世の中に、悩まない生活は、ありうるか。いくつかの県民相談に対応しながら、思った。 およそ社会で生きていく以上、そこには様々なルールがある。他者と関わりながら暮らす以上、そこには多様な感情が渦巻く。 人がルールを作り、作られたルールは人を従え、感情もまた、人とともに生じ、人へ生じさせる。 してみると、生活は、矛盾と不思議の異名なのかもしれない。そして、その生活をマターとする政治は、人の悩みをマターとする心理学ともいえよう。 そんなことを考えながら、「大前流心理経済学」(大前研一/講談社)を読んだ。 いつもながらだが、その仮説設定に、どっきりと、なるほどが、満載だ。私なりに同著を要約すると。 日本経済が直面している人類史上例のないともいうべき深刻は、日本人固有の心理に起因しているゆえに、その突破口は心理を動かすことである。 そして、そのためにはどのような経済政策が有効か、具体的に7つの方向性を提示し、世界を再びリードする生活者大国・日本への可能性と道筋を示した書、といえる。 読み解くカギは、個人金融資産1,500兆円にダイナミズムを与える、ということであるが、このフレーズだけ一人歩きしてしまうと、同著の意図は理解できず、誤解に終わるであろう。 第6章の集団IQの件は、良薬口に苦しで堪えたが、いずれにしても。参考で終わらせてはいけない、というのが私の読後の所感であり、決意だ。 正しく、政治は生活者に対して、不安心理を解消するような政策を次々に打ち出すべきであるし、そのためには、常に世界を視野に入れた大胆な仮説思考の訓練が必要であることを痛感した。 明日から又、新たな1週間が始まる。29日には、12月議会も開幕する。 政治は、心理学であればこそ。生活者の中へ、生活現場へ、さっそく行動開始だ。
日経ビジネス11/26号で、とある記事に目がとまる。 紹介されているのは、地元今治市出身、青野慶久氏。皆様ご存知の通り、サイボウズの社長である。 同社は、創業10年にして年間売上100億円突破と東証1部上場を果たし、今や、国内グループウェア業界におけるトップ企業となったわけである。 記事の見出しは、パソコン少年の夢は世界へ、である。なるほど、写真の笑顔の眼差しからは、まさに少年のようなピュアマインドを感じる。 記事は、パソコンのプログラミングに熱中した小学生時代から書き起こされ、大学時代の挫折と、松下電工時代の試行錯誤の末の、仲間とのベンチャー起業への挑戦、と夢の足跡を綴り。 そして、元手は親から借り入れた資金と自分たちの知恵だけ、という草創期の奮闘と、リーダーが去った後、社長となってからの経営の行き詰まりへと、話は続く。 そして、苦悩の彼に、ある転機が訪れる。というより、見出したというのが正しいだろう、それは。 「真剣に志を立てよう。生命をかけるほどの思いで志を立てよう。」という、あの松下幸之助氏の言葉であったという。 その言葉こそが転機であった、と。 経営者としての自省を生み、「グループウェアで世界一になる」という真剣な志を立て、「自社を世界の公器に」との、世界への貢献という壮大にして明確な夢を描くきっかけとなったのだ。 記事は続くが、ここまでとして。 私は、ハッとするのである。彼は、今治市の玉川出身である。 地方から世界へ、は可能なのだという希望あふれるエビデンスと、自社を世界の公器に、グループウェアで世界一に、という経営理念・目標の明確さ。 政治が発信すべき、今、最も重要なメッセージは何かということを、明快に示唆している気がする。生活者が政治に対して最も知りたいのは、将来の具体であり、求めているのは希望であろう。 記事を読んで、政治は、不信から信頼への転機を自ら見出さねばならないと、痛感した。 ちなみに、僭越ながら。青野社長は、母校・今治西高の8つ後輩にあたる。 理念通り、ますますのご活躍と、世界へのさらなる雄飛を心から念願するとともに、一人の先輩として恥ずかしくないよう、愛するわが愛媛に貢献してまいりたい、と思う。
午後、公明党愛媛県本部の議員総会に出席する。同総会は、月に1度開催される定例会である。 今回は、石田衆議院議員・山本参議院議員も参加され、今後の活動についての方針説明と意思統一が行われた。 それはまさしく、事実上の次期衆議院選挙への出発であり、常在戦場の緊迫が全身にみなぎる会合となった。 最も大事なことは、私たち公明党の存在意義である。票は、その結果である。 生活者に対して。 他党ではない、公明党にしかできないこと、公明党だからできること、その、公明党らしさ、という価値を実感して頂くこと、である。 そのために今、私たちがなすべきは、地域へ、生活現場へ、自ら足を運んで行う、1対1の対話である、と石田議員は訴える。 そして。 お伺いした様々なご意見を集約し、公明党議員のネットワークを最大限に機能させ、行政レベルごとにスピーディに対応し、その結果を、確実にフィードバックしていく。 その結果。 このスピード対応は、公明党にしかできない。これが実現できたのは、公明党のおかげである。こんな要望に、ここまで親身になって対応してくれるのは、まさに公明党らしい。 そのように言って頂き、感じて頂けること。つまり、生活者の要望に対して、前進を含めてどれだけ実現させたかという結果。 それこそが、今、私たちが問われる成果であり、次期衆議院選の勝利のホシなのである、と。 その通り、と思うとともに、まだまだの自身を猛省した。 これから皆様に目に見える形での、公明党の新たな活動も始まる予定だ。その中で、私らしさ、を最大限発揮できるようがんばってまいりたい。 心と背筋がピン、となる議員総会であった。 ��写真は、石田祝稔衆議院議員・公明党四国方面議長)
