そうか、そういうことか。 私の頭の中のモヤモヤの1つを、あらら、スッキリと整理してくれたのは、「社会を変える」を仕事にする、という本。 副題は、社会起業家という生き方。著者は、弱冠、というか29歳。 昨年7月。 ニューズウィーク日本版 「世界を変える社会起業家100人」 に選ばれた、NPO法人フローレンス代表理事の、駒崎弘樹氏、その人である。��ご参照URL⇒ http://www.florence.or.jp/about/ceo/ ) 完全に共感した、というと、大げさか。 とりあえず今の仕事ってどうよ、と自問自答して、もう1つスッキリしない、という、特に20代・30代の皆様には、ぜひともおススメしたい1冊だ。 今、私たちの生活を取り巻く様々な問題を解決し、よりよい社会に変えていくのが、政治家の仕事、とすると。 よくある、国と地方、官と民、という二元論ではなく、結局その範疇を出ない、予算配分の見直しとか、従来制度の改善とかの技術論でもなく。 そうした、上からの、カタチからの、今までの、アプローチでは決して生まれることのなかった、地域や社会の、生活現場から社会問題を特定し、その解決をめざす、という新しい仕事。 社会問題の解決によって、結果的に、よりよい地域と社会に変えていくことができる、それが、社会起業家の仕事、と彼はいう。 ならば、政治家も、社会起業家も。社会を変える、よりよい社会に変える、という本質において、見事に一致する、と思った。 地方に生きる私たちは、ナニナニ崩壊、という現実が、たくさんある。 それに対して、私がもう1つスッキリしなかったというのは、今まではともかくこれからは。それを、一人政治の力で何とかする話でも、できる話でもないのではないか、ということだった。 駒崎代表は、病児保育の崩壊、という現実を社会問題と捉えた。 そして試行錯誤の末、その解決の第1歩として、保険的病児保育サポートシステムという事業を立上げた。 最初の1歩は、残念ながら、政治ではなかった。 彼は、これは社会問題ではないか、つまり、たくさんのお母さん方が困っているのではないか、 という仮説を抱いたが、行政は抱けなかったのである。 が、そこから彼の事業が軌道にも乗り、病児保育の取組みを一気に全国に広げたのは、まぎれもなく行政のチカラであった。 ここに、大きなヒントを感じてならない。 地域に根ざした、地域固有の問題を肌身で感じることができるのは、まぎれもなく、そこに生活する私たち自身である。 久万高原町で困っている問題と、今治市で困っている問題は、まったく異なるし、愛媛で困った問題と、愛知で困った問題もまた、まったく異なるのである。 それを、他者に任せるでなく、他所に求めるでなく。 私たち自身で解決をしていこう、という“社会起業”という考え方そのものを地域に広め、その1人を創り、育て、広げることを可能にする、パートナーシップを行政が果たしていく。 間違いなく、世の中はそんな方向に進むであろう、確かな予感と新たな可能性を、同時に感じさせられた、この1冊。 機会を得て、駒崎代表に、思うところをぶつけてみたい、と思った。
朝、地元紙を開いて、目が点になった。 昨日のブログで、自身にとっての2月県議会を振り返ったが、今朝の朝刊では、政治部記者が、振り返っているのである。 でもって、その見出しが、��意義大きい与党の反対、公明・新政ク 異例の姿勢」 と、強烈なのである。 さらに、話の中心は、私たち会派の動きに関する評価がほとんどであり、その上、囲み記事、なのである。 わが党県本部の井上顧問も、長い議員生活で初めてじゃ、と言われるし、政治部記者に総括されるほど、インパクトの大きなことだったらしい。 思わず、広告料金に換算すると、20万円弱?と、余計なことまで考えてしまったのである。 以下、記事の関連部分を抜粋すると。 ��県の2008年度当初予算案を中心に審議した2月定例県議会が14日、閉会した。財政難による歳出削減の県内経済への影響を議論したが、特に与党の公明党・新政クラブが心身障害者扶養共済制度の掛け金に対する県単独補助金の段階縮小・廃止方針に「会派としては断固、反対する」と強い表現を用い、真っ向から異を唱えたことに注目したい。」 