日中は、県民相談。夕方から夜にかけて、党務の1日。 内容にちょっと触れにくいので、今日は、この1冊。��分裂にっぽん」(朝日新聞社刊)。 いわゆる “格差問題” をテーマに、その光と影、それぞれの現場で何が起きているか、を追った、渾身のルポルタージュである。 本誌を貫く仮説は。 一億総中流が崩れた日本は、経済のみならず、医療、教育その他、生活のさまざまな場面で「分裂」に向かっているのではないか、 ということであった。 格差問題について、今ほど認知が進んでいない2005年時点の仮説だから、メディアとして、その兆しを察知してのものであったろう。 記者の鉄則どおり、取材班は全国各地へと足を運ぶわけだが、そこには、それぞれの現場における、生活者の生々しい現実が、詳細に綴られていた。 特に、第4章は、しまなみ海道周辺の取材。 愛媛県側では、今治市をはじめ、大三島や弓削島、豊島、魚島など、すべての事例が、光と影の、影として、取り上げられていた。 たとえば、魚島。合併後、島の人口290人のうち、約1割が島を出た。 とある老夫婦が、神戸に住む息子さんと暮らすため島を出るときのくだりでは、涙ながらに、「魚島で死にたかった」と。 しまなみ、で生まれ育った私にとって、こうした取材記事の1つ1つが、他人事でありようがなく、肌身に沁みる自分ごと、として迫ってきた。 親戚や、友達のおじちゃん、おばちゃんや、お世話になった先生、その方々の現実問題であるからだ。 そんな、しまなみで、記者が見たものは。 たとえば松山など、周辺の“強い”街へカネも人も動いているという現実であり、この章を、地方の都市間でも格差の断層はますます広がっている、と結んでいた。 その他、光と影の、光の部分も、すごいことになっており、驚かされるのだが。いずれにしても、分裂が急速に進んでいる、と。 さて、と、自分の頭で考えてみると。 こうした生活のさまざまな場面、分野、次元、局面ごとに広がる、格差と分断は、実は、国内だけではなく、他国内でも、国際間でも、厳然と、生じている。 とすると、私たちが生きる、時代そのものが抱える問題、だろうか。 とすると、真因は、産業革命が人々に、それまでの価値観との決別を余儀なくし、時代を画したように、��T革命が引き起こしたグローバリゼーション、という流れそのものがそれに当たるのだろうか。 とすると、が止まらない。日々頂く県民相談の1つ1つを通して、この問題に取組んでまいりたい、と思う。
日経グローカルNo.95にて、おぉー!っと、地元に関する記事を発見。 取り上げられたのは、東温市。サステナブル都市への胎動シリーズの3回目、であった。 家庭の太陽光発電導入を積極支援、廃食用油や木質ペレット利用も推進、 との見出しに、再生エネにかける小都市(愛媛県東温市)、という副題が並ぶ。 ちなみに、サステナブルというのは、持続可能という意味であるが、さて。 地球温暖化は、もはや、世界の共通認識であり、温暖化対策は、世界共通の、喫緊の課題である。 そんな中、ヨーロッパの各都市では、その対策の切り札として、化石燃料に代わる、再生可能エネルギーの導入が、大きな潮流になっているようだ。 そして、日本でも。 豊かな地元の自然資源を活かして再生エネルギーの導入に力を注ぐ動きが出始めたとして、愛知県田原市とともに、わが東温市の取組みが紹介されているのである。 私も、昨年8月、委員会視察で同市を訪れたことがある。 その際、高須賀市長ご本人から、同市の「地域新エネルギービジョン」についてご説明を頂いたのであった。��ご参照URL⇒ http://www.city.toon.ehime.jp/eco/gaiyou-energybision-h17.pdf ) 環境に対する市民の意識の高さと、市長が先頭に立ち強力に推進される、その熱意に感激したことを思い出した。 記事には、2015年度までに化石燃料の消費量を20%削減することを目標に、その代替エネルギーとして、太陽光発電、木質バイオマスエネルギー、��DF(バイオ・ディーゼル燃料)などの導入に取り組む詳細が、書かれていた。 