今日は、大晦日。まったく、らしからぬ雰囲気ではある。 早朝、今治を発ち、一路松山へ。 個人のこと、わが家のこと。お正月の準備で、あっという間に1日は過ぎ。 隣の部屋で子どもたちが、早く来い来い、お正月と歌っている。しかし、父の正月はどうやら忙しく、凧揚げも駒回しも満足につき合えそうもないのである。 そんなことを考えながら、今年最後のブログを今、綴っている。が、この1年を簡単にまとめることは、とてもできそうもない。 これだけ濃密で、濃厚な年は、なかったから。 1月も、2月も、3月も。4月の統一地方選から今月まで、大晦日に至るまで。 ハッキリと覚えている。何をして、何を感じてきたか。 なぜかならば、それはこのブログのおかげである。いな、それを決意させてくださった、あるご婦人のおかげである。 5月10日の初登庁から今日まで、1日も欠かさず、私が綴ったのは、その日その時その瞬間の、偽らざる決意であった。 1日1日の総括であったし、皆様への誓いであった。 その日から、約8ヶ月。 新人議員として、無我夢中で走らせて頂いた。振り返るにはまだ早い、と思う。 まだまだ至らぬ自分であることを、誰よりも自覚するゆえに、初心を忘れず、ただひたすらに前進あるのみ、と思う。 そして、明日から2008年。自身の知見とキャパシティの、拡大の年。 誰よりも、県民の皆様のために喜んで働き。どこまでも、県民の皆様とともに苦楽をともにしながら。 素晴らしい1年を創り拓いてまいりたい、と思う。 PS本年お世話になったすべての皆様に、心より感謝の気持ちを込めて。この1年、本当に、本当に、ありがとうございました! ��写真は、冬の、燧灘)
午前、市内をご挨拶回りに伺う。昨日同様、たくさんの真心に心から感謝があふれた。 午後、今治へ向かった。目的は、2つ。 高校時代の下宿のおばちゃんのお見舞いと、同窓の支持者の皆様との懇親会出席のためである。 下宿のおばちゃんの名前は、守屋さん。今年の夏、数十年ぶりに訪ねたのだが、あいにく留守であった。 ではせめて名刺だけでも、と、当時の御礼メッセージを添えて残しておいたところ、しばらくして守屋さんの娘さんからご連絡を頂いた。 そして、近くの病院に介護入院していることを知った。多忙に感けてお見舞いにも行けず、ようやく今日、となったのである。 そして。お会いできて、よかった。 たしか、守屋さんは大正2年生まれ。だから、御年94歳ということになるのだが、数十年経っても、面影は当時のままだ。 私にとっては、いつまでも、下宿のおばちゃんなのである。 そして、心配ばかりおかけした当時のやんちゃな私であったが、よくぞ覚えていてくださった。立派になられて、と目を細めながら、何度も何度も頷きながら。 決してまだ立派とはいえないのだが、おばちゃんの手を取り、私は語りかけた。 立派に高校を卒業もでき、ここまで来れたのは、おばちゃんのおかげだから。それは、間違いないのだから。 ありがとう、そして、いつまでもお元気で、と。私は、今できる最高の笑顔で、おばちゃんに手を振り手を振られ、病院を後にした。 感慨の余韻さめやらず、引き続き、懇親会へと向かう。1年ぶりの、各位との懐かしい再会である。 同郷で、同窓で、同志の皆様とのひと時は、何と嬉しき。 話に花が咲く、という。ならば、この日の花は、フラワーフェスティバル級であった。 2時間が、あっという間なのである。あれも話したかったし、これも話したかったのである。 ともあれ、最後は、お約束。皆で肩を組みながらの、校歌斉唱である。 私の、2回り上から、2回り下まで。 みんな、声がデカイのである。歌詞の記憶も確かなのである。 そこに年齢は、関係ないのであって、同郷、同窓、同志という、3同根の絆に万歳、なのである。 かくして、2007年も、終わろうとしている。これほど感謝にあふれた年はない、感激と激動の1年だった。 今年一番の寒さの中、来年の、今月今夜の再会を期して、笑顔での散会となった。 ��写真は、来島大橋と懐かしい今治市街)
