ほぼ徹夜明けの、朝。結局、仮眠を取ることなく、通常通り始動。 午前、県民相談をいくつか承る。その中に、公営住宅に関するお問合せがあった。 いうまでもなく公営住宅の意義は、自治体が、主に経済的弱者である方々に対して、低廉な家賃で、健康で文化的な生活を営むことができることを目的とするものである。 いろいろお伺いする中で、その意義と実際の、ギャップを痛感した。大変考えさせられる、大きな課題を頂いた気がする。 現在の、決定的な課題は。経済的弱者が、高齢化・障害化を含む身体的弱者になった場合の想定が、ないということだ。 ハードとしての供給システムを超えて、ユニバーサルな住居支援制度といった、あらたなしくみが必要なのではないか、ということを感じるのである。 高齢化の急速な進展を考えると、早急の対応が必要だ。今後、しっかり取組んでまいりたい。 午後。 ひとまずハードルをクリアした代表質問について、各部局からの問合せと指摘と相談を、五月雨式に、頂く。 えー、事前に質問と答弁のすりあわせをするの?と、最初の頃は思ったが、一長一短、と今は考えている。 この質問の主旨は、こういうことで間違いないか、という事前確認を行なうことで、トンチンカンな答弁が回避され、より精度の高い回答を引き出す上では、マル。 マルに対してバツはというと、まさに政治的な作用が働いてしまう、という点か。 いずれにしても、理事者の指摘は、鋭く細かい。当たり前だが、新人の私としては、完全に舌を巻くのである。 そんな中、今日も気になったのが、タテ割り、という弊害。1つの質問が複数の部局にまたがった場合、ヘンテコリンなことになるのである。 民間感覚・生活者感覚からいうと、ユーザーニーズに応じて変化すべきは、企業であり商品のほうである。 行政のタテ割りは、これを逆にする。これは、国家の運営体制のあり方に起因すると考えれば、自然と目線は国に向くのである。 意思決定に関していうと、国に思い当たる節が何と多いことか。ニッポンというのは、国の比重がメチャ高い国だな、とつくづく思う。 生活者の1つ1つの県民相談をお受けするにつけ、議会質問を準備するにつけ。 何としてもこれを改革しなければならない、と決意するとともに、密やかに感じる改革への潮流を、さらに確かなるものにしてまいりたい、と思う。 ��写真は、先日見た、愛知芸術文化センターの屋上に佇む、彫刻作品「大地」。日本/加藤昭男作。)
ようやく、カタチになった。2月議会の会派代表質問の原稿案、である。 先週後半は家を空けることが多く、焦れども落ち着かない、ムズムズとした日々が続いたが、ようやく昨晩、腰を落ち着けて、ひとまずひと通り、仕上げることができたのである。 そして、午後。 議事堂にて、公明党愛媛県本部・井上顧問に時間をとって頂き、昨晩できたてホカホカの質問原稿案に、目を通して頂いたのであった。 私は、今回で3度目の質問に立つことになるのだが、井上顧問は、毎回、その前を通過する大切なチェックポイントなのである。 いつもながらだが、書き上げた原稿が、30年にわたる議員歴を持つ井上顧問の視線にさらされるこの瞬間は、とてつもなく緊張する。 いかにも、全部お見通し、だからである。 スミマセン、その視点、気づきませんでした、とか、その部分への踏み込みが浅く、スミマセン、とか。 その種の、新人の浅学に付きまとう恐縮、による緊張感と、もう1つは、修行にも似た緊張感。 剣なら、剣を交えながらどうすれば相手を倒せるか、考えるのだが、どこからどう攻めても切り返される、隙がない、強さ。 将棋なら、攻めても守っても、こちらの打ち手が狭められ、気づけば、もはや打つ手なし、まいりました、と覚悟させられる、変幻自在なる、強さ。 私にとって、井上顧問は、そういう存在であり、原稿チェックの瞬間は、そうした緊張感に包まれるのである。 で、やはり鋭い、打ち込みがあった。痛いけれど、なるほど、なのである。こういうのは、体で覚える、ということなのである。 結局、家に帰って、全体の1/3程度について練り直しとなった。22:00頃、修正原稿を井上顧問にFAXし、見て頂いた。 意に反して、なかなかよくできました、とのご返事にホッとする。しかし、いったん活発となったシナプスは沈静化しないのか、どうも眠れそうにもない。 じゃあ、とばかり、推敲を始めたのである。 が、資料をひっくり返しながら、待てよ待てよ、と書き直していると、すっかり19日の朝となった。部局確認のメールを送付し、ひとまずのハードルをクリアした1.5日であった。 ��写真は、一昨々日見た、愛知芸術文化センターの屋上に佇む、彫刻作品「カリブの女」。オランダ/コルネリス・ジットマン作。)
