寒波、襲来。午前、少し余裕を持ちながら、先輩議員とともに今治へ出発。 少し、どころの騒ぎでないことに、北条あたりで気づく。積雪による高速の通行止めにより、国道R196が数珠繋ぎの大渋滞。 うんともすんとも、動かない。 予定していた式典参加に遅れ、関係各位に大変ご迷惑をおかけした。大変申し訳なく思うとともに、自身のリスク管理の甘さを猛省した。 午後は、県民相談にて部局相談、種々。その後、企業訪問。 某販売会社にてマネージャ役員と、しばし面談させて頂いたのだが、たまたまかどうか、リスクに関する話題が中心となった。 およそ経営者にとって、今ほどリスクに敏感にならざるをえない時代はないのではないか、あるいは、リスクヘッジの巧拙が、業績ひいては企業そのものの存亡を左右する時代。 その厳しさを、お互いに確認しながら、話は続いてゆく。そして、最後はマネジメントの話にゆきついた。 ということになれば、ドラッガーである。帰宅後、たしかこの辺、とばかり早速、1冊の本を取り出す。 非営利組織の経営、だ。行政に携わる者として、何度となく読んではみたものの、読むほどに、深い本。 読み返す中で、今日、最も響いたのは、次の一節だ。 『非営利組織に働くあらゆる者が何度も何度も繰り返すべき究極の問いは、 「自分はいかなる成果について責任をもつべきか、 この組織はいかなる成果について責任をもつべきか、 自分とこの組織は何をもって憶えられたいか」である(P159)。』 非営利とはいえ、いや、非営利だからこそ、責任を持たなければならないのである。でもって、常に問え、と厳しいのである。 その通りだ。と、別の書にも、慧眼は事欠かない。 『確実なもの、リスクのないもの、失敗しようのないものは、必ず失敗する。』いわゆる、ドラッガーの第四法則である。 寒波による交通の乱れによって、平時のありがたさが身にしみ、氏の慧眼によって、惰性の罠の恐ろしさに気づく。 寒波から始まって。仕事を油断しては、いけない、と感じた1日となる。
昨日今日と、県民相談対応に掛かりきりとなった。相談多数、報告多数、である。 そういえば。 企業では、よく、ホウ・レン・ソウという基本がいわれる。いわゆる、組織や上司への、報告・連絡・相談、だ。 議員に訳すと、その順番は、ソウ・レン・ホウとなる。 県民当事者からの相談があって、関係部局への連絡があって、その検討あるいは調整結果を、最後にその方へご報告する。 これが、基本なのである。そして、私は。 そのサイクルが最短で、最大のクオリティが実現できるよう、特にスピードを意識しながら、今持てる全力で取り組ませて頂いている。 スピードといえば。昨今では、メールという便利なツールが一般常識化した感がある。 が、私の場合、なるべく、当事者の思いそのままにお伝えできるように、理事者各位への連絡は、アナログかつフェイスtoフェイス、を心がけている。 広告会社勤務時代に身につけたブリーフィング、オリエンシート、シーンボード、ビデオや、はたまたサムネールというお絵描きを活用しながら。また、対話のトーンも含めて。 とはいえ、努力の余地は広大で、まだまだなのである。と、前置きは、そのくらいにして。 今日は、いくつかの県民相談のご報告で。 当事者の方々から、予想をはるかに越えて喜んで頂く場面があり、それ以上にこちらの方が、嬉しさ込み上げた1日なのであった。 個人情報でもあるため内容は措くが、それぞれの方から頂いた評価には、共通したポイントがあった。 1つは、そのためにわざわざ足を運んでくれ、そこまでしてくれたこと。もう1つは、市と国とのスムースな連携とその反応の速さ、であった。 いい意味で期待が裏切られた、といわれるのである。 嬉しさが込み上げたのは、私のことに対してではない。それこそが公明党の存在理由に他ならない、ということに対してであった。 本当に、嬉しかった。 まさかそんなことまで、という、その、まさかの実現こそ、公明党創立の原点なのだ。 政治は国民のためにあり、議員はそのために働く公僕なのだから、そんなことまでするのは当たり前なのだ、ということを体現するのが、公明党の使命なのである。 あまりにも大きな使命と、そして。 その一員として恥じないように。広大な努力の余地を、今日よりまた、自身との戦いの中に埋めてまいりたい。
13:30、市内で開催された、盲学校を守ろう集会in松山に参加させて頂いた。 この催しは、県が進めている、盲学校を聾学校に移転・統合する計画に対する、文字通りの、反対集会である。 盲学校を現在地に存続させる会の主催、関係諸団体の共催により、同計画に反対する理由についての理解と協力を広げることが目的だ。 県議会でも、9月定例本会議にて。 同会による上記請願を全会一致で採択したことはご承知の通りであり、わが会派も、最初から一貫してその趣旨に賛同し協力してきたところである。 ちなみに聾学校関係者も、同計画への反対運動を独自に展開している。 当事者団体いずれもが反対する、その気持ちを真摯に受け止め、対応を過たないよう、議員の立場でしっかり注視してまいりたいと思う。 さて。 会場に足を運びながら、すごくシリアスな雰囲気を予想していたのだが、あにはからんや、大いに楽しませてもらったのである。 