本日は、西田氏(自民)・玉井氏(民主)・野口氏(社民護憲)の1期生3氏と、4年ぶりのベテラン、毛利氏(自民)の計4名の議員が、登壇された。 個別の所感は尽くせぬが、それぞれの愛媛に対する、又、地元支持者の方々に対する、熱い思いが強烈に伝わってくる質問に、大変多くのことを学ばせて頂いた。 その中でも、特に、大先輩の毛利議員について。20歳も年下の私が、論評するのもおこがましいけれど、ご容赦頂くと。 大感情が、終始、込み上げてならなかった。 いわく。 「野に下れば、野に咲く花の美しさが見えてくるものであります。人の世の情けにふれ、その温もりが身にしみるものであります。今まで聞こえなかった声が、聞こえてくるものであります。 今、自分にできることは何か、なすべきことは何か、政治に今、本当に求められているものは何か。 原点に立ち返って、しっかり頑張りたいとの思いを新たにしている所であります。」 いったい何を言ってるのだろう、と思われるかもしれない。実は、毛利議員は本年、4年ぶりに返り咲かれたのであった。 その間の並大抵でないご苦労が、先ほどのコメントに凝縮されているのである。そして、その並々ならぬ決意が、聴く者の心を激しく打ったのである。 私は、知っている。議員図書館に行くたびに、少なくとも5回は見た、真剣で近寄りがたい、毛利議員の質問準備を。 そして、質問当日の朝、私が偶然に図書館を訪れた際にも、最後のリハーサルを本番さながらに、一人黙々と行っていたことを。 確かに、会派は、違う。けれど。 ふるさと愛媛の、なかんずく南予の再建と復興に賭け、そして今回の質問に賭ける、大先輩の真剣な振る舞いのすべてに、私は感動とともに、かけがえのない勉強をさせて頂いた。 感謝の気持ちでいっぱいになったのである。及ばずとも、その姿勢だけはしっかりと見習ってまいりたい。 心から強く決意した、一般質問最終日であった。 ��写真は、夕方から行われた、県議会・心肺蘇生法講習会の風景)
一般質問、2日目。 わが会派の豊田先輩をはじめ、徳永氏(自民)・阿部氏(環境市民)・福羅氏(自民)の4名が、登壇された。 それぞれに愛媛を愛する、4者4様の視点と情熱に、大いに学ばせて頂いた。その中で、どうしても私が気になったのは、徳永氏と福羅氏のお二人であった。 今治の、母校を同じくする者として。5つ6つ違うけれど、わりと近い世代として。 であるが、果たして、予想通り。共感するところ大、触発もまた大、なのであった。 30代の、さすが、を感じさせられた。 私も、しっかりと。新たなモチベーションを高めて頂いたお二人に、感謝を申し上げたい。 また、会派の豊田先輩には、40代のさすが、を学んだ。引き出された答弁に点数がつくならば、すごい高得点だったな、と思う。 自身を振り返って、引き出された答弁の点差をはっきり自覚するとともに、引き出すべきものは何か、から質問を組み立てる技術の必要性を学んだ。 また、阿部議員の芯の強さには、いつも感服だ。私には、あのようには、できない、たぶん。 本会議の一般質問は。それぞれに支持者を背負い、地域を担って立つ、各議員の真剣勝負の場だ。 ゆえに、毎回、いろんなことを考えさせてくれる。明日もまた、新たな登壇者の情熱に、大いに学んでまいりたい。 ��写真は、議事堂を車で出るとき必ず目にする風景、の秋編)
今日から、本会議の一般質問が始まる。 登壇者は、奇しくも東予選出議員が揃った。渡部氏(自民)・菅氏(民主)・石川氏(社民護憲)・鈴木氏(自民)の4名である。 菅議員の再質問の場面では、議事堂内が一瞬騒然となった。が、私にとっては勉強にもなった。議会のルール、論戦のルールを、今のうちにしっかりと、身につけてまいりたい、と思う。 さて、本会議を終えて、夜は久万高原町の支持者のもとへ駆けつけた。さすがにこの時期の久万は、寒い。痛いくらいに、寒さが肌を突き刺す。 そんな中、ほっぺを真っ赤にしてお集まり頂いた皆さんと、私たちの生活を取り巻く、最近の国政の動きについての学習を行った。 