その中で、私が特に注目したのは、同市がロハスタウンをめざしている、ということであった。 それまで知らなかったのだが、東温市は、人口当たり医師数が全国の都市で最多なのである。 そうした医療福祉施設の充実などから、��環境と健康」を前面に打ち出した「ロハスタウン」を、めざすべき都市像に掲げているのだ。 なるほど。等身大の、すばらしいコンセプト、と思う。 そんな同市の人口は34,000人。近年、着実に増えているのである。 県下の各市町が、環境に配慮しながら、独自の顔を創っていく、そんな頼もしい、知恵の開発競争、の一端を垣間見た思いがした。 そして。県もまた、他県との、負けられない競争は始まっているのだ。 実に大きな宿題、を思わずにいられないのであった。
アメリカ合衆国上院議員、バラク・オバマ氏(46歳)。いうまでもなく、時の人、である。 現在行なわれている民主党・大統領候補予備選は、ヒラリー・クリントン氏との、伯仲の、一騎打ち。 ヒートアップする世界のメディア報道は、勝負の展開についてまだまだ予断を許さない、という。 そんな、アメリカ史上初の黒人大統領、になるかもしれない彼の著書、��合衆国再生」(ダイヤモンド社刊)を読んだ。 400ページを超える分量もさることながら、文法直訳の文章解釈に難儀した1冊であった。 その分、洋画の日本語吹き替えナレーションのように、これぞアメリカ、的な臨場感が味わえたともいえる。 重厚な内容を、まとめると。 彼の、生い立ちから現在に至るキャリア形成についての告白をベースにしながら。 現在、アメリカが抱えている様々な困難を、自国の歴史の上から検証し、整理し、特定し。それらに対する彼のビジョンとアプローチを提示した、愛国のメッセージレター、というべきか。 タイトル通り、実に、意欲的な1冊であった。 さて、そんな彼は、私より2つ年上。たった2歳違いなのに、えらい違いである。 それはさておき、こんなエピソード。彼が26歳のとき、ある先輩から次のように問いかけられた。 ��年齢を重ねるうちにわたしが知ったのは、人は自分に満足のゆくことをしなければならないということだ。��中略)そして問題は、自分以外にその疑問に答えてくれる人はいないということだ。その答えは自分で見つけるしかない。」 そして、20年が経った今、彼は。その先輩の言葉に感謝している、という。 ��自分は(中略)、テレビカメラのまばゆさや群集の拍手の中に満足は見つからないと知っている。その満足は、人々が多少なりと威厳を持って暮らしていける力になれたと実感したときに得られることが多いようだ。」 と、見つけつつある自らの答えを語り、そして。 “あの男は人の役に立つ人生を生きたと言われたい”、と母親に手紙を書いた、ベンジャミン・フランクリンの逸話に思いを馳せながら、続ける。 ��いま、わたしに満足をもたらすものはそれのような気がする。家族やわたしを選出してくれた人々の役に立ち、子どもたちの人生がわたしたち自身の人生より希望に満ちたものになるような遺産を残すことから満足は得られるのだと。」 その部分、次元は異なるといえども、私も同じであり、まったく違わないのである。 彼の多くのメッセージに対して、あるいは、同時代を生きる同世代として、��es,We Can! (ほぉよ、僕ら、できるんじゃが!)、と強く思った1冊であった。