終日、ご挨拶回りを行なう。 この1年の、お一人お一人との様々な思い出を回想しながら、感謝の気持ち1つで、寒風の中を、歩きに歩いた。 温かな励ましを、頂戴した。党に対する苦言を、頂戴した。 真心のお裾分けを、頂戴した。有難いご期待を、頂戴した。 にこやかな笑顔を、頂戴した。玄関先でのお見送りを、頂戴した。 本当に。心に、沁みた。 たくさんの真心に対して、私がお返しすべきは、結果である。 そのことを、ある方が、厳しくも温かくご指導くださった。 公明党は、庶民の側に立つ、などと言ってはいけない。公明党の存在それ自体、庶民そのもの、なのだから。 創立の志を忘れてはいけない。志の有無は、議員個々の行動と結果に、全部現れるのだから。 その通りである。それ以外、何ものでもないのである。 その重責を担う身の厳しさを、あらためて刻ませて頂いた。有難い、より他の言葉が、見つからない。 翻って。本年4月の統一地方選出馬の際、私は、誓い、叫んだ。 庶民に生まれ、庶民に育ったことが、自身の最大の誇りであることを。庶民が最も幸せで、庶民こそが社会の主人公である、そのために働くことを。��ご参照URL⇒ http://homare.i-yoblog.com/c902.html ) 私の初心であり、原点である。今日までそれを忘れたことはないし、忘れてなるものか、と思う。 そして、これから私のなすべきは結果だ、と思うし、必ず、庶民の皆様のご期待にお応えできる結果を勝ち取りたい、と思う。 1つ1つ、真剣に、誠実に。そして、着実に。 すっかり夜も更け。今夜は雪、の天気予報をケータイで確認しながら。 終日にわたり頂戴した真心を心にしまって、車に乗り込んだ。行き交うどの車も、家路を急いでいた。 ��写真は、冬の低い空に、射す陽光)
午前、企業訪問。午後、党務のち企業訪問。 世間の多くは、今日が、仕事納め。官公庁は、御用納め。 いわゆる、納める日。 おそらく挨拶回りであろう、朝から目に見えて、道路が混み合っている。気が焦るのか、伊予の早曲がりに拍車がかかっているようだ。 すべての方を取り巻く、すべての方々のために、無事故で、と願う。 さて。昨年の今日は、私にとって、仕事納めであると同時に、勤め納めでもあった。 つまり、退社の日。��4年間の、勤務先での様々な思い出が、脳裏に錯綜した1日だった。 右も左もわからなかった、最初の数年。失敗ばかりで周りにご心配もおかけしたが、青くて、若くて、楽しい思い出ばかりだ。 次の数年、慣れてきた頃。いったん陥った惰性を突き抜けると、ますます仕事が面白くなった。 そして、松山に来て。いちばんキツくて、いちばん悩んで、いちばん鍛えられたのが、この4年間だった。 退社の日、退社の瞬間を前に。 私は、お世話になった関係者に、社内メールを送った。感謝の気持ちを、いっぱい詰めて。 返事は、もう見ることができない、ラストメール。 これで、納まった、と思った。あとは、新たな世界への挑戦に一瀉千里。 腹が、決まった。 あれから1年が、経った。まだ、という思いと、もう、という思いと。 すべての皆様のお陰を思い、ただ感謝するばかりである。初心は今も、いささかも揺るがず、だ。 来年の今日も。きちんと1年を納められるように、邁進してまいりたい。 ��写真は、北条の交通安全標識)
午前、県民相談への対応で部局巡り。午後、企業訪問を行なった。 とある地元企業社長との面談で、耳の痛いご指摘を賜った。ひとことでいうと、県行政の企業努力はまだまだ足りない、ということになる。 例えば。 歳出を少しでも抑制するために、個々の案件を厳しくチェックするということは必要だが、��in-Winの視点と、トータル・クオリティのバランス感覚が決定的に欠落している。 今のように、適正を超えた発注単価の値下げ競争が行き着く先は、結局、Lose-Lose。お互いに潰れる、ということだ。 また、いわく。 出入り業者は、見ていないようでよく見ているものだ。本当に危機感を持って取り組む職員と、そうでない職員がいることを。 後者に対する対応こそ行政の企業努力だと思うが、こちらが気づくほどには変化が感じられない。民間感覚としては、経営判断がまだまだ甘いといわざるを得ない。 またまた、いわく。 同じことが、そのまま議員にも言える。コツコツと地道に、県民・企業・団体を訪ね、真摯に耳を傾けながら誠実に取り組む人と、そうでない人と。 見ている人は、きちんと見ている。後者の議員は、これからの時代においては間違いなく淘汰されていくであろう。 県民の視点から出発し帰結する仕事ができているのかどうか、最終的には議員個々の人格が選択される、そういう時代に入っている。 まだまだ、ご指摘は続くが。久しぶりに、良薬を得た気がする。 夜、知人との懇談でも、民間企業が直面している、去年でも半年前でもない、今の厳しさを教わった。あらためて、思った。 健全な事業経営の遂行のために、民間企業経営は、赤字もムダも、決して容認しない。ゆえに、不断の改善をたゆまず行い、不合理なる聖域のありようもない、ということだろう。 行政の企業努力も。 ��(イコール)とはならないにしても、せめて≒(二アリー)との評価を頂けるよう、さらに真剣に、さらに創意工夫を尽くし、油断することがあってはならない、と痛感した。 早速、自身の企業努力から、実践してまいりたい。 ��写真は、憲政の神様・尾崎咢堂の銅像。彼の見つめる先、を思う。)