いくつかのテーマの中、高齢化が深刻な課題である同町だけに、最も関心が高かったのが、来年4月からスタートする高齢者医療制度の中身について、であった。 もっというと、どれくらい負担増になるのか、が関心の全てといっても過言ではなかろう。そして、それが、庶民の正直な気持ちなのだ。 寄り添う思いで、私は。 複雑な制度説明の前に、まず、各紙既報の通り、負担増を限りなく凍結・減免させたのは、公明党の成果であることを、強くお訴えした。 確かに、少子高齢化の急速な進展により、従来の社会構造が根本的に変化していく中で、増え続ける社会保障費と、現役世代の負担の限界を考えると、高齢者の方々にも一定のご負担を願わざるを得ないのが、現実ではある。 が、決して、一律負担、ということにしてはいけない。 住むところがない、健康でない、年金がない、貯金がない、縁故者がいない、そういった弱者を、政治は、何としても守らなければならないし、高齢者の多様な実情に見合った負担でなければ、ご納得頂けようもないからだ。 弱者を守るのが公明党であるならば、若者こそ弱者、という視点も必要だし、65歳という年齢を含めた高齢者の定義も、もう一度見つめ直す必要がありそうだ。 凍結・減免措置が終わるまでに、そういった根本的なところから納得のいく制度設計を、与党プロジェクトチームの中で、何としても私たち公明党がリードし創り上げていきたいし、 必ず、私たちが声を上げた分だけ、集めた分だけ、その力になる、ということを、熱くお訴えした。 その上で、さて、複雑なこの制度をどのように説明しようかと思案した結果、お一人お一人の状況を伺い、それに当てはめた見通しとしてお話しさせて頂くことにした。 なるほど、新たな負担を9割減免、といってもピンとこないものが、月額数百円になりそう、となると、いささかの安堵とともに、今回の減免はやっぱり助かる、とのご感想を頂き、こちらがホッとしたりもした。 いずれにしても。 少子高齢社会という、この政治的難局を乗り切るための必要不可欠は、希望であろう。そして、それは、どこまでも弱者の側に立つという信念によってのみ、可能となるのだ。 皆様と、和やかに、真剣に、語り合いながら。そこを大事にしなければいけないよ、とまた1つ教えて頂いた。 ��写真は、議事堂から見た秋の空)
毎日、ブログを綴りながら、思うこと。それは、アクセス頂く皆様のことである。 どんなことに興味を示し、何を感じられているのか。そんなことを、考える。 そして、その日のテーマによって、アクセス数に違いがあることを考えると。 興味の広さとか狭さのようなものが、あるような気がするし、アクセス数からすると、読書に関することは、わりと興味が広いのかもしれない。 ということで、先週、読んだ本。 「ニッポンを繁盛させる方法」(島田紳助・東国原英夫/角川書店)。説明するまでもなく、今をときめく、お二人の対談集である。 感想をひとことでいうと。あっという間に楽しく読めて、グッと政治を身近に感じさせる本、だ。 東国原宮崎県知事は、連日、話題が褪せることもないので割愛するが、私は、島田紳助さんというと、吉本興業元常務の木村政雄さんを思い出す。 いつかの講演で、木村さんは、人間の賞味期限、というお話をされた。 当時、漫才ブームからお笑いブームへと続く渦中でブレイク中の紳助さんの、タレントとしての賞味期限をどうしたら延ばせるか、と考えていたところに、政経TV番組・サンデープロジェクトの司会の話が舞い込んできたという。 チャンスだ!と木村さんは考えたが、紳助さんは不安と恐怖に駆られたという。できへん、わからへん、と本番直前まで震えたという。 しかし、その後の大活躍は、皆様ご存知の通りである。紳助さんの勇気と猛勉強の努力が、また新たな才能を開花させたのであった。 そのエピソードを通して、木村さんは力強く言い切った。 タレントとして賞味期限を延ばすということは、進化するということだ。そして、変われないものは、消えていく、と。 