午前、県民相談。午後、KHJ愛媛県こまどりの会・第12回月例会に参加させて頂く。 今回のゲストスピーカーは、えひめ若者サポートステーション・カウンセラーの、加藤敏美先生。私も以前取材にお伺いした、県下では知る人ぞ知る、臨床心理のスペシャリストであられる。 演題は、「不登校・引きこもりの子どもへの親のかかわり方について」。当然ながら、集われた親御様共通の、最大の関心事である。 私も又、議員としての立場こそ違え、同じ気持ちで参加させて頂いた。来週から始まる2月議会で代表質問にも盛り込む、重要なテーマであるからだ。 さて。冒頭まず、引きこもりの定義についてのお話があった。 加藤先生いわく、これが正解という唯一解はないとし、自分なりの解釈で表現するなら、“心身のオーバーヒートによっておきる、心のサーモスタットが作動した状態”、だそうだ。 適正を超えて、熱くなりすぎる、オーバーヒート。エネルギーの自動制御装置である、サーモスタット。 心は温度であり、エネルギーであるとするなら、誠に的確な表現である。 これなら、引きこもりがどこから来た何者であるか、ひとつかみに想像を掴まえることができそうだ。 現状では、まだまだ、引きこもりの問題に対する無関心と無理解は、多い。 そんな中では、まず、この問題そんな簡単なものじゃない、という苦悩の存在認知を、当事者の身近から地域へ、社会へ、広げていくことだ、と私は思う。 そのとき。ひとことの定義による、引きこもりのイメージ化は極めて重要、なのである。 つまり、引きこもりとなった若者たちは。 心のエンジン系統に何らかのトラブルが発生し、自動的に安全弁が働いた一旦停止状態なのだから、一定の時間を要しながらも、焦らずに正しくアプローチすることによって、エンジンは必ず動き出すのだ。 そんな、20年以上にわたる、ご自身の臨床体験に裏づけられた加藤先生のお話には、これまで多くの引きこもりの若者の自立をサポートしてきた、自負と確信に基づく説得力があった。 加藤先生には深く感銘するとともに、貴重なレクチャを頂き、心より感謝申し上げたい。 最後に一言、と予期せぬご指名を頂き、私も、参加された親御様にご挨拶を申し上げた。 最初、私がこの問題について、あるご婦人からご相談を頂いた時、その方と、そのご家族における個別単独のお悩み、と受けとめた。 しかし、そのご相談の解決をめざす中で、しばらくと経たないうちに、これが、もはや個人ではどうすることもできないくらいの、大きな社会問題であることに、ハッキリと、気がついたのである。 いじめや不登校との因果から見ると、引きこもりは教育問題であり、ニートとの関係性でいうと雇用問題であり。 未婚・非婚・晩婚の現実から見ると少子化問題であり、親御さんの高齢化の進展から考えると社会福祉問題、なのである。 そして、それは。 行政のタテ割りを試すかのように、厚労省だけのマターではなく、文科省・経産省ほかを跨いで、大きく横たわっているのだ。 しかし、必ず、解決させなければならないし、解決できる、ということを今日拝聴した加藤先生の講演に、ますます意を強くさせて頂いた。 そんな主旨のご挨拶と決意を申し上げたのだが、その通りまっすぐに。 国とも市町とも、官とも民とも、連携し。知恵を働かせながら、寄せ合いながら。 1日も早く、当事者とご家族に、元の笑顔が取り戻せる日をめざし、しっかり取組んでまいりたい、と思う。 ��写真は、えひめ若者サポートステーション・加藤先生の講演風景。)
