終日、井上顧問に同行頂き、企業訪問を行なう。年末のお忙しい中を各社ともご対応頂き、感謝の1日。 夜は、地元で大変お世話になった方のお通夜に参列。いつものあの笑顔を、もう見ることはできないと思うと、悲嘆にくれた。 そして、その方のためにも、その方の分まで、がんばらねば、と強く決意し、感謝し、お別れをさせて頂いた。 帰宅後。 メールをチェックすると、県民相談が入っていた。まだ、1日は終わらない。 その方とコンタクトを取り、状況とご要望について確認を行なった。さっそく取りかかるべき明日の宿題、となる。 さて。 昨日から所用にて、家族が、家内の実家・高松に帰っているのだが、おかげで当方は、実に久しぶりの1人暮らし状態なのである。 で、お風呂にポチョンと浸かっていると、ちょっと物寂しいのである。 してみると、クタクタになって帰宅したとき、言うことも聞かず、うるさくてかなわない、あのやんちゃ坊主とおてんば娘が、実は私の疲れを癒してくれていたことに気づく。 なるほど、1人の時間は大事なのだ、と思う。普段、見えないことや気づかないことに、気づかせてくれるから。 1人の時間は、かけがいのない発見の、カギなのかもしれない。 そういえば、家内にも。思い出したかのように少し感謝しながら、床についた。 ��写真は、家の、カギ)
3連休は、県民相談が相次いだ。休み明けの今日は、朝から部局のハシゴとなる。 県マター事案の中でも、理事者との協議の枠を超え、あとは知事の政治決断、といわざるを得ない難問まであった。 なかなかタフな休み明け、となる。そして、夜。 先輩議員とともに、田窪先生を囲んで繊維筋痛症について学んだ。あまり聞きなれない、その病気は、原因不明の難病である。 9月の委員会で、野口委員と森髙委員がこの病気に触れられ、県下の現状と対策を質したところから、今日の会合につながった。 とにかく痛い、らしい。全身に耐え難い激痛が走り、ひどくなると自力での生活が困難になるほどに。 であるにもかかわらず、国からは、難病、つまり特定疾患に指定されていないため、医療保険も適用もされず、適切な治療も確立されていないのだそうだ。 まさに、陽の当たらない、大変な病気であるのだが、こうしている間にも、患者さんは放置され、苦しみがますます募る日々を送られているのだ。 一説によると、その数は、約200万人。��型肝炎に匹敵するほど多いのだそうだが、認知度は雲泥なのである。 そうした繊維筋痛症に詳しい田窪先生の話は、どこまでも続く。 そして、いわゆる難病に対するわが国の厚労行政の矛盾と不合理に対して、医療の現場からの鋭い指摘が、いくつもなされた。 先輩議員とともに、何とかしなければならない、と意を強くした。次回2月議会で、超党派で意見書を国に出そうということになった。 その上で。 本年、難病指定されたFOP、XPを始め、難病といえば公明党といわれる、その一員としても、強く真剣に、国に働きかけてまいりたいと思う。 新たな知己と知見を得、超党派で患者さんへの思いを馳せながら。私にとって、実に実り多い1日となった。 ��写真は、繊維筋痛症リーフレット資料) ��S余談ながら。 党派が違う、ある先輩議員いわく。私は、ウヨクでもサヨクでもない、ナカヨクだ、と。 特に、いわゆる弱者に関連する、福祉をテーマとする委員会では、ナカヨクが大事だ、と。思わず、なるほど、と。 目の前の県民お1人に対して、何とかせねばと同苦するとき、そこに党派は関係あろうはずもなく。そういう意味でのナカヨクは、まこと宜しき、だ。
にわかに。朝から、家内が忙しい。 予感は的中し、午後から子ども2人を任された。たまには子ども孝行せんか、ということらしい。 さいわい天気もよく、公園に連れて行け、と子らは言い。言うや否や、の手際よさ。 サッカーボールとバレーボール、ボールとグローブ、なわとびとオモチャ。って、オモチャはいらんやろ、と思うが、何しろ必要アイテムらしい。 結局、軽い遠足状態となってしまった。そして向かった先は、松山総合公園。 駐車場から、テクテク、テクテク、テクテク、テクテク。やっと頂上にたどり着いたと思いきや、そこからは、もう放し飼い状態。 子どもというのは疲れを知らないものだ、と、つくづく思う。 約2時間。 持参した遊び道具で、ひと通り遊んだし、こっちも疲れたし、さあ帰ろうか、というと、まだダメだ、という。もう、鬼である。 結局、気の済むまでつきあうことにした。子ども孝行というのは、ヘトヘトと、フラフラで、キツイものではある。 まわりを見渡すと、似たような家族連れがいっぱい。どのパパたちも、笑顔がヘラヘラと見えたのは私の目の錯覚か。 そういえば。 私が子どもの頃は、ちょうど日本の、高度成長期の真っ只中。