早朝、自宅を出発。向かったのは、久万高原町。 お手伝いを頂く地元党員の皆様と、三坂峠にて合流し、いざ、遊説に出発。 午前9時の久万高原町は。 柔らかな日差しといい、空気の清清しさといい、 あるいは、鶯のさえずりといい、最高だ。 脳にも、きっと、アルファ波。この贅沢、都会の皆さんにも、お裾分けしたいものだ。 さて、今日の遊説は町内7箇所を予定している。 最初のポイントは国道沿い。行き交う車両に手を振りながら、マイクを握る。 いつもこの時間に立っているわけではないので何ともいえないが、通行量が確実に、この前より多い気がした。 特に、松山から高知方面へ向けて、バイクのツーリングチームが多いのが印象的だった。 時折頂く、お車からお手を振ってのご声援に、心温まる。 国道・県道沿いを何箇所か移動しながら、今度は、山間に深く入り込んで、谷間の集落を巡る。 絶好の日和も手伝ってか、家族総出の畑仕事・山仕事が、あちこちで見られた。 農業という仕事に、日曜日はないことをあらためて思う。こうした、まじめに働く方々が報われる社会に、と思う。 さて。昨日も綴ったが、遊説というのは一方通行のメッセージだ。 議員である政治家が、こちらの思いを広く知って頂くための、基本的で重要な、政治活動の1つである。 質も大切、頻度も大切。しかしその一方で。 生活者のもとに足を運び、その思いを、聴いて、知って、感じる、という政治活動のほうは、どうか。 今までのことは問わないが、少なくともこれからは。 こちらの活動こそ、国であれ村であれ、凡そ議員の根本活動とならなければなるまい、そう思う。 マイクを握りながら、“あなたの思いを、考えを、お聞かせください”と、お1人お1人に駆け寄りたくなる、そんな衝動に駆られ続けた。 安心・安全・快適という、生活者の願いや思いをカタチにするために。 もっともっと、草の根対話を広げていこう。そして、もっともっと、国とも市町とも連携を拡げ、深めていこう、と思う。 政治は、どこまでも、生活者から出発し、生活者に帰着するのだ。ということを、遊説を通して、五体を通して、今日も学ばせて頂いた。 いつも私と同じ思いに立ってご協力を頂く地元党員の皆様に、心から感謝を申し上げたい、と思う。
日中は、明日の街頭遊説の準備。夕方は、県民相談と党務で市内を回る。 中でも、とりわけ。 今日は、ご相談者の方に、一歩前進の対策実現をご報告することができた。 そのお喜び頂く姿に接したときは、こちらまで嬉しさが込み上げ、 各所に足を運び、心を砕いたことが報われる冥利とともに、ご尽力頂いた関係各位に、心から感謝を思うばかりであった。 これからも、どんな些細なことも見逃さず、油断せず、県民の皆様からのご相談にお応えしてまいりたい。 さて、明日の遊説のこと。問題は、原稿作成である。 ひざ詰めと違って、遊説は、一方通行のメッセージだ。 しかも、相手は、一般的に不特定多数であり、そもそも、最初から最後まで聴いてもらえるものではない。 そこを聴いて頂くためには、途中途中で、何かしら、心のフックとなるように内容も言葉も吟味しなければ、と思うと、なかなか筆も進まず。 とはいえ、書き出しは、“皆様こんにちは、こちらは公明党です”、に違いない。 でもって、明日の久万高原町は、高齢者比率が県下トップクラスの町。 お訴えするテーマは、1つしかない。したがって、続くフレーズは。 “本日は、今、最も関心の高い、後期高齢者医療制度についてご報告にまいりました”、となろう。 さあ、ここからだ。この間の草の根対話で、私が肌身で感じた率直を、思い切ってぶつけよう。 シンプル イズ ベスト、次のようにつなげてみる。 “ご承知の通り、後期高齢者医療制度は、本年4月から導入されました。 連日、マスコミでは、姥捨て制度とか、高齢者切り捨てとか、国民の不安をあおる報道を行なっています。 しかし、今、大事なことは、この新たな制度が、実際、私たちにとって、どのような影響があるのか、 冷静に判断し、具体的に対応をしていくこと、ではないでしょうか?” 本当に心からそう思う、ここが今回の遊説メッセージの核心である。 私たちへの影響というのは、常に現在と未来に向かうものであるし、その両方を視野に入れた上で。 真に議論すべきは、この制度は何がどう良くて、何がどう悪いか、という具体であるべきだ。 そうした1つ1つ、思いを確かめながら、今、続きを考えている。夜は、長い。 ネットによると、明日の天気予報は晴れ。一点の曇りなく誠実に、そして全力でお訴えしてまいりたい、と思う。 ��写真は、ピーター・ツィンマーマン作 「スコープ」 at 東京ミッドタウン。)
朝から、トップギアな1日。 市内を県民相談に走りながら、県庁内の部局をハシゴし、 警察署に向かい、地方局を訪ね、さらに党務で市内を巡回。 ここまでで、すっかり日も沈み。 おにぎりを頬張りながら向かったのは、支持者の座談会場。 体の電源と、心の電池の残量は?ふと浮かんだ心配は、しかし、杞憂だった。 懐かしい皆様の笑顔に触れた途端、元気100倍。 どこかのCMではないが、うれしさが込み上げて、つい微笑む私、なのである。 が、それはそれとして。ここでも対話の焦点は、後期高齢者医療制度、となった。 マスコミの影響は、すさまじい。あらためて、その威力を思い知らされる。 毎日の暮らしの中で、親しい間柄の2人以上が集まれば、この話題にならない日はないのではないか、と真剣に思う。 私自身、後期高齢者医療制度について、この3日間の、草の根対話だけで。 