夜、北条にて、支持者の集いに参加させて頂く。 今年もがんばります、ますます働いてまいります、との思いを込めて、また、祈りながら、お一人お一人にご挨拶をさせて頂いた。 その後、ある壮年の方との懇談の機会を得た。結論からいうと、有難い、のひと言である。 ナゼか。政治に、公明党に、そして私たち議員に、期待してくれているからである。 耳の痛い話、手厳しい話ほど、議員は自ら足を運び、求めて聴かなければならない。そして、その中にこそ、政治における課題解決のヒントがある、と私は確信する。 もとより、民主主義という社会は、多様な意見を許容する。もっと直接的にいうと、ものごとには必ず、反対意見がある。 その場合の意思決定は、議会政治では多数決というルールを定める。ルールに基づいてどのように多数を形成するか、それを決めるのは民意であり、手続きは選挙である。 返す返すも、政治の出発点は民意であり、ゴールもまた民意でなくてはならないのだ。 だから、私たち議員は、民意がどこにあるのか、何が民意であるのか、アンテナを高くして、研ぎ澄まして、日々キャッチしなければならない。 壮年の方のお話を伺いながら、そんなことをまず思った。 さて。 その方は、大阪のご出身。そして大阪は、私の原点。 青春の一時期を過ごし、熱く濃い、その凝縮された月日の中に、今、議員をさせて頂く私の原点が、ある。 そして言うまでもなく、大阪の人は、実にストレートなのである。ストレートを文化とするコミュニティが、大阪人を形成しているともいえる。 それは、ぶっちゃけ、ぶっちゃけさせられるコミュニティであり、その一員となったとき、これほど居心地のよい世界はない、という社会である。 極めて独断と偏見の、私が実感する大阪観なのであるが、それはそれとして。 大阪から四国に帰ってきた当時、私は、四国の日常のすべてが何となく嘘くさく、とにかく物足りない、中途半端さと違和感を、激烈に感じたことを覚えている。 壮年の方のお話の根底に、あのときの私の気持ちが重なって見えた。すっかり四国人となった私も、このひと時、思わず大阪マインドが復活した。 勉強も経験も足りないことは承知の上で、率直な意見を披瀝した。あるいは、ダメだ、と思われたかもしれない。それでもいい、と思った。 しかし、これが第1歩であり、対話のラウンドの継続と、頂いた議員としての宿題の実行を、固く、心に期した。 ある人は、それを丸だと主張し、別のある人は、それを四角だと主張する。 はたしてそれは、丸か、四角か、どちらが正しいか、という議論に対して、それは議論が間違っている、といえるかどうか。 円柱であれば、いずれも正解なのであって。円柱は是か非か、というのが正しい議論だといえるかどうか。 生活の課題解決を担う政治は、その知恵と勇気が試されている。壮年の方から、そのことの大事をあらためて教えられた。 ゆえに有難い、と思うのである。 ��写真は、身近な円柱といえばコレ、スティックのり)