今朝の、愛媛新聞。思わず、目に留まった。 昨日の、環境保健福祉委員会の一部、障害者扶養共済制度・県条例改正案について、の記事である。 掛け金上げ 委員会可決。賛成多数 公明・共産が反対。 そんな見出しに始まり、以下は、記事の抜粋。 ��県が2008年度から心身障害者扶養共済制度の掛け金補助を段階的に縮小し12年度に廃止する方針を打ち出す中、県議会の環境保健福祉常任委員会は7日、掛け金値上げなど国の制度変更に伴う条例改正案を審査し自民と社民・護憲連合が賛成、与党の公明・新政クラブと野党の共産が反対し、賛成多数で可決した。ただ、加入者には二重の負担増となるため、賛成した会派からも県に方針再考を求める声が相次いだ。」(2008年3月8日付・愛媛新聞3面) 昨日の模様は、まさに、その通り、であった。 これについて様々な思いが今もあるし、また、この間、たいへん多くのことを学ばせて頂いた、と思う。 すべて綴られないとしても、やはり、心に刻ませて頂いたのは、私、あるいは私たち会派は、誰に対して責任を負うのか、ということである。 それは。 庶民の気持ちがわかり、その思いを代弁する者として、特に、弱者である福祉という分野に光を当てる者として、 本来の公僕として真面目に汗をかいて働く者として、期待を寄せてくださる、すべての方々に対して、であろう。 そういう意味では、与党会派にありながら。私たちに、今回の態度を貫かせたものは、そうした方々の叫びであった。 結果的に可決された点では、やはり、政治は数の力、という現実を痛感せざるをえない。 が、一方で。 ��賛成した会派からも県に方針再考を求める声が相次いだ」ところに、私は、当事者の叫びが、確かに伝わったことを、確信してやまない。 誰に対して責任を負うかということを深く刻ませて頂き、様々な意味で今後につながるであろう、1つの大きな戦いだった。 そんな思いで記事を読んでいると、当事者からメールが届いた。ありがとう、の趣旨。 こちらこそ、なのであります。 ��写真は、県庁内の風景から。天皇陛下御即位記念植樹、の松。)
環境保健福祉委員会、2日目の今日は、保健福祉部の所轄事案の審査であった。 庁内で唯一、予算が増大する社会保障関連を扱う部局だけに、理事者側の新年度当初予算案の説明だけで、小一時間を要した。 今回の本会議で、私たち会派は。 障害者扶養共済制度の掛金補助の段階的縮小・廃止について、断固反対、との意思表示を行なった。 与党会派にあって、熟慮と勇気を要したが、私たちを毅然と決断させたものは、当事者ご家族の叫びであった。 その時、私の心は打ちのめされたのである。 一方において、地方交付税が急速に減額され、歳入が減り続ける中、社会保障関連の県費負担が、このまま増え続けて良いはずがない。財政は早晩、立ち行かなくなる。 その自明の中で苦渋の決断というなら、行政は。心と体にどれだけ汗をかいているか、問いたかったのはその1点である。 そしてそれは、自身に向けても然り。今も問い続けている。もっと他に方法はないか、と。 その他、熱心な議論が今日も続いたが、詳細は後日の会議録に譲るとして。終了後、場所を移して引き続き、本委員会の懇親会が開催された。 新年度から、議員・理事者とも、顔ぶれが入れ替わる可能性があり、1年間を共にしたこのメンバーでは最後となる、いわば、お別れ会。 新人の未熟をいつも暖かく見守ってくださった、白石委員長、鈴木副委員長に、感謝。そして、森高議員をはじめ、種々ご指導頂いた先輩議員の皆様に、感謝。 的外れと浅学の私に、1から丁寧に教えてくださった、すべての理事者の皆様に、感謝。テーブルを回りながら、皆様に、心からの感謝を申し上げさせて頂いた。 また、この日は、県庁蛍雪会の懇親会が同時間帯で開催されており、遅ればせながら私も、駆けつけさせて頂いた。 蛍雪会とは、母校・今治西高校のOB会である。頭に県庁がつくから、県庁職員・県議の同校OBの集い、ということになる。 職員数、約300名。議員数、6名。数字だけ見ると、もはや一大勢力、である。 この項、また改めて、と思うが、なんと母校の有難き、なのである。 肩書きも、年齢も、距離さえ超えて、あの方この方と、一気にお近づきになれてしまうのである。 あっという間のひと時の最後は、お約束の、校歌斉唱。 壇上で指揮を執られたのは、先輩・豊島議員である。皆様にお見せしたいほど、実に見事な、勇姿なのであった。 ��写真は、4季連続が眩しい後輩たちの、今春センバツ出場記念タオル。)