当時の木村さんのお話に、ビジネスもまた然りだ、と強く頷いたことを覚えている。いみじくも、紳助さんは同著で、大要、次のように書いている。 “人気が落ちるタレントと、20年以上にわたって生き残っているタレントは根本的に違う。長く続いているタレントには理由があり、その1つは、毎年進化していることだ。” “県も個人も同じで、毎年進化し続けないといけない。そのカギは、知事が、政治家が、県民に夢を語ることだ。” 話しを戻すと。この本に特に学びたいのは、タレントと元タレントの現職知事という、お二人の目線だ。 きっちりと、庶民を見つめているのである。そして、私たちと同じ立ち位置から、日本再生を問いかけてくるのである。 ユニークで鋭いアイデアがバンバン出てくるが、その都度、な、アンタもそう思わへん、せやろ、と語りかけられる思いがするのである。 肩の触れ合う立ち位置から、同じ目線で、せやろ、と微笑まれると、思わず、せやな、というのが人情ということを、プロのお二人は、ちゃんとわかっている。 翻って、今の政治が生活者にとって、どの位置で行われているか。そこからして間違い、ということがないように、よくよく考えさせられた1冊であった。
午後、松山市内で開催された国土交通省主催の会合に出席した。 同会合は、地域の自立と相互補完のあり方に関する意見交換を趣旨に、今日は東予と中予、明日は南予を巡回しての開催ということである。 伺えば。 国土計画について、国交省が地方の意見を聞いてまわるということは、かつてなかったらしい。そういう意味では、今回の開催は画期的といえる。 が、中予・松山会場の参加者は、3市3町の首長・県市町議会議員・議会関係者ら、約40名である。これだけの大人数が、果たして意見を交わせることができるのか、というと案の定、難しく。 どちらかというと、説明会の色彩が強く、消化不良の感が残った。画期的であるだけに、今後の継続開催とさらなる充実を心から期待したい、と思う。 さて、会合だが。 山本順三国土交通政務官の挨拶の後、国交省関係者から、地域再生に向けた冬柴プランのレクチャがあった。 プランの概要は、全国を9つの広域ブロックに分けて、各ブロックごとに、今後10年間を見越した戦略的国土形成に取り組むというものであった。 次いで、そうした国の指針に基づく、四国ブロック計画のたたき台となる、新四国創造研究会がまとめた意見書案が提示され、参加者の意見・要望を求められたのだが。 すべての発言者、というより参加者全員であろう、その共通した所感は、財源の所在であったろう。 提示された将来ビジョンについては、おそらく誰も異議を挟むものではないが、それを実現させる財源を地方で賄う、となれば、それは絵に描いたもちである、と。 地方の共通した要望は、目の前に差し迫った社会基盤整備をどうするか、であり、財源不足のため、案件の大半がペンディング状態の今、それをどうするかが先だ、ということである。 そのあたりの苦渋を、各首長が具体的事実を持って訴えられ、私も思わず頷く。 この間、県民から寄せられた、道路・河川・交通・港湾・下水道等に対するご要望のうち、財政事情により対応を待たねばならないケースが、どれだけあったろう、と共感する。 それもそのはず、今年度の公共事業関係予算は7兆円弱。10年前に比べて、ほぼ半減、と数字は厳然としているのである。 まだまだメスが入っていないムダな歳出領域への斬りこみによる財源確保と、真の必要性をきちんと見極めた上での基盤整備は、表裏一体であり、矛盾しない。 国にしても、県にしても。生活者の生命と財産を守ることを、政治の最大のミッションとするならば。 今、求められている地方の国交行政は、プラスをさらにプラスにするという発想以上に、マイナスをまずはプラスに転換するという、生活者の現実を直視した施策の実行であろう。 会合を終えて、すっかり日が落ちた屋外に出た。 国交省というタテ割りの時間から、ニュートラルな頭に切り替えて、急ぎ足で、次の訪問先へと向かった。