との書き出しで始まり、 ��代表質問に登壇した同会派の木村誉氏は「財政難の中で福祉や障害者支援の後退を危惧する」と強調。本会議の採決でも、国の制度改正に伴う同共済掛け金値上げを盛り込んだ関係条例改正案に反対した。」 のは、その通りであり、 ��公明党は07年7月の参院選で、年金問題をはじめとする与党への強い逆風を受け全国的に苦戦を強いられた。このため、参院選後、生活者重視という原点回帰を打ち出し、民意をくみ取ろうと、県内の自治体議員が盛んに支持者と対話を繰り返している。」 のも、その通りなのである。そして、 ��県議会では議員47人中、最大会派の自民党が34人と圧倒的多数を占める。県の各種施策は理事者と自民党の水面下での非公式協議を経て成案となることが多く、本会議に上程された時点で可決がほぼ決まっているのが実態だ。」 として、 ��しかし、そうであっても、議場という公の場で県民の実生活に基づく議論を展開する意義は大きい。議論の積み重ねにより、理事者の軌道修正につながる可能性があるからだ。今後も財源不足に対応した県民生活へのさらなる切り込みが想定される。県の「選択と集中」方針へ民意を確実に反映させるため、各会派には「是々非々」の立場での一層活発な議論を期待したい。」(2008年3月15日付・愛媛新聞3面) と、結ばれていた。 ご期待にお応えできるよう、謙虚に誠実に、がんばってまいりたい、と思う。ちなみに。 本件を除いて、私にとっての今議会最大のインパクトはというと、自民党・篠原議員の、県政を動かせた、あの、代表質問である。 きっとこの先も忘れられない、衝撃であった。 ��写真は、県議会議事堂内の絵画作品「石鎚展望」。剛健を杖とし、たゆまず、を想う。)
今日は、2月定例県議会の最終日。 総額7,916億円の平成20年度当初予算をはじめ、議案84件、請願4件の表決が行なわれた。 民主党が提出した、道路財源意見書以外の83件が可決し、請願4件は、いずれも不採択となった。 詳細は、明日の地元紙と会議録に譲るとして、最終日のいくつかのトピックスを紹介すると。 副知事に高浜壮一郎氏(現・農林水産部長)が、県教育長に藤岡澄氏(現・企画情報部長)が、それぞれ就くこととなった。 特に、私にとって。母校の先輩である高浜新副知事には、格別の祝福を申し上げたい。 また、吉野副知事、野本教育長には長年のご尽力に心より感謝を申し上げたいと思う。 一方、正副議長も新たな顔ぶれとなった。 自民党の申し合わせによる任期満了で、議長・副議長選挙が行なわれ、新議長に清家俊蔵氏、副議長に薬師寺信義氏が就くこととなった。 交代される横田議長、西原副議長には、1年間の激務に感謝を申し上げたい。 新人の私にとって、登壇の際の、木村誉議員!という、お二人それぞれのご指名の声は、おそらくいつまでも思い出に残るに違いない。 またまた、であるが、本当にこの日はもりだくさんであって。常任委員会・特別委員会の所属替えも、行なわれた。 私は、特別委員会は現状どおり、地域活性化特別委員会となったが、常任委員会は、環境保健福祉委員会から文教警察委員会に替わることとなった。 なかなか、生きた勉強をさせて頂いているな、と思う。 その他、4/1付の本庁の組織改正と、職員の人事異動が発表された。私の手動計算によると、異動者数1,736名、退職者数307名。 多少の誤差はあしからずだが、2,000名を超える方々が、新たなステージにて、その第1歩を踏み出されるのである。 昨年の自分を思うと、思わず、エールを送らずにはいられないのである。 以上が、最終日のトピックスであるが、返す返すも私にとって、大きな大きな、2月定例県議会であった。 次回定例は6月だから、これで新人議員として、1クール経験したことになる。思えば、赤面も多々、青くなる場面も多々、であった。 そしてその最後に、有難くも、会派代表質問まで経験させて頂き、その内容が翌日の地元紙で特筆されたことも、貴重な勉強となった。 1クール、すべてに無駄なし。みな、勉強。 標語のようだが、本心である。初心を忘れず、2クールめも、謙虚に着実に、前進してまいりたい。 ��写真は、県議会議事堂内のオブジェ「朱の翳にある三つの方形/森尭茂作」。知ってる人は知っている、か?)
