る。ぞくぞくと来賓ご入場、でバツの悪い気持ちがようやく落ち着いた。 さて、自衛隊、である。 考えてみると、というほどに、私にとって考えさせられる貴重な機会となった。 あの、9・11以来。世界は見えない敵との戦い、といった様相を呈している。 あるいは。 地球温暖化の影響で、昨今、世界を取り巻く、異常気象と自然災害。その被害規模は、年毎に加速しているといって過言ではなかろう。 日本でも。 観測史上初とか、記録的な猛暑、あるいは寒波、というような報道が、今までには考えられない異変の進行を、常に私たちに示唆している。 いつ、何が起きるかもしれない。 そういう状況の中で、どのように国民の生命と財産を守るのか、という命題は、政治ミッションであるとともに、そのまま防衛省の最重要任務といえる。 また、国内だけではなく。防衛省に昇格したことにより、国際貢献が、自衛隊の本来任務にもなった。 空気のように当たり前に思っていることが、実は、当たり前ではないこと。 そこに、人知れず献身的にご苦労をされている方々がいらっしゃるからこそ、であり、そのことを忘れてはならない、ということを感謝とともにあらためて認識させて頂いた。 シビリアンコントロールが大前提であるがゆえに。宿命的に、厳しい目が向けられる自衛隊、また防衛省ではある。 が、一方で。そうした温かな感謝の気持ちもまた向けられる私たちでありたい、と思う。 ��写真は、四国の自衛隊唯一の音楽隊、第14音楽隊の見事な演奏風景。)
午後、党議員総会。 その中にも当然出てくるのだが、今日は、後期高齢者医療制度について触れてみたい。 テレビでも、新聞でも、取り上げない日はないくらい、国民が今、もっとも気になる話題といってよいだろう。 私自身、この間、どのくらいの方からご意見を承っただろう。そのほとんどが、怒り、であった。 そこには、当然ながら、不満と不信が含まれるが、そうした皆様に接して、私たち議員には説明責任がある。 国のことだからといって、お茶をにごすわけにはいかない。 その怒りを真正面から受けとめながら、私が肌身で感じるのは、まず、一番大事なことは何か、ということだ。 それは、目の前の、例えば、78歳の○○さんのお気持ちである。 松山市であれ、札幌市であれ、そこに厳然と生活を営んでいる、生身のお1人の、お気持ちである。 当たり前だが、この一番大事な大前提が、政府も官僚も、まだまだわかっていない、と思えてならない。 今回の新制度は、どう考えても、高齢者の方々へのお願い、であるからだ。 800兆円を超える借金を抱え、急速な少子高齢化が進展する中で、国民皆保険による医療制度の安定と持続を展望したとき、 全体としては、高齢者の方々にも一定のご負担を頂かざるを得ない、ということへの、ご理解とご協力の、お願いである。 現役世代の負担増はもちろん覚悟の上の話だが、そこにも限界があり、また、これ以上、孫・子の時代に借金を押しつけるわけにもいかない。 という状況のなかでの、止むを得ないお願いである以上、お願いのしかたがある、と思うのだ。 それには、誠意と真心の対話、以外ない。 もちろん、総じて今より保険料が安くなるという試算や。 低所得世帯を始め、経済的・身体的・社会的に大変な方々に対して、二重三重のセーフティネットが盛り込まれていることや、その他にも。 ご理解を頂くために、配慮させて頂いた制度設計の側面について、1人の公明党議員としてもっともっとお訴えしなければ、と思う。 と、思うほどに。私が肌身で感じるのは。 言い換えると、今、国全体を覆う空気は、対話拒否。そんな気がしてならない。 そんな中で、今、自身ができることは何か。なすべきは、何か。 やはり、誠意と真心の対話、しかない。 苦しいほどに、議員という仕事の重さを痛感するけれど。 目の前の、庶民である、お1人お1人のお気持ちを、わが気持ちとして、しっかり国へつないでいくことに徹してまいりたい、と思う。 そして、全国から集まったそうしたお声は、必ず国を動かせるし、制度をよりよいものへと動かせるし、皆様の心を不安から安心に動かすことができる、そう信じて。 お1人のお気持ちを、希望に、未来に、つないでまいりたい、と思う。 ��写真は、シラゼー・ハウシャリー&ピップ・ホーン作「ブルーム」at東京ミッドタウン。)
午後・夜にかけて、県民相談・党務・支援団体打ち合わせ等。 今日は、日経グローカルNo.97(2008.4.7)から。自治体維新、という首長インタビューである。 登場されたのは、山形県の斎藤弘知事。 思わず、全国の知事を何名知っているだろう、と考えてみた。47のうち、確実に半分以上知らない中で、確実に1名、記憶が増えた格好だ。 記事を拝見すると。民間国際畑を歩んで来られただけあって、着眼も行動もフレキシブルだな、と思う。 なにしろ、全国で一番記者会見の回数の多い知事、である。ご本人の自負だが、その通りであろう、毎日記者会見なのだから。 情報発信の重要性に着眼されてのことではあるが、きっかけは、素朴である。 知事のお子さんが、テレビに映った当時の小泉首相を見て、��あ、小泉さんだ」と認識するのをみて、なるほど、と。 1日に2回記者会見を行い、毎日ニュースに流れる総理のほうが、地元の知事より、はるかに身近で確かな存在だという、事実。 要は、頻度の問題。情報発信の前の、認知の問題。 同じメッセージであっても、発信するのが知っている人と知らない人では、理解も共感も度合いが違ったものになることは、私たちの経験則だ。 斎藤知事による毎日会見の導入は、今や定着し、直接お伝えするという情報発信スタイルがすっかり定番になったそうだ。 そんな知事の就任当初。 県庁刷新を掲げ改革に取り組もうとする際、最も痛感したのは、職員の発想の転換、だったという。 それは、コスト意識と、時間軸と、自律の3点。 私なりに解釈すると、成果と、優先順位と、ミッションということになるが、つまりは、経営という概念である。 就任3年が経過する中、個々人においては発想の転換、全庁においては財政再建、を基本としながらの、粘り強い取組み。 その成果の1つとして。 東北6県と新潟という大きな生活圏域の中で、各県が、それぞれの強みを特化し分担しながら発展していこうとする取組み事例の紹介は、わが愛媛・四国にとっても格好の参考材料だ。 また、斎藤知事のいわれる、夢3倍の法則、も興味深い。 人が、痛みを感受して自ら自律的に動き出すためには、痛みの3倍の夢が実現できる、と本人がわかってはじめて動き出すのだそうだ、と。 思わず、出典を知りたくなるが、いずれにしても。痛みと悲観に陥りがちな今、だからこそ夢が大事なのだろう。 それは、ないものねだりではなく、あるもの探しから始めよう、と知事はいう。そして、最終的に。 その夢は、有形も無形も含めて、山形らしさに他ならないのだ、と。まさに、改革の合言葉、と思う。 こういう発想と取組みが、多くの県と圏域において、澎湃と湧き起こっていく中で、道州制も、真の地方分権も、ふさわしいカタチが見えてくるような気がした。 結果的に、国の変化が一番あとでした、とならないように。最も、サイズ的に小回りの利く四国が、改革の先頭を切れるように。 愛媛でがんばるぞ、と思う。