午前、環境保健福祉委員会に出席。 愛媛県地域ケア体制整備構想の策定について、保健福祉部長寿介護課からの説明を受けた。 それは、高齢化の進展により、限られた医療資源の有効活用の観点から、いわゆる、社会的入院という問題の解決をめざすプランといえよう。 逼迫する療養病床を、慢性・急患を問わず、真に医療を必要とする方々に提供するために、医療よりも介護が必要とされる方々を、地域内で適切な介護施設等へ転換していく、というものだ。 平成23年度末までの間に、利用者・医療提供者・費用負担の視点から慎重に進めていく、という。万一にも、高齢者の切捨て、介護難民、といわれるような事態とならないよう、注視してまいりたい。 午後は、平成18年度決算特別委員会を傍聴。この日は、最終の取りまとめと採決が行なわれたのだが、前回に続いて今回も小さな波乱があった。 先輩議員の、その指摘の鋭さは勉強になった。当該部局の根底に巣食うあるもの、と言おうか、そこに対する指摘。 県民利益にとって、排除・改善すべき点については、いささかも、馴れ合いや遠慮があってはならない。その、議会のチェック機能が果たす重要性を、あらためて学ばせて頂いた。 その後、県民相談で各部局のハシゴとなる中で、ある方と緊迫したやり取りの場面があった。 先の委員会の波乱がどこから生じたか、ご本人が気づいかれていないところに忸怩たる思いがしたが、今後とも粘り強く真摯に向き合ってまいりたい、と思うばかりである。 さて、夕方は。雪ふる久万高原町に、ある壮年のお宅を訪ねた。 そして最近の、主に国政における、公明党の活動に対する不満と疑問と不信、についてお話を伺った。ひたすら、じっくりと、耳と心を傾けて。 説得、など不遜なことはしないし、できない。誤解を解く、というのも、こちらの正当性を押しつけるようで、少し違う。 ひとしきりお伺いした後、ご指摘に対する私の思いを、私の言葉なりで、お話させて頂いた。また、1つ1つに対して求められる対応を模索し、協議し、そして、私にできることをお約束させて頂いた。 こうして頂くご指摘の中に、庶民の皆様が真に求める政治への糸口が必ずある、と私は信じている。 そして、それらを真正面から受けとめながら、できることを実現し、できないことは昇華していく、愚直に、そのことに徹しよう、それこそが公明党の議員としての当たり前の義務だ、と思っている。 気づかざるを気づかせ、足らざるを足らしめ、誤りを正すのは、生活者の、庶民の、知恵である。 その皆様の声に対して、政治は不断の努力を惜しんではならないし、私たち公明党は生活者の党として、どこよりも敏感に反応していかなければならない。 その意味で。今日、お預かりしたその方の思いというものを、しっかりと国にも伝え、働きかけてまいりたい、と思う。 心からの感謝を申し上げ、お宅を辞し、うっすらと雪の積もった久万高原町を後にした。帰り際の、その方の満面の笑顔に、寒さも忘れた1日となった。 ��写真は、久万高原町のパウダーな、冬景色)
午後、西予市を訪ねた。向かった先は、久しぶりの県歴史文化博物館、である。 といっても、今日は鑑賞ではなく。 14:00から開催された、県立中央病院・放射線部長である宮川正男先生の��PET-CT(ペット・シーティー)で、がんはどこまでわかるのか?」という講演が目的であった。 実は、昨年9月議会において。 私は、がん対策の切札として、県下全域にPET-CTの普及促進を!という趣旨の質問をしたのだが、今なおその思いは強く、今後の新たな展開を拓くヒントを探す思いで本日、参加させて頂いたのであった。 とはいえ、PET-CTって何?という方もいらっしゃると思うので、簡単にご説明すると。実はこれ、がん発見の最新鋭装置、あるいはその画期的がん発見システムの名称、なのである。 1回の検診で全身のがんを簡単・正確に調べることができ、しかも集団検診の約20倍も発見率が高い、文字通り、最新鋭の、がん発見装置なのである。 