議会休会日の今日は、久しぶりに身体を動かした。というのは。 実は、県議会には野球同好会というものがあって、何事も経験とばかり、私も所属しているのである。 というか、なぜか、ほとんどの議員が所属している大所帯、なのである。 そして、夕方、短時間ではあったが、市内のグランドにて、今年初めての練習が行なわれたのであった。 私は昨年、ことごとくスケジュールが合わず、1度も参加したことがなかったため、興味と緊張の初参加となった。 もう、びっくり、である。まさに、猛練習なのである、わたしにとっては十分に。 そもそも、同じ1期生の石川議員に同行したのが、まずかった。彼は、元国体選手で、かつ、現役バリバリなのである。 しかも、昨年行なわれた、第7回シニア軟式野球選手権大会で、全国優勝した、新居浜フィフティーズの正捕手であられるのである。 じゃあ、軽くいきますか? と、いきなり、グランド3周から始まったが、私には、どだい無理な話。高校卒業以来、ランニングひとつしたことがないのだから。 1周でギブアップとなり、26年も怠けた身体を、痛感する。そして、ストレッチのあと、50mダッシュを5本。 ハーハー、肩で息をするのは何年振り?と、なんとか付き合ったものの、 何度走っても、50mなのに20mは離される始末、キツイのは身体だけでなく心も、となる。 その後、全体でキャッチボール、トスバッティングと続き、最後に練習試合が始まった。 それにしても驚いたのは、野球経験者の多さ、である。確かに、そういう時代ではあったにせよ、 どおりで、皆さん、上手いはず、というか、上手かったはず、という感じである。 わが県議会チームは、四国大会では、ここのところ、いつも優勝。遠いかつて、全国大会でも優勝経験あり、と伺ったが、頷けた。 それと、もう1つ付け加えると、声がやたらデカイこと。グランドに響くヤジとツッコミは、さすが、議員集団なのであった。 でもって、練習試合の結果は、私たちのチームの勝利に終わった。私の成績は、3打数1安打1打点、セカンドの守備機会2、であった。 その後、場所を移しての懇親会となったが、大いに交流を深めさせて頂いた。そして、いつもとは違う先輩方の一面を知る、有意義なひとときでもあった。 帰宅すると、足を運ぶのも、身体を曲げるのも、やっと。バタンキュー、と横になり、運動の必要性を痛感する以外、何もなかった。
夜、松前町を訪ね、党員会に出席した。 何度かお声をかけて頂いたものの、あいにくスケジュールが調整つかず、私にとっては今回が初参加、となった。 久しぶりに、お元気な皆様とお会いでき、大変うれしく思うとともに、お1人お1人、その献身的な日頃のご支援に、心より感謝を申し上げた。 この日は前半、町職員をお招きし、後期高齢者医療制度の勉強会を行なったが、当事者世代の高齢者も多数参加されており、皆さん、熱心に耳を傾けられていた。 制度設計全体を、約20分の説明で把握するのは、なかなか難しい、というのが、私の正直な感想である。 要は、なぜ新制度を導入するのか、ということの理解と、導入後、私や私たち家族に対する医療サービスと負担はどう変化するのか、という具体提示。 この2点が対象者の最大関心事であり、最も不安を覚えるポイントと推察したが、やはり、質疑の中で、そこを問う声が上がった。 今後、いよいよ制度の導入が始まるにあたり、こうした質問は増えてくるであろうし、その時、ご理解を頂けるだけの的確なご説明準備が必要だな、と気を引き締めさせられた。 後半は、松本ひふみ松前町議の話に続いて、私の出番となった。 時間は、約1時間。たっぷり、すぎるほどである。 昨年から今日に至る御礼のあと、まず、私がこの間、見て動いて感じた、県政の実際について、というようなお話をさせて頂いた。 赤裸々というか、ぶっちゃけというか、ここはオフレコである。正直にありのまま、お伝えさせて頂いた。 途中途中で、笑いが起きたのは幸いであった。普通に話せば、政治のことは、大概、おタカイか、おカタイことが多いから。 但し、念のため。 毎日ブログをご覧くださる理事者各位と、たまにご覧くださる議員各位にご心配をおかけするような内容ではないので、あしからず。 続いて、2月議会に関するご報告と、党本部から配信された国政の最新情報ビデオ学習を行ない、短時間ではあったが、質問会にて種々のご要望を承った。 終わってみると、あっという間の1時間。 終了後は、皆様お1人お1人をお見送りしながら、さまざまに温かいお励ましを頂いた。尽きぬ勇気が、湧いてくる。宝物のように有難い、皆様と、皆様との場。 果たして、その後は、第2ラウンドの個別相談となるも、このように。県下各地で毎月行なわれる党員会は、私にとって、宝、なのである。 ��娘に“宝物は何?”と聞くと、持ってきた、丸川製菓のフェリックスガム。懐かしすぎ。)