父親と一緒に公園で、などという記憶は1度もない。 かといって、遊んでくれない父親をつまらなく思ったことも一度もない。むしろ、仕事に一途な父親を、心ひそかに、尊敬していた気がする。 たまに一緒に出かけたのは、会社の運動会とか、花見とか。家族で、というよりは、会社関連行事への連れ出しが多かった気がする。 そういう時代と、こういう時代と。 私たちの子ども時代と、子どもたちの今と、はたしてどちらが楽しいだろう。あるいは。 今の子どもたちに、ALWAYS三丁目の夕日、の世界はわかるだろうか。あの底流にある、日本の、温かさと愛しさを。 ふと、湧き起こったセンチメンタルを制しながら。 あと20年もすれば、この子らが日本を担う主役として躍り出てくるのだ。それまでに、父親として、社会の先輩として、手を抜くまいと、思う。 私が、父親の、いわばプロジェクトXの時代の先輩方に無条件で敬意を表するように、私たちの世代も、子どもたちが心打たれるような仕事をやり遂げなければならない。 なぜかならば、かの時代より何倍も、今が、難しい時代であると思うから。そして、その、今、を担う一人として、日本を次に引き継いでいく一人として。 心して、かからねば。 子どもたちに遊ばれながら、松山総合公園まで行って考えなくてもいいことを、考えさせられてしまった。
世間的にいうと、今日は、3連休の中日ということになる。そういえば、ほとんど電話もかかってこない。 皆さん、いかがお過ごしだろうか、と考えながら、この日の私は、せっせと事務処理と書類整理に励んだ。 特に、今週は出ずっぱりのスケジュールであったため、いろんなやりっ放しを一気に片づけて、気持ちもスッキリだ。 もちろん、片づけること自体は私の仕事ではない。問題は、今週の数々の出会いの中で頂いた、課題解決の続きである。 社会的引きこもりについて。えんむすびプロジェクトについて。ユニバーサル社会について。 課題解決、あるいは、その糸口の発見のために、私は何をなすべきか、を考えるために、それは何か、をもっと知らねば、と思った。 そして、以下4冊を並行して読み始めた。 「ひきこもりの社会学」(井出 草平著/世界思想社)「ひきこもりはなぜ「治る」のか?」(斎藤 環著/中央法規)「NPOという生き方」(島田 恒著/PHP新書)「ラッキーウーマン」(竹中ナミ著/飛島新社) 例えば、ナミねぇさんが麻紀ちゃんのために、医学と薬学を“片っ端から読み漁った”ように。万分の一かもしれないけれど、私も、県民・当事者の皆様のために、貪ろう、と思う。 お約束を果たすために。皆様のために私のなすべき、のために。 ��写真:スッキリと、整理整頓、マイデスク)
午前、一人の大先輩とお会いした。 その方は、大阪府議会議員を4期16年務められ、本年勇退された、谷口さんという方である。 私にとって、郷土今治の先輩であり、高校の先輩であり、そして、公明党議員としての先輩でもあった。 先週、連絡を頂き、帰郷するので会えないかというその日が、今日であった。 世間にあっても、初対面の際、相手が同窓であることが判明すると、グッと親近感がわくものである。 今回は、それに加えて、同郷であり、同志でもある、ということになれば、のっけから信頼関係ができあがり、まだ見ぬ再会ともいうべき会話は、制限時間いっぱいまで尽きることはなかった。 といっても、そこは大先輩である。 新人議員として、今、やるべきことは何か。研鑽すべきは何か。その心得から実践まで、自身の体験を通しながら、お心こもるご指導を賜った。 何と、ありがたい。束の間ではあるが、貴重な邂逅となった。 谷口さんをお見送りしながら。今日を基点とした、関西における信頼と触発の人脈の拡がりを、胸中にしっかりと描いた。 さて、久しぶりの雨、の、この日の夜、1本の電話が鳴った。 県内に渇水の懸念が広がる中、確実に慈雨、と思っていた矢先、時として被害を及ぼす自然の両面性を知らねばならないことを痛感させられた。 いわゆる、雨漏り被害である。 すぐ現場に直行し、被害状況を確認の上、対応に当たらせて頂いた。詳細は措くが、つくづく議員は、生活現場から心が離れてはいけない、と思った。 たかが雨漏り、ではないのである。同じように、たかが値上げでも、たかが制度廃止でもないのである。 机の上では多少のことも、生活現場では決定的となりうることを、政治は知るべきである、と。 県民相談の帰り道、雨に濡れながら。自身が依って立つ心の位置は、ここだ、と確かめながら。 遅ればせに、青年の集いに駆けつけた。先輩との邂逅に始まり、生活現場に足を運び、後輩との決意漲る会合に終わった1日。 その真ん中で、自身が果たすべき使命を忘れまい、と思う。 ��写真は、先日の久万高原町遊説での1コマ)