皆さんのエンターティナーぶりに、ぶっ飛ぶほど、驚いた。たまげた。 そういうアプローチ、あり、と思った。 反対!反対!というと、何か眉間に力が入るが、彼らは、それを、いわゆるコントにしてしまったのである。 しかも、芸人はだしでそれを演じたのは、会の代表と、顧問と、事務局長のお三方であられる。 いわば、この反対運動推進の核となる方々が、それを買って出るところに、その心意気に、感動したのである。 涙あり、笑いありの小劇場。今回の企画をプロデュースされた方に、思わず、心から拍手を送った。 そして。 そうなんだ、目の前の困難は、こうして明るく笑い飛ばしながら乗り越えていくんだ。と、人間の、本当の強さというものを教えて頂いた気がした。 貴重なひとときに出会えて、ありがたく感じるとともに。楽しませて頂いたのとは、うらはらに、だからこそ。 県民の皆様の思いをわが思いとして働いていくという、公僕の使命に、ひたすら真剣に徹してまいりたい、と思った。 ��写真は、盲学校を現在地に存続させる会・楠本光男代表の、華麗なるアルトサックス演奏。)
10:00、決算特別委員会、開会。この日も、最後まで傍聴参加した。 今日の審査は、保健福祉部・農林水産部・土木部・教育委員会事務局の4部局と、人事委員会事務局・議会事務局・監査事務局・労働委員会事務局・出納局、の諸局である。 その中で、ドキリとする場面があった。 委員の質疑に、教育委員会事務局が回答できず、休憩再開後、それでも回答できず、委員長預かりで、結局、最終日に答弁を持ち越すという一幕だ。 詳細は、おそらく掲載されるであろう、明日の地元紙に譲るが、瞬間、語気を強めて叱責した清家委員長の、鬼気迫る真剣さが、ずしりと心に響いた。 深く、考えさせられた。そして、また1つ、貴重な経験をさせて頂いた。 さて、そんな中。思いがけず、理事者の中に、懐かしい顔を発見した。 間違いない、と踏んだ私は、休憩中に声をおかけした。やはり、Mさんだった。 約20年ぶりだろうか。ちなみに彼は、私と同じ、香川大学。 コンボ・ユニティという軽音楽部の先輩である。フュージョン系のバンドで、ギターを担当されていた。 当時、スウィングのしかたが寺尾聰に似ているな、と密かに思っていた。そして今日。カッコちょうどよい、その枯れ具合が、今の寺尾聰に似ているな、と思った。 特別委員会終了後、県民相談で部局を駆け回ると、外は夕暮れの気配。 終業前の忙しい時間帯であったが、先輩の所属する部局をめざした。そして極めて短時間だが、近況を交わした。 どの先輩も、それぞれにご活躍のようで何よりだし、私のことも、それぞれが見守ってくださっているとのこと。 無性に懐かしくなった。スウィートばかりではない青春のメモリーが、脳裏にフラッシュバックしながら。 あの頃、みんな若かった、と思う。そして、歳月は人を待たず、を知る。 だからこそ。 いつ、どこで、誰と再会してもいいように、ちゃんと。年を重ねてまいりたい、と感じさせられた1日であった。 ��写真は、今から24年前、1984年当時のコンボ・ユニティ一同。あまりにも、若い。)
午後、松前町の企業を訪問。 地元の、公明党・松本ひふみ町議に同行頂き、各社に対する御礼のご挨拶とともに、ご商売の状況などお伺いさせて頂いた。 それぞれの経営者の、お話の切実に。地方の厳しさ、中小企業の大変さを、肌身で感じずにはいられなかった。 彼らからすれば。 この場所で、この立ち位置から、世界と戦っていかねばならないという時代に、その前に、霞ヶ関と永田町が敵になってはいけないのである。 政治は、彼らがきちんと戦える、つまり、健全な競争ができる環境を作らねばならない。しかし、そのスタートラインにさえ立てていない、というのが今の地方の現状であろう。 原油高騰によるスタグフレーションの進行を予感させる、昨今。 国は、政策を間違えてはならないし、また、間違えないように、地方の声、庶民の声をしっかり届けてまいりたい、と思う。 さて。 それにしても、さすが、と思ったのは、松本ひふみ町議である。 後輩の私がいうのも大変恐縮だが、よく足を運ばれているし、喜ばれる仕事をされている。各社長からも、いつも親身に相談に乗ってくれる頼もしい存在、と大絶賛の太鼓判。 いつまでも明るくはずむ対話に、信頼の二文字がクッキリと浮かび上がってくるようだ。とはいえ、その信頼関係は、決して一朝一夕ではあるまい。 道のりのご苦労に思いを馳せながら、よきお手本として、私も、地道に企業訪問を重ね、信頼を広げてまいりたい、と思う。 そして、夜。市内3ヶ所の支持者座談会に参加させて頂く。 お寒い中を集われた、老若男女プラス幼、すべての皆様の、日本一の笑顔に囲まれながら。 日頃のご支援に対する御礼と、エピソードを交えた自身の近況・決意を述べさせて頂いた。 我思う、ゆえに我あり、がデカルトなら、私は、有難い、ゆえに我あり。と、支持者の皆様を前に、確信するのである。 いつも変わらぬ真心を頂くがゆえに、いつも感謝を忘れることなく。議員活動のすべてに、真心を込めて、働いてまいりたい、と思う。 ��写真:松山観光港から望む、空と海と興居島、と走る船)