名古屋を発ち、つかの間、大阪の家族を訪ね、急ぎ足で帰松。その足で、支持者の座談会へ駆けつけさせて頂いた。 いつお会いしても、どこへ訪れても、どなたとお話しても、有難いのは、支持者の皆様である。 およそ党派を問わず、どの議員もそうだと思うが、私がそう思う気持ちは、たぶんどの議員にも、負けない。 そんな切り出しから30分弱、お話させて頂いた。 皆様の代表として議員にさせて頂いて、約10ヶ月。 この間の、いわば私の体験談と、党の取り組みについてご紹介させて頂いたのだが、ここで先ほどの、有難い、という話に戻るのである。 つたない私の話を。 こんなにも温かな眼差しと、柔らかな表情で聞いてくださるのは、そこに真心があるからであって、他ではありえない、だからこそ、なのである。 特に、今日は2月16日という、特別な日。私にとって、人生のターニングポイントとなった日。 そんな感慨もご披露させて頂きながら、あっという間にひと時は過ぎ去り。 終了後、お1人お1人、お見送りをさせて頂きながら、たくさんのお声をかけて頂いた。えてしてだが、ここから第2ラウンドが始まった。 お時間の許す限り、順番にお話を承った。国に対する不信と不満、県に対するご要望、個別のご相談、様々だ。 で、結局。 生活者は決して政治に無関心ではない、ということ。むしろ反対に、政治にものすごく敏感で、たくさんの情報と意見を持っている、ということ。 そんな確信を、また1つ、心に刻ませて頂いたのであった。そして、ふと、草の根、という言葉が浮かんだ。 大辞泉によれば、隠れて見えない草の根もと、という文字通りの意味と、民衆ひとりひとり、一般大衆、政党・結社などの指導者層に対していう語、とある。 指導者層の対語が、草の根、と。 言葉の意味が、時代とともに変化するならば。 草の根。草木と大地の結節点。政党・結社などの指導者層と民衆を互いに結ぶ、信頼関係を表す語。 そんなふうに、辞書の定義が書き換わるような時代を、いつか拓いてまいりたい。1つ1つ力をつけながら、支持者の皆様とともに。 草の根、である座談会場を後にしながら、心で頷いた。 ��写真は、瀬戸大橋にてJR車窓から見た瀬戸内海。波の糸ひき、浮かぶ船2隻。)
初めての、名古屋、泊。 快調な目覚めの後、徒歩5分で、愛知芸術文化センターへ移動。ほぼ缶詰状態にて、社団法人日本経営協会が主催するセミナーを受講した。 セミナータイトルは、��財政危機を乗り切る バランスシート・行政コスト計算書の読み方と分析講座」。 講師は、稲沢克祐(いなざわ かつひろ)先生。関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科教授、経済学博士、であられる。 どこか、姜尚中テイストを感じさせる、先生の魅力に引きずり込まれ、すっかり居眠りも忘れる6時間となった。 今後導入される公会計改革というものが、地方自治体にとってどんな意味を持つのか、ということが、ざっくりとだが掴めたような気がする。 いや、掴まねばならないのであって。 私が理解したその意味とは、住民に対する、自治体財政状況の透明化と説明責任の履行、そして、行政コスト・マネジメントによる経営改革、これに尽きる、と思った。 ご承知の通り、民間企業には、貸借対照表・損益計算書・キャッシュフロー計算書・株主資本変動計算書、という4つの財務諸表という共通のモノサシがあるわけで。 これらを公開することにより、すべての利害関係者が様々な比較分析を行うことができ、かつ、当該企業の経営に対して主体的に関与することが可能となるのである。 一方の自治体も、そうした会計インフラの整備が求められる中。 “地方分権の進展に伴い、これまで以上に自由でかつ責任ある地域経営が求められている”とする総務省の方針により、今後3~5年以内に財務諸表の整備・作成が決まったのである。 それは、貸借対照表・行政コスト計算書・キャッシュフロー計算書・純資産変動計算書、の4つ。 いい流れだ、と思う。 失われた10年といわれるどん底の中で、民間企業の経営マネジメントは高度に磨かれたのである。次は、いよいよ行政の番、である。 決して財務には明るくない私だが、県政運営の一端に関わる者として、公会計スキルは何としても身につけなければならないことを、痛感した。 おそらく導入に向けて準備に追われているであろう職員の皆様とともに学ばせて頂きながら、また、民間でお世話になった諸先輩の知見に学びながら、研鑽を深めてまいりたい。 慣れない詰め込みに頭がガンガンしながらも、実に有意義な1日となった。 ��写真は、関西学院大学教授・稲沢先生の講義風景。)