7会場のべ200人近い方々に、2時間弱、お話をさせて頂き、1時間半、お話をお伺いしたことになる。 ブログに何度も綴ってきた通り、皆様からのお叱りを真正面から、全身で受けとめながら、 ブログに何度も綴ってきた自身の思いを、率直に、精一杯、お訴えさせて頂いたのであった。 気持ちのよいほど正直で、緊張するほどに真剣な、ひざ詰め対話であった。 座談会終了の際、ある壮年の方のお顔から、開始当初の険しさが消えていることに気づく。 有難いと思うし、だからこそ、と、その方と共に国のほうを向く自分、に気づく。 話せばわかるし、わかれば変わるのが人間だ、と心から思う。 しかし、それは、お互いの誠実があってこそ、であれば、誠実の涵養こそ、政治家の第一の資質でなければなるまい。 日々怠りなく、磨いてまいりたい、と思う。 ��写真は、安田 侃 作「妙夢」 at 東京ミッドタウン。)
政務と、支持者座談会の1日。その、相中の夕方。 県議会スポーツ振興議員連盟の一員として、平成20年度 愛媛県社会人スポーツ推進協議会総会に出席。 出席者を見ても、会員名簿を見ても、錚々たる顔ぶれだ。県下有力企業・自治体・大学・団体関係者が、ズラリ。 そうした方々のご理解ご協力による同協議会が発足して、7年。 平成29年開催予定の愛媛国体を視野に入れて取り組む、本県競技力の育成・強化対策に関する様々な報告がなされた。 その力の入れように、目指すものが何か、ヒシヒシと伝わってくる。 そして、総会は、粛々と進み。松山大学ラグビー部監督の、山本厳氏による講演が始まった。 山本監督の講演は、年頭の会合でも拝聴させて頂いたが、その日のブログに私が綴った印象は、彼が発する、凄み、であった。 およそ尋常でない修羅場を。いくつもいくつも、くぐってきたアスリートしか湛えることのできない、凄み。 そんなオーラを感じたのである。今日もまた、そうであった。 演題は、「企業・指導者・選手の立場」。言い換えると、協議会を構成する各位の立場で大事なこと、であろう。 それぞれの立場を経てきた、山本監督の体験談であり、お話は、事実に基づく確信と情熱にあふれていた。 小学校の恩師からは、長所を引き出し目標を持たせることを教わった。中学校の恩師からは、スポーツにおける連帯責任を叩き込まれた。 高校の恩師からは、雲に顔出す富士山を通して、頂上の遥かさを教わった。大学の恩師からは、指導者の必要条件は、選手への愛情であることを学んだ。 やがて、企業人となり、指導者となり。“このチームを、必ず、日本一にしてみせる。” そして。文字通り、ラグビー日本一を達成し、連覇し、あのウェールズにも勝った。 しかし、それには、15年かかった。 私が感じる、山本監督の凄みは、きっと、この15年の歳月が生み出したものであるに違いない。 そして、簡単ではないその道程を、蹉跌することなく歩むことができたのは、 山本監督の、かつての恩師の教えのおかげであったろう。 実に、師の恩、量りがたし、である。 あらためて、山本監督始め、本県スポーツ指導者各位の、日頃、並々ならぬご努力に、心から敬意を表するとともに。 私自身もまた、師恩を思わずにいられないし、何よりも。 山本監督のように、結果で報いなければならない、その部分の厳しさを、強く、深く、心に刻ませて頂いた。 有意義で貴重なひとときに、心から感謝を申し上げたい、と思う。 ��写真は、松山大学ラグビー部監督・山本厳氏の講演風景。)
午後は、東京・大阪からの来客対応と部局折衝。夜は、市内2ヶ所の支持者座談会に参加させて頂く。 それぞれ、お久しぶりの、皆様である。また、邂逅を喜んでくださる、有難い皆様である。 そんな皆様の、真心からのご支援によって県政に送り出して頂き、1年が経過した。 心から感謝を申し上げるとともに、この間の自身の取り組みを紹介しながら、 今後とも、どこまでも公明党の議員として戦い、働き抜く決意を披瀝させて頂いた。 暖かで、力強い激励に、あらためて感謝の思いが込み上げてきた。 一方で。草の根の対話においては、当意即妙が試されるものだ。 ある会場で、私が話を始めようとした矢先、後期高齢者医療制度についてご質問を受けることとなった。 当事者世代の、壮年の方であった。 まなじりを決した、激しく厳しい、お叱りを頂いた。 それに呼応するように、居合わせた壮年の方から、お叱りが相次いだ。詳細は割愛させて頂くが、まさに激情による訴えであり、叫びであった。 結局、私には、ひと言の釈明の時間すら与えられなかった。1つ1つの訴えをしっかり受け止め、深々と頭を下げるしかなかった。 それほど、なのである。こうした当事者の叫び、心の痛みがわからずして、何が政治か、と思う。 制度説明より前に、政府も官僚も肝心なことを忘れている、と先日綴ったのは、このことである。 当事者である皆様のご理解と納得を頂かない限り、前に進めない、ということを、私たちは知らなければならない。 どんな制度も法律も、そうした信頼を頂くことが大前提だし、改革であれば、なおさらである。 その上で、対話拒否があったとしても、それでも対話しかないし、庶民の思いを、絶えず察知し施策に反映させ改善を惜しまない、 そうした感性と行動力が、政治に携わる者に、強く求められている。痛感するとともに、まず隗より始めよ、と自らに言い聞かせた。 あらためて。毎日、生きた勉強をさせて頂いていることに感謝したい、と思う。 ��写真は、堂本右美 作「悠々」 at 東京ミッドタウン。)