少しひもとくと、今、わが国では「がん」でお亡くなりになられる方々が、年間約32万人に上る。 これは年間死亡者の、ほぼ1/3、つまり3人に1人にあたるのだが、見通しによると、今から10年後は、2人に1人が「がん」で亡くなるというのである。 そういった現状と将来予測を踏まえ、私たち公明党は、命のマニフェストを掲げて、「がん」対策に全力を挙げて取り組んでいるところである。 そして、現時点での成果の1つとして、昨年、「がん対策推進基本計画」が閣議決定された。 そこでは、今後10年以内に、75歳未満の年齢調整死亡率を20%減少させる、という数値目標を明確に掲げており、わが県においても、がん対策推進計画の中で、国の指針に基づき、それを目標としているのである。 であれば、そのプログラムに有効が期されるPET-CTをぜひ位置づけ普及促進を図ってほしい、ということを、私は議会で主張したのであるが、それは今のところ国の指針にない、ということであった。 宮川先生のお話のよると、例えば、肺がんの場合を臨床結果で見ると。 集団検診での発見率は0.05%。つまり、10,000人受けて、5人見つかる計算だが、PET-CTだと1.27%。10,000人受けたら、127人も見つかる計算になるのである。 がん治療は、早期発見に如かず、である。がん死亡率を減少させるには、早期発見を促進させることに如かず、なのである。 早期発見できると、がんの治癒率は格段に向上する。 だから、PET-CTの普及を、と思うのだが、庶民にとっては、そのPET-CT検診費用はまだまだ高い。約10万円もするのである。 そこで、行政による戦略的な取り組みを、というのが私の考えであるのだが。いずれにしても、今日の宮川先生の臨床事例をつぶさに伺いながら、その意をさらに強くした。 PET-CTにより確実に、助かる命が、ある。がんで苦しまれる、苦しまれた、あの方、この方を思い出しながら、さらにがんばりたい、と思う。 ��写真は、愛媛県立中央病院放射線部長・宮川正男先生)��PETドッグのお問い合わせは⇒ http://www.eph.pref.ehime.jp/epch/pet%20waribiki/pet%20waribiki.htm )
久々に読み応えがあったなー、と思った1冊。タイトルは、「日本、変革」(田原総一朗著/ダイヤモンド社刊)。 ついつい。 ��ニッポンが見えてくる世界一エキサイティングな授業」というサブタイトルと、��藤原和博」「竹中ナミ」というクレジットタイトルに釣られてしまったのだが。 みごと、大正解。 文字通り、誌上授業を体験できたし、エキサイティングが詰まっていて、こういう講義がライブで受けられる学生たちが、本当にうらやましく思えた。 その講義というのは、早稲田大学の大隈塾のことで、塾頭は、ご自身、同大学OBの、あの、田原総一朗さんである。 先の読めないこの時代に、生きるとは何かをつかむこと、を目的として、昨年4月に開塾。 毎回、塾長らが、これはまさに先輩としてすばらしい、と思う人たちをゲストスピーカーに迎え、私はこのように生きてきた、という具体的な生き様を語って頂く、という講義スタイルである。 弊ブログにも綴らせて頂いた藤原校長や、ナミねえ、の生き様が持つ説得力はやっぱり圧巻なのだが、今回、初めてその存在を知り、私が格別に感銘を受けたのは、次のお3方である。 有機のがっこう土佐自然塾・塾長の山下一穂さん( http://harehore.net/ )と、みやぎ食育の里づくりアドバイザーの結城登美雄さん( http://www.ruralnet.or.jp/ouen/meibo/243.html )と、㈱ハッピー代表取締役の橋本英夫さん( http://www.kyoto-happy.co.jp/index.html )。 おこがましく論評するつもりはないし、そもそもできないのだが。私は、その生き様に、引きずり込まれるような感銘を受けたのである。 山下さんは、元学習塾経営者。