昨日から、財政再建というテーマが、頭から離れない。何からどのように手をつけたらいいのだろう。 一気に、すべて、とはいくまいが、急所の一手というのがどこかにあるはずだ。というのが、今日の研鑽のテーマとなった。 巷で定評の、「日本の財政」(林信光編著/東洋経済新報社)をひも解く。豊富な資料と約500Pのボリュームで読み応えがあるし、わかりやすい。 が、テーマがテーマだけに、一気に読破も理解もできるものではなく。スピード感を持って、じっくりと読み込んで、マスターしてまいりたい。 さて、驚いたのが、この1冊。「野口悠紀雄の「超」経済脳で考える」(野口悠紀雄著/東洋経済新報社)、である。 同書の主旨は、経済学的なものの考え方を通じて、間違った「通説」を正す、というものだ。それは、経済学部出身の私としては大いに結構、とばかりページを開いていくと。 「このように、定量的に見ていくと、財政再建とは、社会保障費をどうコントロールできるかという問題である。」 なるほど、である。途中までは。 中ほどから、氏の説によるところの「通説」否定の場面が、いくつも出てきた。そのいくつかを挙げると。 「年金問題解決のために出生率を上げるべきだという議論があるが、それは不可能である。」「国の借金を家計の借金にたとえて、だから大変だというのは、間違いである。」 「消費税の社会保障目的税化は、原理的に言って不可能と考えられる。」「人口が少ない社会は豊かな社会であり、むしろ歓迎すべきことなのだ。」(以上、趣旨) いずれも定量的に根拠を提示しての切り口に、正直、驚いた。 私の視点が第1象限にあるとすると、彼は第3象限ほどに対極の視点を提示し、おかげで俯瞰するZ軸の存在を教えてもらう格好となった。 つまり、もっと考えろ、である。 彼は、言う。経済学は、意見が正反対の人がともにノーベル賞受賞者となれる唯一の学問である、と。それくらい、融通無碍なのだそうだ。 そうしたものの考え方と、定量で本質を掴み取る力の重要性を理解するとともに、融通無碍なる仮説と検証という思索の連続の中に、財政再建のヒントは必ず見出せる。 そんな、難問に挑戦する勇気とエネルギーを、与えてくれた1冊であった。
午後、理事者から12月補正予算の説明を受ける。職員給与改定費、約10億円、の1件のみ。 地方公務員法に基づく人事院勧告を受けての引き上げによるものだが、一方で、今年度の県独自の職員給与カットは、約45億円だ。��ちなみに、県議の給与は10%カットを継続中) ということは、差し引きしても約35億円の給与カットとなり、まだまだ本来の給与を頂けないという厳しい状況である。超緊縮財政は、いつまで続くのか。 心までも肌寒く感じながら、夕方から、香川大学OB会に初めて参加させて頂いた。 大学卒業後、転職・転勤などにより、糸が切れた凧のように、��B会事務局から掌握漏れとなっていた私であったが、 この間、大学OBである地元企業の社長からご案内を頂き、ようやく母校との糸が繋がったわけである。 ご縁を結んで頂いた山本社長に、心から感謝申し上げたい。 さて、そのOB会。県内に活躍するOBは、少なく見積もっても100数十名を掌握しているとのこと。 今回は繁忙期も手伝ったのであろう、10数名という少人数であったが、非常に密度の濃い交流ができ、感激もひとしおであった。 先輩は、どちらに下宿されてましたか?私は、宮脇町のあの辺。わしは、屋島寮の1期生よ。 サークルは、どちらに?ブルーハワイよ。えー、じゃあ僕の直系の先輩ではありませんか。 話題は止むことなく、当時の風景が次から次へ、ありありと、蘇ってきた。 年齢・肩書きといった裃を脱いで、同じ学舎に学んだもの同士。 そこにあるものは、先輩・後輩という、温かい絆であった。無条件に受け入れられる、兄弟にも似た親近感であった。 まさに、母校は、母港であり。 帰るべき港が、また1つ。さればこそ、勇躍さらに、社会へ、明日へ、漕ぎ出す力を得た感あり。 山本社長、そしてご参会の各位にあらためて感謝を申し上げたい。 最後に。世間は、やはり狭かった話を1つ。 私の2つ後輩にあたる、豊嶋さん。 当時、わが親友の下宿に住んでいた、という。そして、当時の私を強烈に覚えているという。 いわく、すっかりイメージが変わりましたね、と。さらに、彼のお兄さんは、私の高校時代の同級生であることも判明。 えー、である。それって狭くない?である。 そして、豊嶋さんには。やんちゃだった当時の私のことは、胸の奥にしまっておいて、と願うのみである。