涼やかなる時期なのに、なお汗ばむ暑い1日。 朝から夕方まで、久万高原町を走る。森を抜け、木漏れ日を浴び、すっかり脳内は、アルファ波全開状態。 地図を片手に訪れたのは、日頃、献身的にお支えを頂いている党員宅15軒。お会いしたのは、60代から90代の方々である。 いつもお世話になり、ありがとうございます。お変わりありませんか?いい日和ですね。 皆様ともに、最高の笑顔で出迎えてくださる。 日頃の、真心からのお支えに心からの感謝を述べながら、何にもまして、それぞれお元気なご様子を、たいへん嬉しく感じた。 陽だまりの縁側に腰掛けながら、ゆったりとした時間が流れる。 何か心配なことなどありませんか?と伺うと、どのお宅でも、異口同音に答が返ってきた。 それは、この町から、どんどん人が減っていくことです、と。 医療の不便、年金や介護生活の不安など、ご自身のこともあるはずなのに、そのことよりも、自分たちの町の将来が心配だ、という皆様のお気持ちを考えると。 少子高齢プラス過疎、という課題解決の難しさに、怯む気持ちを振り払いながら、政治がこの問題に死に物狂いで取り組まないで、いったい何を取り組むのか、そんな強い使命感が、ふつふつと込み上げてきた。 ふとメーターを見ると、今日1日の走行距離は150km。ということは、1軒あたりの移動距離、約10kmである。あらためて、遥かなり、久万高原町。 1日に150kmも走れてしまう、愛媛で一番、広い町を走りながら。お1人お1人の笑顔と会話を、脳裏に刻みながら。 上勝町の葉っぱ、ならぬ、久万高原町の何か、に思いをめぐらせた1日となった。
今日は、9月議会の最終日。 補正予算案を含む33議案について採択が行われ、24議案が原案可決し、請願9議案が不採択となる。 すべて常任委員会の決定の通りである。 9/20のブログにも書いたが、議案個々に対して必ず下さねばならない政治判断の厳しさと難しさ、そして、説明責任の重要性というものを、今議会では痛感させられた。 今、お1人お1人を訪ねて、じっくりと対話を重ねさせて頂いている。承る1つ1つのご要望に対して、しっかりと取り組んでまいりたい、と思う。 午後は、県民相談にて市内を走る。お伺いした1つ1つに対して、お力になれるよう知恵を絞ってまいりたい。 本当に、1つ1つなのだ、と実感する。 庶民の声を代弁し、実現するためには、たくさんの理解と協力を、まさに勝ち取らねばならない。それが議案であれば、可決させなければならない。 よく言われる、政治は数であり、現実であり、そこが難しいところ、といえる。 そのような魑魅魍魎の世界の中で、庶民の声を実現するために、私のなすべきこと。それは、知見と見識と人間力を磨いていくこと、そして味方を作り拡げていくこと、であろう。 閉会の日に。1つ1つ、そのための努力を惜しまない日々を勝ち取ってまいりたい、と思う。
県民相談対応と、党務と、企業訪問の1日。 とある企業の役員の方と面談の際、ふと考えた。ぬるま湯と茹でガエル、についてである。 民間企業に、保障というものはない。どんな企業も、維持すべき売上と利益が得られなくなれば、倒産だ。 雇用についても、しかりであろう。 だから、1日1日、真剣勝負だ。生活のかかった、シビアな毎日闘争である。 翻って、政治家はどうか。ある意味で、1度当選すると、4年なら4年の間、生活が保障される。 そうしたことが、ぬるま湯、になってはいないか。次の保障がないことを、忘れてはいないか。そんな指摘が、昔から、よく聞かれる。 私は。 政治も政治家も、これから先は、ぬるま湯ではいられない、いられるわけがない、間違いなく、そういう時代に入ったことを、強く、感じている。 ぬるま湯と感じた瞬間に飛び出さないと、茹でガエルになるのだ。 その意味で、まさに任期中は、真剣勝負。そして、勝負を決するのは、成果である、と思う。 成果というのは、支持してくださる方々の、期待成果に他ならない。 結果として利益を出せなくなった企業が、自然と淘汰されるように、成果を示せない政治家は、ごく当たり前に、その支持を失うであろう。 県民は、細大漏らさず見ているのだ。そう思うと、手抜きなどできようもない。 話を戻して。 真剣勝負のビジネスに生きる、その方の立ち居振る舞いと会話の中で、背筋がピシッとするような、有り難い、大切な何かを教えて頂いた気がする。 明日は、本会議の閉会日。次の戦いへのスタートである。 ��平和通りから見上げた午後5時の空)