ひょんなことから行き着いたのが農業で、山下農法といわれる有機農業の伝道者となった。 結城さんは、元広告会社社長。東北の田舎を歩きぬいた末、食から地域を考える地元学を提唱し、その実践者となった。 橋本さんは、元サラリーマン。世界を視野に、クリーニングからダイレクト・ケア・メンテという新たなマーケットの開拓者となった。 なった、としているが、ご本人方いわく、まだまだこれからであり、現在急ピッチ進行形、なのである。 お3方とも、元ナニナニから紆余曲折を経て、伝道者となり、実践者となり、開拓者となられたわけだが、その紆余曲折の中で、まさに自ら生きることの答えを、自らで掴まれた点において、見事に一致していた。 朴訥だったり、ひょうひょうだったり、荒っぽかったり、その語り口はまちまちだが、決してぶれない信念があった。教えてもらうのではなく、生き方は自ら建てるのだ、そんな、人生に対する揺るぎなさ、を感じたのである。 そして振り返って自分はどうか。と考えたとき、今までの自身に対して思わず闘志がかきたてられたのであった。 そんなエキサイティングな読後感。結局、最後までサブタイトルの通り、だったのである。
午後、企業訪問を行なう。ある社長とのお話が、特に印象に残った。 いくつかある中で、今、マスコミを賑わせている道路特定財源についていわく。それは騒動であって、本質の議論には到底見えない、と。 にこやかにして、実に、手厳しいのである。 本則税率への上乗せが30年以上も続いたら、それは普通、暫定とは呼ばない。時代も物価も異なるのだから、最初に議論すべきは本則税率のほうではないか。 あらかじめわかっていたはずなのに、期限切れ間際でのドタバタ劇。見苦しい上に迷惑するのは国民、開いた口がふさがらない。 道路行政に一定の財源が必要なことは百も承知だが、次々に浮かび上がる国の不祥事を聞くにつけ、ムダはまだまだたくさんある、と思わざるを得ない。 ムダの定義が難しいことはわかるが、それぞれの主観を戦わせても合意は得られない。この際、期限を切って、合意が得られるような抜本的な議論を行なって欲しい。 まくし立てるように、ご意見は続いた。おっしゃるとおりだな、と1つ1つ相槌を打ちながら、受けとめながら。 そうした状況の中で、私たち公明党が考え、取組んでいることを1つ1つ語らせて頂いた。 どこまでご理解を頂けただろう、と思いながらも、私たちがめざすものへの共感の拡大は、対話した数とその深さだけであることを、つくづく思う。 社長に限らず、様々な企業の方々と対話を進めていく中で。この部分は容認できないけれども、その部分は誤解から理解に変わった、ということがある。 完全合意でなくともよい、部分合意をどれだけ見出せるか。それらをつないでいくと、まったく別の新しい合意がどこかに見出せるかもしれない。 政治は技術、とは先哲だが、まさしく政治家には。 支持者の皆様はもちろん、議員間、理事者間にあっても、合意を見出だすための技術が必須だし、それは対話によってのみ、またその場数と苦労した分だけ、力量として醸成されるのであろう。 また、ある社長とは、中国産ギョーザの話題から見えてくる、疑心暗鬼の日本、という話になった。 日本人として。 また、確実に肝心なものを喪失し、あらゆる分野で不信が渦巻くこの時代にあって、どのように信を回復させるのか、信じることの素晴らしさを実感できる世の中にしていくのか。 個別の法案も重要だけど、国民にとっては、そっちのほうが遥かに重要なんですよね。そこを政治は言ってみせ、やってみせて欲しいんですよね。 そうです、そうです、その通りです。と、ここが、まさに対話の、肝であった。 両社長をはじめ、訪問先では厳しいご意見とともに温かいご激励をたくさん頂いた。 がんばるしかない。月並みだが、目の前の、私にできることから1つ1つ、がんばるしかない、と強く決意した。 ��写真は、子どものお風呂のおもちゃ。その口のカタチが、がんばれ、に見えた。)