公務を終え、堀之内を歩く。但し、ウォーキングではなく。 お目当ての、「国立ロシア美術館展」の鑑賞のため、である。 開催初日とあって、会場である県美術館は、来場者が引きも切らない盛況ぶりだ。作品の前の人だかりの邪魔にならないよう、じっくり鑑賞する。 おおおおぉ。 いくら美術に不勉強な私でも、目の前の1つ1つの作品に対峙して、それらが、いかに力があり価値があるか、十分すぎるほどに理解できた。 その中で。 何といっても圧巻は、イヴァン・アイヴォゾフスキー作、「アイヤ岬の嵐」。 海の難所であるクリミア半島のアイヤ岬にて座礁し、荒れ狂う嵐の海、脱出する乗組員たち、難破船で最後まで戦う青年。 襲いかかる凄まじい自然の驚異に、決然と戦いを挑む人間たち。そのドラマを通して、希望を失わない人間の強さと逞しさ、が胸に迫ってくる。 見る者に、汲めども尽きぬ勇気を与えてくれる、まさに偉大な作品、だ。 一巡しながら。 時系列を追っかけていくと、作風が次第に変化していくのがわかる。古典主義からロマン主義、リアリズムへ。 日本でいうと、江戸時代から昭和のはじめまでの長きにわたる、激動の、ロシアの息づかいが伝わってくる。 同展では、国立ロシア美術館に所蔵される約40万点のコレクションの内、ロシアの黄金時代といわれる18~20世紀の、厳選された作品101点を紹介。 初めて日本に持ち込まれた作品ばかりであり、その邂逅は正に希少価値である。 鑑賞を終えて、会場を後にしながら。ふと、道端に落ちた銀杏に足が止まったのは、自身の感性が刺激されたからか。 芸術の秋。ぜひ、皆様にも、心の保養に訪れられることをお奨めしたい、と思う。
久々に、個人的に、衝撃の1冊。驚きあり、涙あり、そして、笑いあり、感動あり。 その本のタイトルは、「そうだ、葉っぱを売ろう!」��横石知二著/ソフトバンククリエイティブ)である。 私が最近読んだ本の中で、断トツのイチオシ、である。 サブタイトルに、 “過疎の町、どん底からの再生”とあるように、わが町こそ、どん底と思っている皆様に、ぜひ、ご一読をお奨めしたい。 舞台は、徳島県勝浦郡上勝町。人口2,000人あまりの、四国で一番小さな町。 2002年あたりからマスコミが取り上げ始め、知ってる人は知っている、有名な町ではある。 私も、感慨深い。選挙期間中、行く先々で上勝町を引き合いに出し、お訴えをさせて頂いたからだ。 高齢化と過疎化に苦しむ地域にあって、この疲弊を乗り越えるヒントとして。少子化も、財政難も、医療も、福祉も、必ずクリアできることのお手本として。 上勝町にできて、愛媛にできないはずがない。地域の再生は必ずできるし、やりましょう、と。 今でも、その思いはいささかも変わらない。 さて、その地域再生の一部始終を描いた、この本は。 よそから来た一人の青年が、地元住民のネガティブな気持ちを変え、絆と葉っぱビジネスの創出を通して、仕事を変え、町を変え、そして歴史を変えた、ドキュメントである。 至るところ、感動だらけで、あっという間に、付箋だらけとなってしまった。 本当にお奨めしたいので、あえて詳細には触れない。事実が、すべてを物語ってくれている。 それは、例えば。 Iターン・Uターンで、移住者が増え、人口が増えている事実。若者が戻り、高齢化に歯止めがかかった事実。 高齢者が元気で、老人ホームが廃止となった事実。高齢者が健康のため、医療費が抑制された事実。 他にも、このような事実がいっぱい。少し前まで、高齢化率48%の限界集落の過疎地が、である。 著者は、言う。“やってみなんだら、分からんでないか”。 全くその通り、なのである。勇み、自身の行動に代えてまいりたい、と思う。